入場料が2カ所で何と50円!=「半蔵門ミュージアム」で大日如来像、「たばこと塩の博物館」で「大田南畝 没後200年」展を鑑賞して来ました

 5月4日のみどりの日。大型連休の真っ最中、何処も異様に混んでいるので、恐らく、ほとんどの御上りさんが行かないと思われる都心の博物館を梯子しました。梯子といっても、「半蔵門ミュージアム」(千代田区)と「たばこと塩の博物館」(墨田区)の2カ所だけですが、いずれも予想が当たって空いておりました。しかも、入場料が前者は無料、後者はシニア料金ながらわずか50円で済みました。それでは申し訳ないので両館のミュージアムショップで書籍を購入してお許しを乞いました。本代は入場料の100倍以上掛かりましたが…(笑)。

半蔵門ミュージアム

 半蔵門ミュージアムは、運慶作と推定される木造大日如来坐像(1193年? 61.6センチ、重要文化財)がお目当てでした。2008年3月に、米ニューヨークで行われたクリスティーズのオークションで、新興宗教団体「真如苑」が約14億円で落札したあの有名な大日如来像です。

 この渓流斎ブログを御愛読して頂いている皆様だけは御承知でしょうが、最近の私は大日如来と密教にハマってしまい、「母を訪ねて三千里」じゃありませんが、大日如来が鎮座する寺院や博物館なら三千里歩いてでも追い求めたい気持ちだったのです(笑)。

 それが、こんな都心の美術館(半蔵門駅からゼロ分!)で、しかも無料で公開されているとは全く知りませんでした。真如苑の大日如来像は、もともと鎌倉初期に足利義兼(母が源義朝の従妹、妻が北条政子の妹)によって今の栃木県足利市に創建された樺崎寺(廃寺)に安置されていたと言われ、どういう経緯でニューヨークのオークションにかけられたのか不明ですが、明治の廃仏毀釈のゴタゴタで、誰か個人の手に渡っていたことでしょう。

 結局、海外に流出せず、日本に戻って、こうして無料で一般公開(2018年から)までしてくださるのですから有難いことです。半蔵門ミュージアムでは目下、「修験と密教の美術」特別展が開催中で、大日如来の化身と言われる不動明王像や両界曼荼羅なども拝観することができました。所蔵品は建物も含めて真如苑のプロパティですが、恐らく信徒の皆様による多額の御布施ということでしょうから、宗教の力を感じざるを得ませんでした。(全く関係ない話ですが、私が浪人時代、大学受験で通っていた東京・大塚の武蔵予備校に行ったら売却されていて、真如苑の施設になっていたので吃驚したことを覚えています。真如苑は1936年、真言宗醍醐寺で得度した伊藤真乗により開かれ、現在世界20カ国で100を超える寺院があり、信徒は100万人=国内90万人=同教団のHPより)

入場料代わり

 真如苑といえば、有名芸能人が多く入信し、華々しい面がありますが、入場しても特にしつこく勧誘されるわけでもなく、信徒ではなくても、必要な人が必要な時にこうして無料でお参りさせて頂くことが出来ます。その点は高く評価したいと思い、ミュージアムショップで販売されていた書籍2冊を購入しました。特に「仏像のひみつ」(朝日出版社)の著者で宗教学者の山本勉氏が、この半蔵門ミュージアムの館長になっておられたので驚いてしまいました。

墨田区「たばこと塩の博物館」

 次に向かったのは、「たばこと塩の博物館」です。地下鉄半蔵門線の「押上」駅が最寄り駅の一つなので、半蔵門から地下鉄1本で行けました。

墨田区「たばこと塩の博物館」

 お目当ては「没後200年 江戸の知の巨星 大田南畝の世界」展です。JTが運営する「たばこと塩の博物館」は昔は渋谷の公園通りにありました。私がまだ20歳代の頃、原宿の岸記念体育会館にあった日本体育協会(体協)の記者クラブに詰めていた頃、昼休みのランチの帰り、仕事を少しさぼって、いやほんの少しだけ休み時間を延長してこの博物館を出入りしたものでした(笑)。博物館の人に聞いたら、渋谷からこの墨田区に移転したのは2015年でもう8年になるそうです。(押上駅から歩13分、錦糸町駅から歩21分ぐらい掛かります)

 押上といえば、東京スカイツリーの最寄り駅ですから、外国人観光客を含めて人が雲霞の如く群がっていましたが、「たばこと塩の博物館」はスカイツリーとは正反対の方向にありますから、人が少なく、むしろ寂しいぐらいでした。

東京スカイツリー(錦糸町駅付近)

 大田南畝については、個人的に、昔から大変気になる人物でしたが、この年になるまでついに勉強が手に回りませんでした。私自身が漢籍の素養がなく、あの文語体の崩し字(古文書)が読めなかったからでした。

 大田南畝は寛延2年(1749年)、御家人とは言いながら将軍警護の御徒役の下級武士として江戸牛込で生まれ(本名覃 =ふかし、通称直次郎)、幼い頃から多くの書籍に親しみ、神童の誉高く、博覧強記の典型みたいな人です。漢詩人・寝惚先生であり、狂歌師・四方赤良(よものあから)であり、戯作者・山手馬鹿人であり、随想家・大田南畝でもあり、号は蜀山人。いわゆるマルチタレントです。交流関係も華々しく、葛飾北斎、鳥文斎栄之、歌川豊国、山東京伝、上田秋成、酒井抱一、木村蒹葭堂、蔦谷重三郎、市川團十郎といった著名人が並びます。

 館内では、大田南畝の「万載狂歌集」「蜀山余禄」「浮世絵類考」などの恐らく貴重な「原本」(写本)が多く展示されておりましたが、残念ながら、こちとらは学がなくて何と書いてあるのか崩し字が読めませんでした。わずか200年前の出版物なのに、本当に情けないですね。

大横川親水公園(東京都墨田区)

 先述した通り、入場料は50円でしたので、またまた申し訳ないので、ミュージアムショップで浜田義一郎著「大田南畝」(吉川弘文館)を購入しました。はい、残された人生、古文書を含めまして、大田南畝先生についても勉強していきます。私自身、正統派よりも異端児を好むタイプで、正統派の短歌よりも、風刺と皮肉と諧謔に富んだ狂歌の方が好きなんですよ(笑)。

 大田南畝の本職は幕臣ですから、真面目に勤めたお蔭で、御徒役やから長崎奉行詰まで出世したりしてます。文政6年(1823年)4月6日に数えの75歳で亡くなりますが、死の三日前まで元気で「妾と芝居見物に行っていた」と年表で見つけて思わず苦笑してしまいました。

 大田南畝の菩提寺は白山の本念寺(日蓮宗)だということで、いつかお参りしたいと存じます。南畝を崇敬する永井荷風も度々お参りしたようです。