激震の1990年代の放送界を振り返る=隈元信一著「探訪 ローカル番組の作り手たち」を読みながら

 隈元信一著「探訪 ローカル番組の作り手たち」(はる書房、2022年2月11日初版)を読んでおります。

 全国放送のキー局ではなく、地域に密着した地方のラジオ、テレビの番組を制作するプロデューサーやディレクター、アナウンサーらを訪ね歩いてインタビューしたルポで、日本民間放送連盟が発行する隔月刊誌「民放」に連載していたのを加筆修正したものです。

 書店向け?のパンフレットを見ると、著者は、北海道から沖縄まで全国津々浦々の53の放送局などを訪ねて、まさに足で稼いで書いた労作と言えます。原稿料は高額とは思えず、取材費は相当本人が「持ち出し」たことでしょう(笑)。

 著者の隈元さんは、元朝日新聞論説委員で、長年、放送行政や番組等の取材に携わってきた方です。新聞社在職中から退職後も母校の東大や青学大などの大学で講師として教壇に立ち、後進を指導してきました。

 その隈元さんとはもう30年以上昔の1990年、東京・渋谷のNHKの11階にあった放送記者クラブ「ラジオ・テレビ記者会」で私も御一緒し、裏社会のように(笑)しのぎを削ったものでした。というより、私の方が何も知らない新参者だったので一方的にイロハを教えてもらったものでした。

 当時のNHKは、「シマゲジ」と呼ばれた政治部宏池会担当だった島桂次さん(故人)が会長で、民放が反発するほど商業化路線を進め、そのいわゆる独裁的采配が色々と週刊誌ネタになるほどで、私も本当に孤軍奮闘で「夜討ち朝駆け」で取材したものでした。

 NHKという大所帯の公共放送は、予算が国会で承認されなければならないので、人事権まで有力国会議員に握られています。NHKの許認可省庁は当時郵政省でしたから、いわゆる「郵政族」と呼ばれる国会議員が幅を利かしていました。島会長は、放送衛星打ち上げにまつわり、国会での虚偽答弁問題が起こり、会長の地位が危ぶまれた時に、当時「郵政のドン」と言われた野中広務氏(故人=後の官房長官、自民党幹事長)を議員宿舎まで私も夜討ちしたものでした。

 忍者のような奇妙な動きをするよく太った日経記者の裏を掻い潜って、担当記者が少ない零細企業同士である(失礼!)毎日新聞の浜田記者とタッグを組んで野中氏を急襲したのですが、意外にもあっさりと部屋の中に入れてくれて、色々と話をしてくれたものでした。

 それでも、隈元さんら、人数が潤沢な朝日チームは一歩も二歩も他社をリードし、次期会長候補までつかんでおりました。何と言っても、島会長の国会虚偽発言疑惑は、朝日新聞のスクープでしたから。

 本の内容から少し外れてしまいましたが、NHK記者クラブでの御縁でその後も、隈元さんを始め、当時の記者たちとの付き合いは40年近く経っても続いています。この本の巻末で、「あとがきにかえて」と題して、「隈元出版基金呼びかけ人」でTBSディレクターだった石井彰氏が「放送記者三羽ガラス」として隈元さんのほかに、読売新聞の鈴木嘉一氏、毎日新聞の荻野祥三氏の名前を挙げておられますが、肝心な御一人を忘れていますねえ。その人は「扇の要」のような仕掛け人でしたが、実は放送事業者として情報収集する裏の顔を持ち、表に出たがらない黒幕記者だったので敢えて名前は秘すことにします(笑)。

 とにかく、当時のNHK記者クラブは梁山泊のような溜まり場でした。もう鬼籍に入られましたが、日経から立命館大教授に転身した松田浩さんや、ザッキーことサンケイスポーツの尾崎さん、東京新聞の村上さん、産経の岩切さんと安藤さん、報知の稲垣さんら「雲の上の存在」だった大御所と、スポニチの島倉記者、日刊の新村記者、東タイの安河内記者ら奇跡的にも本当に優秀でユニークな記者揃いでした。

