今年も機密情報について色々と見聞しております

 2022年(令和4年)、明けましておめでとう御座います。

 今年もご指導ご鞭撻のほど宜しくお願い賜わります。

 何しろ、ブログ執筆は、老骨に鞭を打って、家内制手工業でほぼ毎日やっているもんですから、今年はいつまで続くかどうか…。皆様からの温かいご支援と、「渓流斎の野郎、今日は何を書いているんだ」という皆様からのチェック(広告も)だけが頼りで御座いまする。

 今年の年末年始は、皆さんとほとんど変わらない生活でした。大晦日は、やはり、某公共放送の「紅白」は見ないで、書斎でタル・ファーロウを聴きながら、何やらかんやらして除夜の鐘も聞かずによゐこは寝てしまいました。

 お正月は、お節料理とお酒のバラ色の日々。2日は、孫たちが遊びに来てくれて、てんやわんやの大騒ぎでした。この良心的なブログは、秘密組織が監視しているようなので、あまり書きたくないのですが、娘婿の一人と英語で雑談していたら「Area 51」の話を聞きました。私自身、聞いたことがないので「知らないなあ」と応えたら、「えっ!? そんなこと知らないんすかあ~」と吃驚した顔をされてしまいました。

  Area51というのは、米ネバダ州にある米軍秘密基地の総称で、ステルス戦闘機など秘密兵器などがここで極秘に開発されたと言われます。2013年になって米CIAが、やっとその存在を公式に認めたといいます。超軍事機密ですから、立ち入り禁止どころか、撮影も録画も禁止です。鉄条網が張り巡らされた外部の看板には「Use of deadly force is authorized」と表示されています。

 どう訳したらいいものか?「もし、貴方が許可なく近付いて殺されても当局は責任を問われません」といった意味に近い気がします。西部劇か?と突っ込みたくなりますが、これは冗談ではなく現実です。

 賢い婿殿は言います。「結局、アメリカ合衆国を動かしているのは大統領じゃないんですよ。オバマにしろ、トランプにしろ、バイデンにしろ、4年か8年経てばそれで終わり。結局、何十年も政権を裏で支えている官僚が動かしているのでしょうが、それが、CIAなのか、FBIなのか誰も分からない。NSC(国家安全保障会議)でもない気がする。米国民でさえ、知らされていない秘密の闇の部分がいっぱいありますよ。いまだにケネディ暗殺の公式文書は公開されていない。公開されたら大変なことになるからでしょう」と言うのではありませんか。

 やはり、いつの時代も、機密情報が世の中を動かしているわけです。

また、リュックサックを買ってしもうた。左が新しく購入したHelly Hansen ヘリーハンセン(1877年、創業ノルウェー)1万6280円。計量で肩に掛けやすい。右のanelloは、とても安いので、電車に乗っても街を歩いても全く同じモノをしょってるおばさんを何人も見掛けて気まずくなってしまいました(笑)。確か、3000円ぐらい。

 そしたら、今日3日になって、「えーー!」と驚くことがありました。私の会社の先輩で毎年、年賀状をやり取りしている、今も現役で演劇評論家をなさっている斯界では有名な横溝幸子氏から、年賀状の返信が早くも届き、「横溝光睴は私の父親です」と応えてくださったので、吃驚したわけです。

 この横溝光睴(よこみぞ・みつてる、1897~1985年)とは、戦前の内務省のエリート官僚で、このブログでも以前に取り上げさせて頂きましたが、昨年11月27日(土)にオンラインで開催された第40回諜報研究会で、講師の岸俊光氏の「日本型インテリジェンス機関の形成」という演題の中で登場された主要人物でした。

 岸氏は、毎日新聞記者出身で、日本政府の情報を統括する内閣調査室(内調)の研究では第一人者です。そして、横溝光睴氏は、内調の前身に当たる戦前の内閣情報機構の創設の経緯について記した「内閣情報機構の創設」を執筆した一高~東京帝大卒の内務官僚で、戦前に福岡県警特高課長や内閣情報部長、岡山、熊本両県知事、朝鮮の京城日報社長なども歴任した人でした。

