政治家や専門家の根拠のない扇動には乗らないこと=新型コロナ禍では不安を受け入れる覚悟を

吊り上げられる~富士山危うし Copyright par Duc de Matsuoqua

 もう異様に長いコロナ禍の影響で、どうも気分が落ち込みます。せっかく、確定申告を早々に済ませて有頂天になったのに、その爽快感は1日しか持ちませんでした。気分の落ち込みは自分だけではないので、まるで集団ヒステリーにでも罹ったような感じです。

◇二重マスクとは狂ってる

 街では自警団が蔓延っていて、神経がやられます。ラジオで聴いたのですが、ある40代の女性が電車の中でウレタンマスクを着けていたら、隣りの爺さんから怒られたそうです。それ以来、下が不織布で上がウレタンの二重マスクにしている、といった話をしていました。

 放送禁止用語を敢て使いますが、世の中狂ってますね。

 そして、何よりも、不可思議というより、不快に思うのは、毎日のようにテレビに出てくる「医者」「専門家」と称する人たちです。テレビに出る暇があるのだったら、身体を休めるか、殺人的に忙しい現場に駆け付けるのが本筋なのではないか、と他人事ながら思ってしまうのです。

 そんなに有名になりたいんでしょうか? 別に貴方の顔なんか見たくないし、話も聞きたくない。第一、今の新型コロナの本当の解決策なんて、誰も、分からないはずです。むしろ、分からないのが正解なのですから。

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◇「不安もまたいいもの」ー帚木蓬生さん

 その点、毎日新聞朝刊で、1月27日と2月3日の2回にわたって掲載された作家で精神科医の帚木蓬生さんのインタビュー記事は、自粛自粛のこの息苦しい毎日の最中で、一番参考になりました。

 帚木氏は、この新型コロナを対処する最も有効で最適な答えはない、と認めた上で、それどころか、そういった不安を軽減する方法もないとまでいうのです。「人間は不安やハラハラ、ドキドキの状態を嫌なものと捉えてしまいますが、その状態こそ一番良い状態なのです。剣豪・宮本武蔵も『五輪書』でそう書いています。不安もまたいいじゃないですか」とまで言うのです。

◇中ぶらりんを持ちこたえる「ネガティブケイパビリティー」

 そして、精神医学の用語の中に「ネガティブケイパビリティー」という考え方がある、といいます。これは、未解決な問題に、生半可な知識や意味付けを用いて、拙速に帳尻合わせをしないということで、そんな中ぶらりんな状態を持ちこたえることだといいます。

◇不安を受け入れる覚悟

 これは確かに、苦しいことで、「言うは易く行うは難し」の典型的な例かもしれません。が、「不安を受け入れる」という覚悟は、今の御時勢で最も必要とされることなのかもしれません。

 帚木氏は、このネガティブケイパビリティーという概念の良さは、分断や差別とは無縁で、共感を目指すところにあり、他者や理解できないことに共感し、寛容になる心を持つことだと強調していました。そして、何よりも、政治家の安易な言葉や扇動に乗らないよう戒めております。

 これはテレビなんかに出て、さもしたり顔で説明する専門家やコメンテーターらの扇動にも乗らないように、ということだと私は個人的に解釈しました。

「老活の愉しみ」で健康寿命を伸ばしましょう

  読んでいた本(「天皇と東大」)を後回しにして、帚木蓬生著「老活の愉しみ」(朝日新書)を一気に読んでしまいました。奥付の初版発行日が、2020年4月30日です。今日は、母親の誕生日でもある4月28日なので、書店に並んでいたものを素早く見つけて「事前に」に読んでしまったわけです(笑)。

 何で、そんなに急いでいたのかは理由があります。このブログにも書いてしまいましたが、忘れもしません。今月7日に、「ギッキリ脚」をやってしまい、歩行困難になってしまったからです。3週間経った今は、何とか歩けますが、「走るのが怖い」状態です。

 もう一つ。この渓流斎ブログは、「ほぼ毎日」書くことを勝手に自己に課していますが、体調不調のため、そうは言ってられなくなったからです。特に酷いのは眼精疲労で、目も開けていられないぐらいです。原因はスマホとパソコンのやり過ぎなのでしょうが、普通の人より、若い時から「液晶画面」は苦手で、すぐ眼痛が起きやすい体質でした。この眼痛が首痛に来て、それが腕が上がらないほどの肩凝りとなって、頭痛も激しくなり、ブログを書く気が起きなくなります。(そのお蔭で、筆が滑って、大切な友人をなくしてしまう機会も減って助かってますが=苦笑)

 そういう状況ですから、新聞広告でこの本を見つけて、幸いなことに、緊急事態宣言下でも会社の近くの築地の書店が開いていたので、買い求めることができたわけです。

 いやあ、素晴らしい本でした。著者の帚木氏は、御存知のように、東大文学部と九州大学医学部を卒業された方で、作家と医者(精神科医)の二足の草鞋を履いて、貫いている方です。しかも、両方とも超一流で、山本周五郎賞など文学賞の受賞は数多。私も30年ぐらい昔、出版社の記念パーティーでお会いして、名刺交換した程度ですが、「凄い人だなあ」と陰ながら尊敬していた人でした。

 ですから、「精神的不調は身を忙しくして治す」「脳が鍛えないと退化する」「食が全ての土台」「酒は百薬の長にあらず」といったこの本に書かれていることは、ほとんど納得しました。自分はかろうじて、まだ、政府国家が主張する高齢者ではありませんが、老人予備軍として実践していこうと思いました。

 例えば、「靴は健康の必需品」という章の中で、帚木氏は「靴こそは毎日世話になる必需品で、健康が大いに左右されます」として、「スポーツシューズは、何と言ってもフィンランドのカルフが気に入っています。軽くて、どれだけ長く歩いても疲れません。旅行のときはこのカルフに限ります」とまで書いていました。私も一瞬、資本主義の原理で、宣伝臭ささを感じましたが、著者を信頼しているので、早速、ネットで、このカルフとかいうスポーツシューズを注文してしまいました(笑)。足腰が弱ってきましたし、これからも趣味の「お城歩き」を続けたいですからね。

 このほか、人間、年を取ると誰でもサルコペニアと呼ばれる筋肉量が減少する傾向となりますが、同書では、これを予防するための運動(スクワットや下肢挙上運動など)も伝授してくれるので大変参考になります。

 精神科医としての帚木氏は、「森田療法」の権威で、その関連書籍も出版されていますが、森田療法では「症状は人に言わない。見せない。悟られない」というのが鉄則なんだそうです。というのに、渓流斎ブロブの主宰者は、浅はかにも、「あっちが痛い」「こっちが痛い」なぞと散々書きまくっていますね。

 駄目じゃん!