日本の右翼思想は左翼的ではないか?=立花隆著「天皇と東大」第2巻「激突する右翼と左翼」

長い連休の自宅自粛の中、相変わらず立花隆著「天皇と東大」(文春文庫)を読んでいます。著者が「文庫版のためのはしがき」にも書いていますが、著者が考える昭和初期の最大の問題点として、どのようにして右翼超国家主義者たちが、日本全体を乗っ取ってしまようようなところまで一挙に行けたか、ということでした。それなのに、これまで日本の多くの左翼歴史家たちは、右翼をただの悪者として描き、その心情まで描かなかったので、あの時代になぜあそこまで天皇中心主義に支配されることになったかよく分からなかったといいます。

 それなら、ということで、著者が7年間かけて調べ上げて書いたのがこの本で、確かに、歴史に埋もれていた右翼の系譜が事細かく描かれ、私も初めて知ることが多かったです。

 私が今読んでいるのは、第2巻の「激突する右翼と左翼」ですが、語弊を怖れず簡単な図式にすれば、「左翼」大正デモクラシーの旗手、吉野作造教授(東大新人会)対「右翼」天皇中心の国家主義者上杉慎吉教授(東大・興国同志会)との激突です。

 吉野作造の有名な民本主義は、天皇制に手を付けず、できる限り議会中心の政治制度に近づけていこうというもので、憲政護憲運動や普選獲得運動に結び付きます。吉野の指導の下で生まれた東京帝大の「新人会」は、過激な社会主義や武闘派田中清玄のような暴力的な共産主義のイメージが強かったのですが、実は、設立当初は、何ら激烈ではない穏健な運動だったことがこの本で知りました。

 新人会が生まれた社会的背景には、労働争議や小作争議が激化し、クロポトキン(無政府共産主義)を紹介した森戸事件があり、米騒動があり、その全国規模の騒動に関連して寺内内閣の責任を追及した関西記者大会での朝日新聞による「白虹事件」があり、それに怒った右翼団体浪人会による村山龍平・朝日新聞社長への暴行襲撃事件があり、そして、この襲撃した浪人会と吉野作造との公開対決討論会があり…と全部つながっていたことには驚かされました。民本主義も米騒動も白虹事件も個別にはそれぞれ熟知しているつもりでしたが、こんな繋がりがあったことまでは知りませんでしたね。

 一方の興国同志会(1919年)は、この新人会に対抗する形で、危機意識を持った国家主義者上杉慎吉によって結成されたものでした。(その前に「木曜会」=1916年があり、同志会解体分裂後は、七生会などに発展)。この上杉慎吉は伝説的な大秀才で、福井県生まれで、金沢の四高を経て、東京帝大法科大学では成績抜群で首席特待生。明治36年に卒業するとすぐ助教授任命という前代未聞の大抜擢で、独ハイデルベルク大学に3年間留学帰国後は、憲法講座の担当教授を昭和4年に52歳で死去するまで20年間務めた人でした。(上杉教授は、象牙の塔にとじ込まらない「行動する学者」で、明治天皇崩御後、日本最大の天下無敵の最高権力者となった山縣有朋に接近し、森戸事件の処分を進言した可能性が高いことが、「原敬日記」などを通して明らかになります)

 上杉博士の指導を受けた興国同志会の主要メンバーには、後に神兵隊事件(昭和8年のクーデタ未遂事件)の総帥・天野辰夫や滝川事件や天皇機関説問題の火付け役の急先鋒となった蓑田胸喜がいたことは有名ですが、私も知りませんでしたが、安倍首相の祖父に当たる岸信介元首相(学生時代は成績優秀で、後の民法学者我妻栄といつもトップを争い、上杉教授から後継者として大学に残るよう言われたが、政官界に出るつもりだったので断った。岸は上杉を離れて北一輝に接近)もメンバーだったことがあり、陽明学者で年号「平成」の名付け親として知られる安岡正篤も上杉の教え子だったといいます。

緊急事態宣言下の有楽町駅近

 私は、左翼とか右翼とかいう、フランス革命後の議会で占めた席に過ぎないイデオロギー区別は適切ではない、と常々思っていたのですが、この本を読むとその思いを強くしました。

 例えば、日本で初めてマルクスの「資本論」を完訳(1924年)した高畠素之は、もともと堺利彦の売文社によっていた「左翼」の社会主義者でしたが、堺と袂を分かち、「右翼」の上杉慎吉と手を組み、国家社会主義の指導者になるのです。

 立花氏はこう書きます。

 天皇中心の国粋的国家主義者である上杉慎吉と高畠素之が組んだことによって、日本の国家社会主義は天皇中心主義になり、日本の国家主義は社会主義の色彩を帯びたものが主流になっていくのである。…北一輝の「日本改造法案大綱」も、改造内容は独特の社会主義なのである。つまり、日本の国家革新運動は「二つの源流」ともども天皇中心主義で、しかも同時に社会主義的内容を持っているという世界でも独特な右翼思想だったのである。それは、当時の国民的欲求不満の対象であった特権階級的権力者全体(元老、顕官、政党政治家、財閥、華族)を打倒して、万民平等の公平公正な社会を実現したいという革命思想だった。天皇中心主義者のいう「一視同仁」とは、天皇の目からすれば全ての国民(華族も軍人も含めて)がひとしなみに見えるということで、究極の平等思想(天皇以外は全て平等。天皇は神だから別格)なのである。(120ページ)

