孫呉からの逃避行

 先週の土曜日、「松岡二十世とその時代」「王道楽土・満洲国の『罪と罰』」「在満少国民望郷紀行ーひたむきに満洲の大地に生きて」の3部作をこのほど完成した満洲研究家の松岡將氏のお導きで、都内の氏の御自宅で、「満洲今昔物語」の試写会が開催され、私も末席に連なって参りました。

黒河から孫呉にかけて Copyright par Duc de Matsuoqua

 「戦前の満洲」と「現在の中国東北地方」を写真で比較した映写会に参加するのは、私自身、これが3回目か4回目ですが、毎回、参加メンバーの顔ぶれが変わり、回を追うごとに、BGMを入れるなど出来栄えが向上しております。人生の大先輩に向かって「やればできるんじゃないか」と心の中で頷いておりました(笑)。

 松岡氏の自邸のリビングには、氏が若き頃、「政界のプリンス」と呼ばれた現首相のご尊父と一緒に写った写真が飾ってありました。そんな偉い方なのですが、松岡氏の謦咳を接してから10年以上経ちますので、「ゲストの皆さんには粗相のないように」と冗談が言えるほどの仲になっております(笑)。

黒河から孫呉にかけてのグーグルマップ Copyright par Duc de Matsuoqua

 満洲問題に関しては、これまで「侵略国家」「傀儡政権」「偽満洲」との見方が大半でしたが、戦後50年経った頃から、満蒙開拓団の悲劇や残留孤児の問題などもクローズアップされ、次第に一方的に偏った史観だけではない見方も見直されるようになりました。

孫呉駅付近 Copyright par Duc de Matsuoqua

今回参加されたのは、中国専門のニュースサイト「レコードチャイナ」相談役の八牧浩行氏(旧満洲の中国吉林省生まれ。ご尊父が満洲電業の技術者で、現地の人に請われて戦後も大陸に居残った)、過酷な引き揚げ体験を持ち、現在「語り部」として活躍されている森彦昭氏、日系米人ポール邦昭・マルヤマ著「満洲奇跡の脱出」(NHKドラマ「どこにもない国」の原作)を翻訳した高作自子氏でした。

戦前の黒竜江対岸のブラゴヴェシチェンスク Copyright par Duc de Matsuoqua

 この中の森彦昭氏の悲惨で過酷な引き揚げ体験をご紹介致します。(御本人がまとめられた手記も参考に致します)

 森氏は昭和16年5月生まれで終戦時、わずか満4歳でした。ご尊父は南満洲鉄道(満鉄)の社員で、森氏は、ソ連国境の黒河(1858年、清国とロシア帝国が国境策定条約を締結した璦琿)に近い孫呉市の満鉄の社宅で生まれました。

現在の黒竜江対岸のブラゴヴェシチェンスク Copyright par Duc de Matsuoqua

 当初は、まがりなりにも平和な家庭生活が続き、森氏には1歳下の妹と3歳離れた弟も生まれました。そんな一家団欒生活が一変したのは、戦況の悪化です。

 昭和20年5月には、年嵩の民間人の父親も強制的に徴兵され、関東軍へ入営します。その後、終戦から2カ月も経ったというのに、同年10月に八路軍の銃撃に遭い、戦死してしまうのです。享年34。

当時、大陸では、ソ連に加え、八路軍と国民党軍の三つ巴の内戦に突入しておりました。

黒河から孫呉に向かう(直線距離70キロ) Copyright par Duc de Matsuoqua

昭和20年8月9日。ソ連軍は、スターリンも参加した英米ソによるヤルタ会談の密約から日ソ中立条約を一方的に破棄して、満洲に攻め込みます。前線部隊には、俗に「マンドリン」と呼ばれる70連発もできる短機関銃を持った、犯罪者や狼藉者、無法者あがりの兵士が多かったという説が有力で、逃げる無防備の避難民を銃殺したり、戦車でひき殺したり、婦女暴行も絶えなかったりしたと伝えられています。

そんな中、一家の大黒柱を失っていた森家は、乳児と幼児の3人を抱えた母親が、北端の孫呉から南の大連まで約1年間をかけて、逃避行を試みるのです。その距離、何と約1413キロ。

 しかし、その途中の撫順の収容所で、森氏の妹と弟の2人もが、栄養失調か飢えによって亡くなります。妹の民子ちゃんは3歳、弟の義昭ちゃんはまだ1歳でした。

孫呉市内 Copyright par Duc de Matsuoqua

 幼い我が子を2人も失い、絶望し果てた母親の美砂保さんは当時、26歳の若さ。最後の気力を振り絞って、昭和21年6月30日、葫藘島から米海軍「V-28」に乗船して、残った5歳になった森氏と一緒に念願の帰国を果たすのです。

孫呉県賓館 Copyright par Duc de Matsuoqua

 私は孫呉という地名は初めて聞く名前でしたが、ここにはあの石井細菌部隊の支部もあったようですね。映写会では、松岡氏が気を遣って、孫呉が何処にあるかなど地図を作成して紹介してくださいました。

 私は戦後生まれですから、このような悲惨な戦争体験は主に文献でしか知りませんでしたが、このように体験者の生の話を伺うと、はるか昔の歴史ではなく、つい最近の出来事だったことが分かります。

 森氏は苦難の末に、帰国できましたが、大陸に遺棄された多くの日本人は、戦死したり、殺害されたり、自死を余儀なくされたりしました。月並みですが、改めて、平和の大切さを身に染みて感じました。