公開日時: 2005年6月15日 @ 16:55
北朝鮮による拉致被害者、曽我ひとみさん(46)の夫ジェンキンスさん(65)が6月14日に母国アメリカ(ノースカロライナ州ウェルドン)の土を40年ぶりに踏み、母親のパティー・キャスパーさん(91)と再会したニュースには本当に感動して涙が止まりませんでした。
何しろ40年ぶりでっせ、親分。さぞかし、浦島太郎さんの気持ちなんでしょうね。
40年前とは、1965年のこと。私のような「ビートルズ史観」に冒された人間にとって、1965年といえば、映画「ヘルプ」が公開され、アルバムは「ヘルプ」と「ラバーソウル」が発売された年。「アイ・フィール・ファイン」「デイトリッパー」「イエスタデイ」「ミッシェル」「ガール」…と沢山のヒット曲に恵まれ、ニューヨーク・メッツの本拠地「シェア・スタジアム」でのコンサートでは5万5千人の観客を集めました。まあ、ビートルズ全盛期でしょうね。
一方で、ヴェトナム戦争が泥沼化した年でもあります。在韓米軍基地にいた25歳のジェンキンス軍曹も、「ヴェトナムに送られて戦死するよりまし」と思ったのか、「北の楽園」北朝鮮に脱走してしまいますが、その後の数奇な運命は、日本人ならもう誰でも知っています。
しかし、詳しい事情を知らない人口1400人の田舎町はさぞかし驚いたでしょうね。いきなり100人もの報道陣が詰め掛けたのですから。ジェンキンスさんの40年ぶりの帰国を歓迎する人がいる一方、退役軍人やヴェトナム帰還兵の中には「彼を英雄視するべきではない。単なる臆病者だ」と批判する人もいましたが、彼らの頭の中の世界では極めて正しい論理なのでしょう。
人間はそれぞれの「小宇宙」の世界で生きているので、話し合っても分かり合えないのです。
だからこそ、ジェンキンスさんは、終始あまり目立たないように控えめに行動していたように見受けられました。
それにしても40年ぶりとは…。それでも、ジェンキンスさんは「玉手箱」を持って帰らなくてよかったですね。