「テレビに出る事は不安に押し潰され、自分を追い詰めること」=島田紳助さん激白

高野山「不動堂」

 ここ最近続いている一連の「吉本騒動」について、昨日発売の「週刊新潮」8月1日号が「独占激白『島田紳助』大いに嘆く!『親と子のケンカに弁護士が入ったらアカン!』『宮迫博之』『田村亮』造反劇へのやるせない悲憤」と題して特集しておりました。この記事の中で、広域暴力団幹部との交際が明るみに出て芸能界を引退(2011年8月、えっ?もう8年前!?)した元吉本興業の島田紳助さん(63)が内部事情を激白していました。

 島田さんが後輩芸人に対して何と言ったか、についてはこの記事を読んでいただくとして(見出しだけでも分かります=笑)、私が注目したのは、島田さんが自身の芸能界復帰について、どんな発言をするかでした。

島田さんは、こんなふうに言ってます。

「そろそろテレビに出たいやろ、て言うてくるけど、そんなん、出たいわけがない。もういっぺん頑張らなあかんやんか。1年以上リハビリしないと無理ですわ。テレビに出る言うことは、不安に押し潰されながら、とことんまで自分を追い詰める。それを繰り返していると、ノイローゼみたいになってまうよ」

 いやあ、これを読んで深く考えさせられました。紳助さんほどの大ベテランで、何ら怖いものが一切ない自信家に見えても、テレビに出ることは相当な覚悟が要り、プレッシャーと闘い、不安に襲われていたことが分かり、意外だったのです。

 考えてみれば、「目立ちたい」とか「有名人になりたい」とか、ヒトには功名心とか、自己顕示欲は誰にでも持ち合わせていても、テレビに出れば、顔や名前が割れるだけでなく、住まいや家族構成までプライバシーも筒抜けで、酔っ払って醜態を晒すわけにはいかず、暴漢に襲われる危惧がなきにしもあらずで、平穏無事に安心して暮らせるとは限らなくなります。

 それでも「目立ちたい」「スターになりたい」というヒトに限って、そして何よりも大スターになったヒトに限って、必ずと言っていいくらい、家庭的に複雑だったり、生い立ちが不幸だったりします。まず、普通の平凡で幸せなサラリーマン家庭で育った大スターは皆無に近いです。

 汚泥に咲く蓮の花が綺麗なのと同じです。大衆に憧れや希望をもたらすスターのオーラが輝かしければ、輝かしいほど、指す影は深く暗いのです。(他に色々とあるのですが、これ以上は茲に書きません)

WST National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

 島田紳助さんの発言が載った同じ週刊新潮に、東映の大スターだった菅原文太の評伝が連載されていましたが、文太さんも幼少のとき両親が離婚するなど複雑な家庭で育ったことが描かれていました。(父親は河北新報の記者だったのに、画家を目指して退職して離婚)

 もう一人、真逆で、7月18日に起きた(ワイの誕生日やないけ!)悪名高い「京都アニメーション」放火殺人事件の青葉真司容疑者(41) の生い立ちもこの週刊誌に書かれていましたが、やはり、想像した通り、かなり複雑な家庭環境で育っていました。(両親は離婚し、父親に引き取られるも、タクシー運転手だった父親は事故を起こして廃業し自殺)勿論、複雑な環境に育ったからということで、犯罪を犯すとは限らないわけで(逆は真ではない)、彼に情状酌量はなく重罰に処すべきだとは思いますが。

 ということで、昨日発売された週刊誌のことを書きましたが、昨日このブログに書かなかったのは、「ブログの読者を増やしたい」という自分の浅ましさが昨日はつくづく嫌になったからでした。

 それに、島田紳助さんではありませんが、ブログを書くことによって、「不安に押し潰され、自分が追い込まれる」気分になることがあるのです。私自身、なるたけ自分の顔と諱(いみな)を出すことを避けていますが、不特定多数向けに書いてますから、因縁をつけようと思えば、できなくもありませんし、私のプライバシーを調べ上げて、考え方が違うという単純な理由で襲撃することもできます。

ま、考え過ぎかもしれませんが。