花の美しさはない=雲の波間に消え去った彼

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 雲をつかむような話です。

 遠く異国に棲む旧友であり、都会の賢人でもあるT君が夢枕に立ち、「美しい花がある。花の美しさというようなものは無い」と急に言い出しました。

 急に何のことなのだろうか、と訝しがっていると、彼はこう続けました。

 一匹の猿が山桜を眺めていたとしましょう。果たしてこの猿は、山桜の美しさを愛でていたのでしょうか? 恐らくそうではあるまい。花や葉に隠れて、何か食べられる実でもなっているのかどうか、確かめていたに違いないのです。同じように、川面に立つシロサギが一心不乱に川の流れを見つめています。果たして、このシロサギは光が屈折して反射する美しい川の流れを我を忘れて眺めていたのでしょうか? そうではなく、生きる糧である小魚でも探していたに違いないのです。

 つまり、美しい山桜があるが、山桜の美しさというものはない、のです。

 美しい川はあるが、川の美しさというものはない、のです。

 翻って、ヒトは何故、桜を愛でたりするのでしょうか? 美しい桜はあるが、桜の美しさはないというのに…。

うーむ、そう言われてみると、そうなのかもしれません。

 彼はさらに続けます。

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「欲望の資本主義」が最期に行き着く所は、貧富格差の膨大な拡大と人類の破滅です。現代の経済学は、数理化、数値化し、金融工学として発展し、人間一人ひとりの感情を置いてきぼりにして、疎外していきました。

 今一番、見直さなければならないのは、宇沢弘文(1928〜2014年)が唱えた社会的共通資本です。地球環境も、医療も教育も人類が持つ社会的共通資本です。これらが、金融工学のような功利主義や儲け主義と合うわけがありません。そもそも、環境保護も医療も教育も投下資本に見合った見返りがあるわけがなく、最初から採算が合わないものなのです。

 僕も、毒された欲望資本主義には異議を唱えたい。

 冷静に考えれば、文学も美術も音楽も芸術など表象(シーニュ)に過ぎないのです。ブランドに過ぎないのです。何?ベートーヴェン? 交響曲7番? サントリーホールで、クラウディオ・アバド指揮のベルリン・フィル? そりゃあ何万円しようが、チケットは手に入れなければー。といった調子で、人々はシーニュに踊らされているだけなのです。それが貴方の人生なのですか?と言いたい。

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 僕はね、そんな毒された欲望資本主義には背を向けて、この世に生まれて来たからには、何でも自分でやろうとしてきたんだよ。ピアノとギターを独習して、何十曲も自分で作詞作曲してきたし、下手なりに油絵も水墨画にも挑戦してきた。

 料理も自分なりに工夫して作ってきた。食べられるキノコや雑草まで散々調べたし、美味い野菜を作るために土壌の勉強までしてきた。これもそれも、オーダーメードの、ありきたりの、お膳立てされたものばかりでは飽きたらなかったからなのです。味噌も作ったし、漬物もパンもお手製で作ってきた。

それが人生ってもんじゃないのかい?親や教師や上司がお膳立てした道を歩めば、そりゃ楽だろう。でも、そんな他人が決めた人生をなぞって何が面白いのだろう?

僕はもう若くないし、後戻りはできないけど、自分なりに苦労して切り開いてきた道に関しては、一点の曇りもないほど後悔はしていませんよ。功成り名遂げたわけではないけれど、少なくとも自分は強欲ではなかったし、常に謙虚であることを心掛け、他人を利用したり、踏台にしようとしたことなど一度もありませんでしたから。

そう言うと、彼は、雲の波間に吸い込まれるように消えていきました。

大晦日と「京都学派酔故伝」

鎌倉街道

◇1年間御愛読有難う御座いました

今日はもう大晦日です。今年も本当に色んなことがありましたが、1年間はアッという間でした。年を取ると、年々幾何学級数的に歳月の流れが早くなりますね。

今年も一年間、わざわざ検索して、この《渓流斎日乗》を御愛読して頂きました皆々様方には感謝申し上げる次第で御座います。

今年は何と言っても、《渓流斎日乗》が新規独立して、オフィシャルサイトが開通したことが最大のイベントとなりました。これには、東京・神保町にあるIT企業の松長社長には、大変お世話になりました。改めて御礼申し上げます。

