会津漆塗りの盃と小鹿田焼の五寸皿

 最近、どうも「ぐい呑み」づいております。

 このブログの10月30日付「備前焼のぐい吞みをゲット=友人Y君から」に書いた通り、備前岡山出身の友人から備前焼のぐい呑みを頂いたことを書きました。

茂徳作・会津漆器盃

 今度は、先日、会津の裏磐梯に行った際、お出迎えして頂いた安奈さんから、この会津漆塗りの盃を記念に戴いてしまいました。

 ロバート・キャパにならって、写真は「ちょっとピンボケ」ですが、名工・茂徳作の高級品です。箱入りです(笑)。「ガラス工芸のうるし塗り」という説明書の最初に、「会津漆器の生産は天正18年(1590年)、時の藩主・蒲生氏郷公が基礎を築かれ、云々」と書かれております。

 出ました。蒲生氏郷ですよ。このブログの今年3月21日付「商業発展に注力した戦国武将・蒲生氏郷=近江商人や伊勢商人までも」に書いた通り、戦国時代の武将蒲生氏郷(がもう・うじさと、1556~95年)は、「日本商業の父」とも言うべき大名で、今でも連綿と続く近江商人や伊勢商人を育成し(伊藤忠、武田薬品、三井財閥、イオンなど)、会津に移封されると地元の殖産興業の一つとして、漆塗り器の生産などを奨励します。

 400年以上経っても、蒲生氏郷の遺産が残っているわけです。

小鹿田焼(飛び鉋の五寸皿)いい景色です

 話は代わって、このブログの10月31日付「民藝運動に対する疑念を晴らしてくれるか?=小鹿田焼が欲しくなり」に書いた通り、小鹿田焼(おんたやき、と読みます)の「飛び鉋」(とびかんな)の五寸皿を通販で購入したことを書きましたが、割と早く、昨日届きました。

どうです? 実に見事な景色じゃあーりませんか。普通のおかずにも、フルーツ盛りにも、何でも使えそうではありませんか。鉋模様は、職人さんの手彫りですから手間暇が掛かっています。二度と同じ文様の作品は作れないそうです。

会津裏磐梯で買ってきた赤べこと小鹿田焼(飛び鉋の五寸皿)

 やっぱり、渋いですね。歳を取るのもいいもんです。渋さの味わいが分かるようになるからです。

 恐らく柳宗悦の民藝を知らなければ、この小鹿田焼も知らなかったと思います。

 小鹿田焼は江戸中期の宝永2年(1705年)、今の大分県日田に福岡県の小石原焼の技法が伝わったのが始まりだと言われています。その後、衰退しかけていたのですが、大正時代に柳宗悦らの民藝運動で「再発見」され、現在でも根強いファンが多いと言われています。

 ええんでなえかえ(北海道弁)