今年5月の仏カンヌ国際映画祭のプレミア部門で上映され、熱狂的な歓迎を受けた北野武監督の6年ぶりの新作「首」を、日本の田舎の映画館で観て来ました。
「本能寺の変」前後の織田信長とその家臣団との間の血と血で洗う、マフィアの跡目争いのような抗争です。まさに「首」が飛び交うグロテスクな場面も描かれ、「15歳未満お断り」に指定されていました。
個人的な感想としましては、部分、部分でとても迫力が良い場面が多かったのですが、全体的、特に、「物語」の面では、腑に落ちない面が多々ありました。ご案内の通り、この辺りの歴史には精通していますからね(笑)。
まず、良かった場面は、合戦場面です。特に長篠・設楽原の戦いで、武田軍の騎馬隊と信長・家康連合軍の鉄砲隊とが戦う場面や何百本の弓矢が空中で飛び交うシーンは迫力満点で、黒澤明監督を思わせました。
羽柴秀吉をビートたけし、黒田官兵衛を浅野忠信、明智光秀を西島秀俊、徳川家康を小林薫が演じていましたが、何と言っても秀逸だったのが、織田信長役の加瀬亮でした。狂気じみた独裁者信長が名古屋弁で理不尽なことばかり命令しながら、多くの面前で家臣を殴り倒したりしますが、恐らく、実際の信長もああいう感じだったのではないか、と思わせました。とにかく、台詞を尾張言葉と言いますか、名古屋弁にしたことは大成功でした。
北野監督の30年の構想ということで、かなりの自信作なのでしょうが、光秀と荒木村重(遠藤憲一)との関係が本能寺の変につながったという説はどうも違和感がありました。勿論、壮大なるフィクションなので、エンターテインメントとして楽しめば良いかもしれませんが。
秀吉の参謀で弟の秀長役を大森南朋が演じておりましたが、彼は大河ドラマ「どうする家康」で、家康の四天王の筆頭、酒井忠次役を演じ、その印象が強過ぎて、何か変な感じがしました(苦笑)。ついでに言えば、大河ドラマでさえ、多くの家臣が登場するのに、例えば、光秀の家臣として登場するのは斎藤利三ぐらい、秀吉の家臣も目立つ家臣は蜂須賀小六と宇喜多直家ぐらいで、加藤清正も福島正則も石田三成も登場しません。合戦前の軍評定に家臣が二人ぐらいしか登場しないのはあり得ない(笑)。
でも、北野監督がスポットライトを浴びせたかったのは、木村祐一演じる曾呂利新左衛門だったかもしれません。元甲賀忍者で密偵として働く「芸人」という役柄で、ビートたけし自身を反映させたかったのかもしれません。
エンドロールで大竹まことが出ていたので、「あれっ?いたっけ?」と思い、家に帰って調べてみたら、千利休(岸部一徳)に使える間宮無聊役でした。分からなかったなあ~。