 私は会社の人事上の一方的都合で、放送記者会にはわずか1年半しかいませんでしたが、先程の恐ろしい黒幕さんが、情報交換会とも言うべきセミナー会合を毎月1回は、東京・渋谷のおつな寿司で開催してくれたので、彼らとの交流はその後も続いたわけです。

◇361人からの募金

 さて、この本の「まえがき」や「あとがき」にも触れられているように、著者の隈元さんは、昨年夏に病気が見つかり、今もそのリハビリの真っ最中です。高額の治療費が掛かっていることから、あとがきを書かれた石井氏らが「隈元出版基金呼びかけ人」となり、SNSなどを通して出版のための募金を呼び掛けたところ、何と、昨年末の時点で361人もの人からの応募があったといいます。信じられないくらい凄い数です。こんなに多くの人から愛されているのは、隈元さんの人徳でしょう。

 私が放送担当記者だった30数年前、BSだけでなく、CSなどマルチ放送が始まり、「ニューメディア」と呼ばれていました。私も黒幕さんのお導きで取材先を紹介してもらい、(その中には東急電鉄現社長の渡辺功氏までおります)連載企画記事を書いたことがありますが、激動の時代でした。そんな中、地方局は、キー局からの番組配信を受けるだけで制作すら出来ない「炭焼き小屋」になってしまうという理論が流行しました。

 しかし、おっとどっこい。この本に登場する人たちのように地元に立脚した地方でしか出来ない質の高い番組を制作する人たちがいて、炭焼き小屋になるどころか、地元の視聴者からの熱烈な支援も得ているのです。特に、日本は「災害王国」ですから、災害放送する臨時ラジオ放送局がどれだけ役立ったことか。

 一方、NHKの凋落は惨憺たるものです。失礼ながら、NHKのニュースは、見るに値しないほどつまらない。全国一斉中継なのに「東京23区大雪警報」(結果的に外れた)を長々とやったり、汚職と疑惑だらけの五輪放送を垂れ流したりして倫理観すら疑われます。

 その点、30年前の島桂次会長には先見の明がありました。英BBC、米CNNに追いつけ追い越せとばかりに、グローバル・ニューズ・ネットワーク(GNN)構想を打ち出しましたが、途中で失脚してしまいました。結果的に急進的過ぎたことが難点でした。が、島会長の右腕と言われた、NHKの広報室長だった小野善邦氏(故人)が書いた「本気で巨大メディアを変えようとした男―異色NHK会長『シマゲジ」」(現代書館、2009年5月)を読んで、初めて島会長の目指した真意が分かり、結果的に「島降ろし」のお先棒を担いだことになった我々も反省したものでした。

 隈元さんは、驚異的なリハビリの末、回復に向かっていると聞きます。次の著作は是非、あの大手商社も絡んだ1990年代の放送界の激動史を書いてもらいたいものです。

【追記】当日

本文中に「忍者のような奇妙な動きをするよく太った日経記者の裏を掻い潜って」と書いたところ、早速、熱心な愛読者の方からメールが来ました。

 「その太った日経記者は、クイズ王の西村氏でしょうか?」

 クイズ王の西村? クイズ番組は見ないので知らなかったのですが、検索してみたら、元日経記者のクイズ王として西村顕治氏が出てきました。そして画像が出てきたので見てみたら、どうも彼らしい。彼は1965年生まれということで、1990年は25歳。当時、20代の若手に見えたので可能性は十分。確か政治部記者らしかったので、直接の接点はあまりありませんでしたが、体格が良くても忍者のように足が速く、敏捷性がありました。我々が議員宿舎前に着くと、サッと柱の陰に身を隠しておりましたが、如何せん、体格が良いので、柱からはみ出て丸見えでした。

 そんな懐かしいことを30年以上ぶりに思い出しました。