佃島渡船場跡〜再び、勝鬨橋【動画】

佃島渡船場跡

奮発して、佃大橋まで足を延ばしてみました。

風情があると思ったら、ガッカリ。車両優先で空気も悪く、行かなければよかったと思いました。

佃大橋は、東京五輪が開催された年、つまり昭和39年8月にできました。

この橋ができる前は、佃島は島(自然の寄州)でしたから、「本土」と島を結ぶ交通手段は、隅田川の渡し船しかありませんでした。(ちなみに、佃島は、徳川家康が大阪の佃村から漁民を移住させて漁業権を与えた。佃煮の発祥地)

◇嗚呼、懐かしやの「ポンポン大将」

渡し船は、俗称ポンポン船。昔、桂小金治が主演した「ポンポン大将」というテレビドラマがありましたが、今では誰も知らないでしょう。

私は「船長さんは朗らか〜ポンポン大将〜」という主題歌は、今でも諳んじることができますが(笑)。

佃大橋は、車両優先で風情も何もありませんでしたが、橋のたもとに「佃島渡船跡」の碑がありました。

全盛期は昭和30年で、「一日70往復もあった」と書かれていました。そして、繰り返しになりますが、昭和39年8に佃大橋ができて、300年もの歴史があった渡し船は廃止されるのです。

今は便利な世の中で、データベースによると、「ポンポン大将」は、NHKのドラマで、昭和35年9月4日から昭和39年4月5日まで、日曜日夜6時から、実に3年半も当時としてはロングランで放送されていたようです。

ちょうど渡し船の全盛期から廃止直前までの同時代が描かれていたわけですね。

内容は覚えていなかったのですが、またまたデータベースによると、子どもの時、浮浪児だった桂小金治扮する船長さんが、施設から三人の子どもを預かって育てる話だったようです。駄菓子屋のおばちゃん役が飯田蝶子だったとは!

昭和35年は、まだ戦後15年しか経っていないので、戦争孤児らは、まだまだ身近な問題だったことでしょう。

佃大橋があまりにも風情がなかったので、お口直しに、再び、勝鬨橋へ。

カモメが飛んでいました。