北海道新聞の夕刊がなくなるとは大変な危機です

 ちょっとショックなニュースがありました。地方紙の中でも部数、経営とも磐石と言われていた北海道新聞(道新)が9月30日をもって夕刊の発行を休止するというのです。私は昨日(8月30日)の読売新聞夕刊(都内版)で知ったのですが、地元北海道では、既に今年6月に業界紙誌やネットで噂が広がっていたようでした。経営陣が今秋で夕刊を休刊することを販売店や組合に打診していたことが漏れたようです。

 私はもう20年前になりますが、北海道の帯広で仕事をしていたので、このニュースには大層衝撃的でした。「道新よ、お前もか」といった感じです。20年前は、販売部数は朝夕刊セットで100万部超と言われ、天下の朝日も読売も毎日も「道新王国」には全く歯が立たず、まさに独擅場でしたから、こんな時代が来るなどとは想像もつきませんでした。甘いですね。

 道新の夕刊は、1992年の約78万部がピークだったそうで、今年7月時点で約23万部と3分の1以下に落ち込んだといいます。紙代高騰と配送コスト増もあるようですが、こうなってしまったのも、何と言っても、インターネットで「タダ」でニュースが読めることが、最大の原因でしょう。若い人は、もう新聞を読まないですからね。

 夕刊休止で、道新経営陣は、大口取引先の共同通信に対して、加盟費の引き下げを要求していることでしょう。あの天下無敵の共同通信も、毎日新聞が加盟したとはいえ、安穏としておれず、頭を抱えていることでしょう。

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 北海道民でなければ、関係ないと思われている読者の方も多いと思いますが、これは本当は他人事ではないのです。大袈裟ですが、メディアはその国の民意の力が反映されます。ロシアや中国や北朝鮮の例を見れば分かるように、国家に統制されたメディアでは真実が全く報道されません。目下、中国人が、福島の処理水排水で、嫌がらせの電話を日本に対して、国番号「86」で掛けまくっているのは、中国当局が「核汚染水」と報道し、民衆を煽っているからです。民衆は悪いことをしていると思わず、正義心に駆られているから余計に厄介です。

 中国では、自国の原発の処理水を日本海や東シナ海に放出している事実を絶対に報道しませんから、中国人が日本人を一方的に悪と決めつけるのも無理もない話かもしれません。

 日本の新聞やテレビも、政府や霞ケ関官僚や桜田門の警察発表ばかりを言いなりになって報道していれば、官報と同じです。中国や北朝鮮やロシアを笑うことはできませんよ。発表ものばかりで紙面を埋めていたら、政治家の汚職や大企業が隠したがる不正や陰湿な差別やいじめ問題は、永遠に闇に葬り去られるばかりです。

 調査報道は、大変な時間とお金がかかり、人材育成にも大変な労力が必要とされ、また、無駄になることも多いので、採算に合わないのが普通です。それをタダで見られてはジャーナリストもたまったものではなく、報道機関も斜陽産業となり、優秀な人材が集まらない悪循環が既に始まっています。

 このブログでよく取り上げさせて頂いている杉田敏氏の「現代ビジネス英語」のレッスン7「広がる『ニュース砂漠』」で、主人公の井出恭平は「日本の日刊紙の総発行部数は、1990年代後半に約5400万部とピークに達しましたが、今は3000万部に落ち込んでいます。このまま毎年200万部ずつ減り続けば、15年後は1紙も残っていないでしょう」と発言しています。

 それは、それは実に怖ろしい、ビッグブラザーが支配するオーウェル的世界になるのかもしれませんよ。(ジョージ・オーウェル「1984」)

 

北門新報

小樽へは、全く予備知識も持たず、下調べもせず、素のまま、行ってしまいました。

ちょっと、後悔してます。

しかも、せっかく、史跡看板に詳しく書いてあったのに、メモも取らなかったので、ほとんど忘れてしまいました。

上の建物は、「金子元三郎商店」だったところで、現在は、土産物屋になっています。
金子は、漁業加工物から銀行業、不動産まで手広くやった事業家で、30歳にして小樽区長となり、のちに衆議院議員にもなっています。

彼は、明治24年、小樽で初めての日刊新聞「北門新報」を創刊したということでも歴史に名前を残しています。

東京から自由民権運動家の中江兆民を主筆と迎えますが、兆民はわずか1年で辞めています。その辺りの経緯については、いつか調べてみようかと思っています。

この建物は、北門新報の印刷所として使われたようです。

北門新報は、後年、札幌に進出し、北海道毎日新聞、北海道時事と合併して、北海タイムスとなり、現在の北海道新聞の礎となりました。


小樽運河