 私の会社の先輩の横溝幸子氏の父親は、戦前の内務官僚だったという噂を聞いたことがありましたが、苗字が同じ横溝光睴は、伯父さんか、親類縁者ではないかと思い、今年の年賀状に一言添え書きして質問したら、直ぐに、 「横溝光睴は私の父親です」 との返事が葉書で返って来たのでした。資料に関しては、全て国立公文書館に寄贈した、という話でしたが、それにしても、そんな凄い方が御尊父だったとは知りませんでした。

「冷戦期内閣調査室の変容」と「戦後日本のインテリジェンス・コミュニティーの再編」=第35回諜報研究会

 4月10日(土)午後にZOOMオンラインで開催された第35回諜報研究会(インテリジェンス研究所主催、早大20世紀メディア研究所共催)に参加しました。ZOOM会議は3回目ぐらいですが、大分慣れてきました。S事務局長様はじめ、「顔出し」しなくてもオッケーというところがいいですね(笑)。今回私は顔出ししないで、質問までしてしまいました。勿論、露出されたい方は結構なんですが、私は根っからの照れ屋ですし、失礼ながら「野次馬根性」で参加していますから丁度いい会合です。インテリジェンスに御興味のある方は、気軽に参加できますので、私は主催者でもないのにお勧めします。

 でも、研究会は、素人さんにはかなり堅い内容で、理解するのには相当厳しいと思われます。お二人の報告者が「登壇」しましたが、正直、まだお二人の著書・訳書は拝読していないので、私自身もついていくのが大変でした。まあ、長年の経験と知識を総動員してぶら下がっていた感じでした。

岸俊光氏「冷戦期内閣調査室の変容ー定期報告書『調査月報』『焦点』を手がかりにー」

◇「冷戦期内閣調査室の変容ー定期報告書『調査月報』『焦点』を手がかりにー」

 最初の報告者は岸俊光氏でした。早大、駒大非常勤講師ですが、現役の全国紙の論説委員さんです。諜報研究会での報告はこれで4回目らしいのですが、私も何回か会場で拝聴し、名刺交換もさせて頂きました。そんなことどうでもいい話ですよね(笑)。報告のタイトルは「冷戦期内閣調査室の変容ー定期報告書『調査月報』『焦点』を手がかりにー」でした。

 何と言っても、岸氏は首相官邸直属の情報機関「内閣調査室」、俗称「内調」研究では今や日本の第一人者です。「核武装と知識人」(勁草書房)、「内閣調査室秘録」(文春新書)などの著書があります。

◇内調主幹の志垣民郎

 何故、岸氏が、内調の第一人者なのかと言いますと、内調研究には欠かせない二人のキーパースンを抑えたからでした。一人は、占領下の1952年4月9日、第3次吉田茂内閣の下で「内閣総理大臣官房調査室」として新設された際、その創設メンバーの一人で20数年間、内調に関わった元主幹の志垣民郎氏(経済調査庁から転籍、2020年5月死去)です。岸氏は志垣氏の生前、何度もインタビューを重ね、彼が残した膨大な手記や記録を託され、本も出版しました。

◇ジャーナリスト吉原公一郎氏

 もう一人は、ジャーナリスト吉原公一郎氏(92)です。彼の段ボール箱4箱ぐらいある膨大な資料を岸氏は託されました。吉原氏は「中央公論」の1960年12月号で、「内閣調査室を調査する」を発表し、一大センセーションを巻き起こすなど、内調研究では先駆者です(「謀略列島 内閣調査室の実像」新日本出版社 など著書多数)。吉原氏は当時、「週刊スリラー」(森脇文庫)のデスクで、内部資料を内調初代室長の村井順の秘書から入手したと言われています。私は興味を持ったのは、この「週刊スリラー」を発行していた森脇文庫です。これは、確か、石川達三の「金環食」(山本薩夫監督により映画化)にもモデルとして登場した金融業の森脇将光がつくった出版社でした。森脇は造船疑獄など政界工作事件で何度も登場する人物で、政治家のスキャンダルを握るなど、彼の情報網はそんじょそこらの刑事や新聞記者には及びもつかないぐらい精密、緻密でした。