◇戦勝国史観だけでは世の中分からない

日々のことは、毎日この《日乗》に書いた通りですが、 個人的な今年の最大の収穫は、数々の書籍を通して、物事も、歴史も、色々と多面的に眺めることができたということでしょうか。世の中は、数学のようにスッキリと数字と割り切れるわけではなく、スポーツのように勝ち負けで勝負がつくわけでもなく、哲学のように論理的でもなく、小説や映画の世界のように善悪で割り切れるわけでもなく、社会倫理のように正義と不正義に峻別されるわけでもないことがよおーく分かりました。

来年のことを言えば、鬼も笑うかもしれませんが、個人的な抱負としましては、引き続き、健康には気をつけますが、「何があっても気にしない」(笑)をモットーにやって行きたいと存じます。

あと、毎日電車の中でスマホでこの《渓流斎日乗》を更新し続けてきましたら、今年9月下旬に急に体調を崩してしまい、「これはいけない」ということで、「スマホ中毒」からの脱出を図ることに致しました。

以前のように、毎日更新できないかもしれませんが、今後とも御愛読の程、宜しく御願い奉ります。

京都にお住まいの京洛先生のお薦めで、櫻井正一郎著「京都学派 酔故伝」(京都大学学術出版会、2017年9月15日初版)を読んでいます。著者は英文学者の京大名誉教授。残念ながら、あまり読みやすい文章ではありませんが、「京都学派」という知的山脈の系譜が「酔っ払い」先生をキーワードに描かれています。

京都学派というと、私のような素人は、湯川秀樹博士のような物理学者を思い浮かべましたが、著者によると、初めて京都学派という言葉が使われたのは1932年で、戸坂潤が「西田=田辺の哲学ー京都学派の哲学」という著書の中で使ったもので、哲学の分野が最初だったといいます。

そこから、京都学派の第1期は、哲学者の西田幾多郎、田邊元、九鬼周造、東洋学者の内藤湖南、中国学者の狩野直喜らが代表となります。第2期では、中国文学の吉川幸次郎、仏文学の桑原武夫(実父は第1期の東洋学者桑原じつ蔵)、生物学の今西錦司、梅棹忠夫、作家の富士正晴、高橋和巳らとなり、本書では彼らを取り上げて詳述しています。

京洛先生は、三高と京大の名物教授だった英文学者の深瀬基博(織田作之助も三高生のとき習った)が贔屓にしていた祇園ではなく「場末」の中立売通のおでん屋「熊鷹」(今はなき)が、お近くのせいか、えらくお気に入りになって、「現場」まで足を運んだそうです。

この本の中で、赤線を引いたところはー。

・仏文学者の桑原武夫は、小林秀雄に対して厳しく、「小林君というたら無学でっせ」と言ったとか。同じ仏文学者の生島遼一も小林には厳しく、後輩の杉本秀太郎が生島の家で小林を褒めると、生島は「君たちは小林小林と言うけど、彼は僕や桑原君みたいにはフランス文学は知りませんよ」と言うなり、杉本に出していたカステラを取り上げて、窓を開けてカステラを犬に食わせたとか。

・「海潮音」の翻訳で知られる上田敏は、京大英文科の初代主任教授だった。

・中国文学者の吉川幸次郎が、東京・銀座の金春通りにあった料亭「大隈」に飾ってあった、客として来た画家の岸田劉生が書き残した画賛が読めなかった。生真面目な吉川は「これは語法に合うとらん」と言った。そこに書かれていたのは、

鶯鳴曠野寒更新

金玉瓶茶瓶茶当天下

後日店を訪れた中野好夫は、吉川とは三高時代の同期だったので「吉川はこういうもんは読めんよ」と素っ気なく言ったとか。

これは、謎かけや隠し言葉を楽しんでいた江戸文化がまだ残っていたもので、「長らくご無沙汰していた年増女の懇願する内容」ということで、後は皆様御自由に解釈くだされ(笑)。

・古代ローマで一般教育「リベラルアーツ」の習得は自由民だけに限られ、奴隷、職人はタテ社会の一員として親方から専門教育だけを伝授された。リベラルアーツの初級は、「文法」「修辞学」「論理学」の3科目。上級は、「算術」「天文学」「地理学」「音楽」の4科目だった。

・筑摩書房の創業者古田晃は、東大出だったが、国文学の唐木順三、独文学の大山定一ら京都学派の本をよく出版した。かなりの酒豪で、最期は東京・神保町の「ラドリオ」で酔い潰れ、帰りのタクシーの中で帰らぬ人となった。