 これでは、フランス人から見れば、日本の右翼は、左翼思想になってしまいますね。

 「右翼」の興国同志会の分裂後の流れに「国本社」があります。これは、森戸事件で森戸を激しく非難した弁護士の竹内賀久治(後に法政大学学長)と興国同志会の太田耕造(後に弁護士、平沼内閣書記官長などを歴任し、戦後は亜細亜大学初代学長)が1921年1月に発行した機関誌「国本」が発展し、1924年に平沼騏一郎(検事総長、司法大臣などを歴任。その後首相も)を会長として設立した財団法人です。最盛期は全国に数十カ所の支部と11万人の会員を擁し、「日本のファッショの総本山」とも言われました。

 国本社の副会長は、日清・日露戦争の英雄・東郷平八郎と元東京帝大総長の山川健次郎、理事には、宇垣一成、荒木貞夫、小磯国昭といった軍人から、「思想検察のドン」として恐れられた塩野季彦や当時の日本の検察界を代表する小原直(後に内務相や法相など歴任)、三井の「総帥」で、後に日銀総裁、大蔵相なども歴任した池田成彬まで名前を連ねていたということですから、政財官界から支持され、かなりの影響力を持っていたことが分かります。

 まだ、書きたいことがあるのですが、今日は茲まで。

 ただ、一つ、我ながら「嫌な性格」ですが、133ページで間違いを発見してしまいました。上の写真の左下の和服の男性が「上杉慎吉」となっていますが、明らかに、血盟団事件を起こした東京帝大生だった「四元義隆」です。この本は、2012年12月10日の初版ですから、その後の増刷で、恐らく、差し替え訂正されていることでしょうが、あの偉大な立花隆先生でもこんな間違いをされるとは驚きです。この本は、鋳造に失敗した貨幣や印刷ミスした紙幣のように高価で売買されるかもしれません。(四元義隆氏は戦後、中曽根首相、細川首相らのブレーンとなり、政界のフィクサーとしても知られます)

 いや、自分のブログの古い記事のミスを指摘されれば、色をなすというのに、この違いは何なんでしょうかねえ。我ながら…。

お笑いロバート秋山竜次さんも関係していた満洲物語

哈爾濱学院跡

満洲(現中国東北地方)と聞くと、どうも気になります。

縁も所縁もないわけではなく、個人的にはただ一つ、唐津の伯父(母親の実兄)が、一兵卒として赤紙で徴兵された所でした。

伯父は、行き先も目的も告げられることなく、何処とも分からない所に連れて行かれた場所は、中国大陸の戦場。弾丸が飛び交う中、奇跡的に命を保ったものの、戦後はシベリアに抑留され、終戦後1年か2年経ってからやっと日本に帰国できたという話を聞いたことがあります。

私が子どもの頃に、伯父が自宅に遊びに来た時に聞いただけなので、詳しいことは聞いていません。シベリアに抑留されたということは、戦場は、ソ連軍が侵攻した満洲だったのでは、と想像するだけです。近現代史に興味を持ち、もっと詳しく話を聞くべきだと思った時は、既に亡くなっていて、後の祭りでした。

伯父は歌が好きで、うまかったので、「東京行進曲」などを歌って抑留された戦友たちを慰めていたといった話だけは聞いたことがあります。

◇戦後活躍した満洲関係者

その程度の私と満洲との御縁なのですが、戦後活躍した人たちの中で、結構、満洲にいた人が多かったことが後々になって分かります。

赤塚不二夫、ちばてつや、森田拳次といった漫画家、アナウンサーから俳優に転身した森繁久弥、甘粕正彦理事長の満映から東映に移った内田吐夢監督や李香蘭ら映画人、指揮者の小澤征爾(奉天生まれ。父開作は協和会創設者)、安倍首相の祖父岸信介、東条英機らニキサンスケ、このほか、哈爾濱生まれの加藤登紀子、タレントの松島トモ子も奉天生まれ…いや、もうキリがないのでやめておきますが、皆様も御存知の松岡さんのご尊父松岡二十世や哈爾濱学院出身のロシア文学者内村剛介も忘れずに付け加えておきます。

有名人でこれだけ沢山いるわけですから、満蒙開拓団などで満洲に渡り、ソ連侵攻で亡くなった無名の人々は数知れずということになります。

満洲関係者については、ある程度、知っているつもりでしたが、最近になって知った人も出てきました。

◇「スターリン死去」をスクープした人

ノンフィクション作家野村進氏のご尊父さんです。この方、通信社の記者として1953年の「スターリン死去」をスクープした人でした。東京外国語大学の学生時代に学徒動員で満洲に渡り、ソ連軍の侵攻でシベリア抑留。なまじっかロシア語ができたことからスパイと疑われ、4年半も抑留され、凄惨な拷問に遭っていたことを、野村氏が10月29日付日経夕刊のコラムに書いておられました。

◇満洲第3世代

もう1人は、お笑いトリオ・ロバートの秋山竜次さん。10月29日にNHKで放送された番組「ファミリーヒストリー」で初めて明かされたところによりますと、この方は「満洲第3世代」で、父方の祖父秋山松次さんが、北九州門司で、ある事件があったことがきっかけで妻と長女を連れて満洲に渡っていました。

炭鉱で働き、50人も雇うほど羽振りの良い生活でしたが、松次さんは昭和19年に突然、帰国することを決意します。その理由がソ連が満州に侵攻することを予測したからだというのです。松次さんがどういう情報網を持っていたのか分かりませんが、凄い機転と言いますか、カンが働く人だったんですね。残っていたら、ほぼ間違いなく、戦死か抑留死した可能性が高く、そうなっていたら、お笑いトリオ・ロバートの秋山竜次さんもこの世に存在しなかったわけですから。(母方の祖父は台湾に関係していたり、父親が若い頃、東映の大部屋俳優で梅宮辰夫と「共演」したことがあったり、不思議な縁がつながっていて、大変面白い番組でした)