言葉が人類に暴力性を生んだ?…そう言われると困りますが

Ginza

 いやはや、たまたま見ましたEテレの「NHKアカデミア」に出演されていた人類学者の山極寿一氏のお話は、私にとっては「コペルニクス的転回」でした。そして、何よりも、自分は今まで何を信じて生きて、行動してきたのか、グサッと鋭利な刃物を突きつけられた感慨になりました。

 山極氏は、京大の総長まで務められた方であり、世界的なゴリラ学者であります。そういう人が何故、人間は現代になってもいまだに暴力的なのか、その起源はいつからなのかという問題を探索したことがこの番組のテーマになっていました。

 結論を先に書けば、霊長類の人類は700万年前にチンパンジーから枝分かれしてヒトとして歩み始めてから、当初はアフリカのサバンナで捕食者に囲まれ危険な状態だったので、どうしても協力して集団を作らなければならなかった。そこには共感が生まれ、食べ物の分配も行われ、平和的だった。しかし、1万年前に「言葉」が生まれ、同時に農耕定住生活となると、集団同士が食物や領地の争い等で暴力的になったというのです。

 山極氏に言わせれば、共感の力が暴発して、言葉による情報交換が人々を傷つけ、不安や戦争に駆り立てるようになったのではないかというのです。私は「記者」という職業を選び、40年以上も「言葉」を信じて仕事をしてきたので、まさに彼の説は、コペルニクス的転回の発想であり、衝撃を受けたわけです。人類は699万年間、平和だったのに、言葉の威力によって、わずか1万年前から暴力的になったというのですから。

小倉城

 山極氏が専門のゴリラは、決して暴力的な動物ではなく平和を愛好して、リーダーは仲間割れしないよう制裁したり、気を配ったりしているというのです。よく誤解されているのは胸を叩くドラミングで、これは相手を威嚇する意味ではなく、相手と戦わずして引き分けにする表現だったというのです。

 ゴリラは言葉を持っていないので、自分が見ている世界しか共有できない。一方の人間は、言葉を使うので、見た世界を言葉で表現する。それによって、同じ集団や共同体(せいぜい150人程度)以外に住む世界の別の人間にも情報が伝わる。それが、良い方向で伝わればいいのですが、誤解したり、曲解したりして、相手を傷つけたり、猜疑心、嫉妬心、敵対心などネガティブな感情が生み、人間を暴力的に至らしめる、というわけです。

 私は、言葉より、今はSNSや動画の方が影響が強いと思っていますが、同じことかもしれません。

 山極氏は、このように暴力性を生まないよう防ぐにはどのようにしたら良いのか、ズバリ処方箋を語っていました。それは、言葉に片寄り過ぎないようにして、身体的コミュニケーションを増やすことだというのです。一緒に、食事をしたり、スポーツをしたり見たり、音楽を聴いたり演奏したり、ボランティアをしたりすることによって、相手の気持ちや感情を理解するようにすれば良いというのです。

 確かに、契約や条約締結などは言葉のやり取りで済むはずですが、例えば、わざわざロシアのプーチン大統領が、北朝鮮の金正恩総書記に会うために平壌にまで出かけたりするのは、まさに握手したり、食事を一緒にしたりして身体的コミュニケーションを図って、初めて信頼関係が生まれるからなのでしょう。

 山極氏は若い人からの質問に面白い助言をしていました。

 友達と一緒に夕焼けを見たら良いよ。言葉が出ないでしょう。感動して言葉が見つからないでしょう。人間も自然と付き合うことで相手に近づけて、相手の気持ちも分かるかもしれませんよ。

 うーん、確かにそうですね。しかし、「言葉が人類に暴力性を生んだ」と言われると私は困ってしまいます。何しろ、言葉だけを頼りにこれまで生きてきた人間ですから。。。

「古典に学べ」「移動の自由を尊重せよ」

 正直、このコロナ禍の御時世、テレビは見るに堪えられない下らない番組ばかりやっていますが、たまたま見たNHK-BS「コロナ新時代への提言」には引き込まれてしまいました。私が見たのは30日(土)の再放送なので、既に御覧になった方も多いかもしれません。

 人類学者の山極寿一・京都大学総長、歴史学者の飯島渉・青山学院大学教授、哲学者の國分功一郎・東京大学准教授の3人が別々にリモートでインタビュー出演し、それぞれの専門の立場から発言していました。個別に撮影されたのは、4月下旬から5月初めにかけてなのですが、全く古びておらず、「これからアフリカや南米に感染が拡大することでしょう」といった「予言」もズバリ当たったりして、久しぶりに知的興奮を味わいました。

 しっかり、メモでも取っておけば、正確に番組内容を再現できたかもしれませんが、そのまま見てしまったので、覚えている印象的なことをー。

フィンランドの「カルフ」靴、また買っちゃいました。宣伝ではありません!

 まず、ヒトとウイルスとの関わりについて、歴史学者の飯島教授は、1万年前に遡ることができる、と言います。この時、農業が開始され、地球自然の生態系が破壊され、ウイルスが地表に出て、人間に感染する。同時に野生動物を飼いならし家畜化したため、動物から人間にウイルスが感染するようになったといいます。分かりやすいですね。

 となると、今後も人間が、地球の自然破壊をし続け、温暖化になれば、例えば、北極や南極の氷が解け、深海から今まで見たこと聞いたこともなかった微生物やウイルスが出てくるに違いない、と人類学者の山際教授も指摘していました。

哲学者アガンベンの主張「死者の権利」と「移動の自由」

 私がこの番組で一番感銘を受けたのは、哲学者の國分准教授の話でした。國分氏は、イタリアの哲学者ジョルジョ・アガンベンの発言を引用します。アガンベンは、政府が感染拡大防止策として都市封鎖をしましたが、感染で亡くなった人の家族の葬儀もできず、死に目にも会えない状況を批判し、ネット上の炎上のような物議を醸したといいます。それでも、アガンベンはひるまず、「死者の権利」と「移動の自由」を主張します。

 國分氏の解説によると、「死者の権利」とは、彼らの生前の言動を尊重し、亡くなった人の尊厳を取り戻すべきだということです。つまり、過去に学ぶということで、書物等を通して歴史を学び直すということです。そうでなければ、現代という表面的な薄っぺらな現象だけで、皮相的思想になってしまう、と危ぶむのです。そうですね。これは、ストンと腑に落ち納得しました。自戒を込めて言いますが、我々は、くだらないテレビばかり見ないで、古典から学ぶべきです。

 もう一つの「移動の自由」というのは、最初に聞いてピンと来なかったのですが、自由の中で最も重要視されなければならないのが移動の自由だというのです。國分氏は、ベルリンの壁崩壊などの東欧革命は、移動の自由を制限された若者たちの異議申し立てが大きかったといいます。犯罪を犯した人に対する刑の最高は死刑で、最も軽いのは罰金ですが、あとは、懲役刑で牢屋に拘束されます。つまり、移動の自由を禁じられるということです。となると、一般の人でも、移動の自由が禁じられることは、刑罰に近いというわけです。

 東独出身のメルケル首相は、自分の体験として、その苦痛が分かりきっているからこそ、ドイツ国民に対して、「人間に対する移動の自由を制限することはやってはいけないことだが、生命に関わることで、この事態では致し方ないので、国民の理解を得たい」と正直に演説したため、共感され、結果的に欧州の中でも、ドイツは被害を最低限に抑え込むことにつながったといいます。

 哲学者アガンベンが主張する「古典に学べ」と「移動の自由を尊重しろ」というこの二つを聞いて、私もこのブログを書かずにはいられませんでした。