 あら、話が脱線してしまいました。実は今書いたことは、岸氏が過去三回報告された時の何度目かに、既にこのブログで書いたかもしれません。そこで、今回の報告で何が私にとって一番興味深かったと言えば、内調を創設した首相の吉田茂自身が、内調に関して積極的でなかったのか、政界での支持力が低下して実力を発揮できなかったのか、そのどちらかの要因で、大した予算も人員も確保できず、外務省と旧内務省(=警察)官僚との間の内部抗争で、中途半端な「鬼っ子」(岸氏はそんな言葉は使っていませんが)のような存在になってしまったということでした。岸氏はどちらかと言えば、吉田茂はそれほど熱心ではなかったのではないかという説でした。

◇保守派言論人を囲い込み

 もう一つは、内調を正当化したいがために、先程の志垣氏らが中心になって、保守派言論人を囲い込み、接待攻勢をしていたらしいことです。その代表的な例が「創価学会を斬る」で有名な政治評論家の藤原弘達で、内調主幹だった志垣民郎と藤原弘達は東大法学部の同級生で、志垣氏は約25年にわたり接待攻勢を繰り広げたといいます。他に内調が接近した学者らの中に高坂正堯や劇作家の山崎正和らがいます。

 内調が最も重視したのは日本の共産化を防ぐことだったため、定期刊行物「調査月報」「焦点」などでは、やはりソ連や中国の動向に関する論文が一番多かったことなども列挙していました。

小谷賢氏「戦後日本のインテリジェンス・コミュニティーの再編」

 もう一人の報告者は、小谷賢・日大危機管理学部教授でした。ZOOMに映った画面を見て、どこかで拝見したお顔かと思ったら、テレビの歴史番組の「英雄たちの選択」でゲストコメンテーターとしてよく出演されている方だったことを思い出しました。

◇「戦後日本のインテリジェンス・コミュニティーの再編」

 報告のタイトルは「戦後日本のインテリジェンス・コミュニティーの再編」で、岸氏の研究の内閣調査室も小谷氏の専門範囲だったことを初めて知りました。テレビでは、確か、古代から戦国、幕末に至るまで的確にコメントされていたので、歴史のオールマイティかと思っていましたら、専門は特に近現代史の危機管理だったんですね。

 テレビに出る方なので、テレビ番組を見ているような錯覚を感じでボーと見てしまいました(笑)。

 彼の報告を私なりに乱暴に整理すると、戦前戦中にインテリジェンスの収集分析の中核を担っていた軍部と内務省が戦後、GHQによって解体され、それらの空白を埋めるべき内閣調査室が設置されたが、各省庁の縦割りを打破することができず、コミュニティーの統合に失敗。結局、警察官僚の手によって補完(調査室長、公庁第一部長、防衛庁調査課長、別室長のポストを確保)されていくことになるーといったところでしょうか。

◇「省益あって国益なし」

 戦前も、インテリジェンス活動に関しては、内務省と外務省が対立しましたが、戦後も警察と外務省が覇権争いで対立します。小谷氏によると、警察は情報をできるだけ確保しておきたいという傾向があり、外務省は、情報は政策遂行のために欲しいだけで、手段に過ぎないという違いがあるといいます。いずれも、政府に対して影響力を持ちたいという考えが見え隠れして「省益あって国益なし」の状態が続いたからだといいます。これはとても分かりやすい分析でした。将来悲観的かといえば、そうでもなく、若い官僚の中には軛と省益を超えて国益のために活躍してくれる人がいるので大いに期待したいという結論でした。

◇歴史学者の役割

 小谷氏は、明治から現代まで、日本のインテリジェンス・コミュニティー通史を世界で初めてまとめたというリチャード・サミュエルズ(米MIT政治学部教授)著「特務」(日本経済新聞出版、2020年)の翻訳者でもありました。三島由紀夫事件のことも少し触れていたので、同氏の略歴を調べてみたところ、1973年生まれで、若い(?)小谷教授にとって、1970年の「三島事件」は生まれる前の出来事だったので、吃驚してしまいました。別に驚くことはないんでしょうが、歴史学者は、時空を超えて、同時代人として経験しないことまでも、膨大な文献を読みこなしたり、関係者に取材したりして身近に引き寄せて、経験した人以上に詳細な知識と分析力を持ち得てしまうことを再認識致しました。