匿名に隠れた暴虐性について 

匿名というのは大変便利なツールです。
自分だけ「安全地帯」にいて、言いたいことを言って、やりたいことやって、さっさと逃げてしまう。まあ、透明人間みたいなものです。いや、今流行りの言葉でいえば、不審者です。犯罪者といってもいいかもしれません。

匿名ですから、罪に問われないことを十分熟知しているのでしょう。
こんなことを言っても「馬の耳に念仏」でしょうが、良心の呵責に苛まれないことが不思議でたまりません。羨ましいくらいです。

その発言については、責任が問われない、というか責任を追及することができないので、大の大人がいちいち目くじらを立てることはないのですが、最近のコメントに関しては、あまりにも目に余るので一言述べたいと思います。

匿名さんは、最初は、一応論理が通っているし、ある意味ではまともなことを衝いているので、大変教養のある知的な40代の女性だ、とこちらで勝手に想像しておりました。

しかし、どうやら違うようです。10代の女の子といったところでしょうか。精神的に。

私のブログを訪れてくださる方は、一日20人程度で、恐らく、私のことを知っている友人か知人がほとんどと思われるので、匿名さんは、偶然、見てしまった方なのでしょう。どんな不安とストレスを抱えているのか知りませんが、いきなり、見ず知らずの人間をつかまえて「最低の人間」と断じるとは、よっぽど暇なのか、真夜中の4時に投稿するくらいですから、寂しい人なのでしょう。

思わず、もう30年以上昔に読んだ太宰治のエッセイ「鉄面皮」を思い出してしまいました。

「子供の頃、私は怪談が好きで、おそろしさの余りめそめそ泣き出してもそれでもその怪談の本を手放さずに読みつづけて、ついには玩具(おもちゃ)箱から赤鬼のお面を取り出してそれをかぶって読みつづけた事があったけれど、あの時の気持と実に似ている。あまりの恐怖に、奇妙な倒錯が起ったのである。鉄面皮。このお面をかぶったら大丈夫、もう、こわいものはない。」

そう、匿名さんは、この鉄面皮を被って、強者を演じているのです。本当は弱い、極めて卑劣な人なんだろうなあ、と確信しました。

昭和22年、東大生平岡公威(のちの作家三島由紀夫)は、憧れの作家太宰治に会った際、つい、天邪鬼にも「太宰さん、あなたの作品は嫌いです」と面と向かって放言しました。太宰は、一瞬、狐につままれたような顔をしてからこう言いました。
「嫌いならここに来なければいいじゃないか」

匿名さんにも同じことを言いたい。
「嫌いならここに来なければいいじゃないか」