小川洋子さんとフランスの出版社

「博士の愛した数式」などで知られる小説家の小川洋子さんが、1月17日付の東京新聞夕刊で、興味深いエッセーを書いていました。

海外で彼女の小説を初めて翻訳出版してくれたのは、何と英米ではなく、フランスの出版社で、その出版社の社長からプレゼントされたスコット・ロスのチェンバロCDバッハの「ゴルトベルク変奏曲」を聴くと、今は亡きその出版社社長ユベール・ニセン氏のことを思い出す、といった内容でしたが、「フランス専門家」を自称している(笑)私ですから、その出版社がどこなのか気になってしまいました。

パリのガリマール社なら有名ですから、誰でも知っているでしょうが、この出版社は、南仏アルルで、羊小屋から起業して今でも本社はアルルにあるというのです。

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それは何という名前か、すぐ分かりました。

ニセン社長の娘フランソワーズが後を継ぎ、彼女は昨年5月に、何とマクロン大統領によって文化大臣に任命されて驚いた、と小川さんが書いてあったからです。

それは、在日仏大使館の日本語ホームページですぐ分かりました。フランソワーズ・ニセン文化大臣が社長を務める出版社は「アクト・シュド」という会社でした。綴りが分からなかったのですが、散々調べてフランス語でActes sud ←クリック だと分かりました。「南のアクション」といった意味でしょうか。(社長は、昨年5月から代わってました。さすがに文化大臣と兼任で会社を切り盛りできないでしょう)

HPは立派ですが、大変失礼ながら、地方の小さな出版社でしょう。それなのに、かなりの点数の書籍を揃え、極東の小説家の作品にまで目を配って翻訳書まで出してしまうなんて、なかなかのものです。

小川洋子さんは、フランソワーズが文化大臣に指名されたことについて、「出版文化が尊重されているような気がして、私まで誇らしかった」とまで書いています。

ここを読んで、私も異様に感激してしまったわけです。

 

エッセーでは、4年前にフランソワーズの息子さんが10代の若さで亡くなった話など、色々書いてありましたが、さすが作家だけあって、短いエッセーでも大変読ませるものがありました。

『薬指の標本』

渋谷のユーロスペースで上映中の「薬指の標本」http://www.kusuriyubi-movie.com/index.htmlを見てきました。芥川賞作家の小川洋子の原作をフランス人の監督ディアーヌ・ベルトランが映画化したということで、是が非でも見なければならないという気がして、本当は「子供の街、渋谷」にはあまり行きたくなかったのですが、暇な合間を縫って出かけてきました。

それにしても最近の小川洋子の活躍は目覚しいですね。読売文学賞を受賞した「博士の異常な数式」が映画化、舞台化されて話題になり、「ミーナの行進」が今年の谷崎賞を受賞。目下、日本人作家として諸外国語に翻訳されるのは村上春樹に次いで多いらしく、米週刊誌「ニューヨーカー」に翻訳が載った日本人作家としても、大江健三郎、村上春樹に続いて三人目というのですから、もう世界的作家の仲間入りです。

そんな彼女の作品をフランス人が映画化するということで興味が沸かないわけにはいきません。

で、見た感想はどうだったかと言いますと、フランス語で bizarre  という単語がありますが、それに近いです。「奇妙な」という意味です。

主人公のイリスを演じるオルガ・キュリレンコはウクライナ人のモデルで、これが女優としてデビュー作だそうです。辺見エミリと伊東美咲を足して2で割ったような可憐な女優です。確かに原作に忠実に映像化されたのでしょうが、彼女の魅力を表現したいがために映画化したのではないかと勘ぐりたくなるくらい彼女の官能的な肢体がスクリーンに乱舞されます。そして、標本技術士役のマルク・バルベの変態性愛者スレスレのミステリアスな雰囲気は、見ている者を催眠術にでもかかったような気にさせます。

ストーリーは、まずはありえないような話です。どこかの港町(ハンブルグで撮影されたようです)が舞台で、安ホテルに船員と部屋を時間差で共有したり、わざわざ離れ小島のような所にあるラボに船で通勤したり(なんで主人公は近くにアパートでも借りないのでしょう?)…まあ、内容については、これから映画を見る人のために内緒にしておきます。

ただ、最後の終わり方が、「わけの分からない」ヨーロッパ映画らしく、「すべて、あとは鑑賞者の想像力におまかせします」といった感じで、それが、さっき言ったbizarre という言葉に集約されるのです。そこが、ストーリーがはっきりしているハリウッド映画との違いです。

そのせいか、わずか144人しか収容できないミニシアターで上映されているのでしょう。平日の昼間だったせいか、お客さんも10数人しかいませんでした。

でも、こういう映画って、「あれは何を言いたかったのだろう?」と引っかかって、あとあと残るんですよね。最後に付け足すと、この映画の不可解な不条理な世界にマッチしたベス・ギボンスの音楽が素晴らしかった、ということです。