「延安での毛沢東の日本人洗脳工作と戦後GHQの工作の関係性」=第54回諜報研究会

11月18日(土)に早大で開催された第54回諜報研究会(インテリジェンス研究所主催)に参加して来ました。共通テーマは「延安での毛沢東の日本人洗脳工作と戦後GHQの工作の関係性」でした。活発な議論が展開されて興味深い会合でした。 

 最初に登壇されたのは、インテリジェンス研究所理事長の山本武利早稲田大学・一橋大学名誉教授で演題は「捕虜洗脳には難解な本を読ませろ!」でした。先の大戦の日中戦争の最中、中国・延安で毛沢東から日本兵捕虜の洗脳を全面的に委任された野坂参三が使った教育用テキストを山本氏が古書店で「高価格で」入手し、その内容が報告されました。

 野坂参三は、毛沢東やコミンテルンなどからの支援を得て、1940年10月に延安に日本工農学校を組織し、校長に就任しました。この時、使った変名が「林哲」でした。その林校長も「時事問題」の講座を持ち、日本兵捕虜への洗脳に一翼を担ったことが分かります。

 具体的に使われたテキストとして、青年コミンテルン編「無産者政治教程ー資本主義社会の解剖」(延安日本工農学校出版部)といったオリジナルの書籍のほか、野呂栄太郎著「日本資本主義発達の歴史的諸条件」など難解な書物ばかりでした。野呂栄太郎は慶応大学の野坂参三の後輩に当たり、戦前の日本共産党の理論的支柱になった人でしたが、拷問がもとで病状が悪化し33歳の若さで亡くなっています。彼は、慶大卒業後、朝日新聞の入社試験を受けたものの、思想チェックと思われる理由で落選し、合格したのは後にゾルゲ事件で処刑された尾崎秀実でした。(もう一人受験して不合格になった人が、尾崎秀実と東大大学院同期生の松岡二十世の可能性が高いことを、松岡将氏が「松岡二十世とその時代」に書いております。)

 話が少し逸れましたが、延安で使われたテキストが難解だったという話でした。報告者の山本氏は「日本兵捕虜たちの多くは小学校卒業程度の教育レベルだったにも関わらず、難解なテキストを使ったのは、『帝国主義』とか「労働搾取』とか、ちょっとかじっただけで、自分も革命の一翼を担えると洗脳する目的があったのではないか」と分析し、「また、集団の中で各自に自己批判をさせたのは、カルト宗教がやってきた手法と同じです。毛沢東率いる共産党のやり方は非常にシステマティックで凄いという言うほかない。その点、蒋介石率いる国民党は甘かった」とまで力説していました。

 次に登壇されたのは、山下英次大阪市立大学名誉教授で、演題は「日本列島全体を『洗脳の檻』と化した GHQ:また、米軍延安ミッションは何をもたらしたか?」でした。

 山下氏が展開する持論は、日本は戦後78年間、「非独立国」であり、GHQが仕掛けた「洗脳の檻」から抜け出していない、というものでした。その証拠に、独立国の三種の神器である①自前の憲法、②国防軍、③スパイ防止法に裏付けされた統合された国家情報機関がないからだといいます。

 1944年11月、米国は中国共産党の本拠地・延安に軍事顧問団を派遣し、その場で、野坂参三による日本兵の洗脳が大きな成果を収めていることに着目し、戦後、GHQによる日本人洗脳計画の手本として利用したといいます。

 山下氏は、GHQ洗脳作戦として、①押し付けた現行憲法、②約21万人の公職追放、③7000冊以上の禁書指定、④日本の伝統的な歴史・道徳教育の全面的禁止と偏向教育、⑤徹底した検閲を伴った言論統制ーなど七つの柱を提唱して列挙しておられました。

 確かにその通り、一々、ご尤もと頷いていたのですが、「教育勅語を見直して、修身の教育を復活させた方が良い」「GHQの検閲は、戦前の日本より酷かった」といった趣旨の話になったときに、段々、違和感を覚えてしまいました。

 ただ、その場では考えがまとまらず、会場で質問さえしなかったので、これは後出しジャンケンのようになってしまいますが、確かにGHQの検閲は、問題にならないくらい極悪非道の検閲ではありましたが、日本の方がましだった、というのは違うんじゃないかな、と帰りの電車の中で考えた次第です。作家小林多喜二の拷問惨殺事件でも分かるように、特高による治安維持を盾にした言論弾圧は身の毛もよだつほどでした。戦時中は、永井荷風も谷崎潤一郎も、そして江戸川乱歩でさえも発禁処分を喰らって、断筆を強いられました。

 それに、日本は、敵国の事情を知らなければならないはずなのに「敵性語」の使用を禁止し、野球のセーフやアウトを「良し」「駄目」とか言い換えたりして噴飯物です。精神論ばかり強調し、上層部は、元寇のように神風が吹くと思っていました。「軍人勅諭」なんか、「捕虜にならず、自殺しろ」と言っているようなもので、米軍とは正反対です。米軍は兵士に対して十分な食糧とデザートまで用意して兵站の観念がしっかりしていたのに、日本軍は非常に無責任で、食糧は現地調達で片道切符しか兵士に与えず、戦死者のほとんどが餓死者だったということで米軍とは対象的です。それでいて、インパール作戦の司令官だった牟田口廉也将軍のように、エリート軍事官僚は、兵士を虫けら扱いにして遺棄して、一人白骨街道の上空を悠々と飛行機で逃げ帰った史実もあります。

 確かに、戦後GHQの洗脳作戦が酷かったとはいえ、戦前の軍国主義の方がましだったとは言えません。

 GHQがやったことは全て悪かった、と全面否定することは簡単ですが、少しはましなこともやっています。例えば、「農地改革」により小作人たちは奴隷状態から抜け出すことができたし、「華族制度」廃止により、明治新政府という名の薩長軍事クーデター政権がつくった身分制度が廃止され、多額納税者である貴族議員という特権階級の廃止と「婦人参政権」により、表向きには民主主義が成立しました。いずれも、戦前の日本の軍事政権では出来ず、外圧によってしか成し得なかったことでした。

 結局、日本は「永久敗戦国」として、「思いやり予算」で米軍と基地を受け入れ、「核の傘」の中で戦後の高度経済成長を成し遂げました。今も占領が続いているのは確かで、米国の51番目の州みたいなものだということは多くの国民が自覚しているところです。それより、ソ連のロシアに征服されるよりマシだったかもしれないし、北朝鮮のような全体主義的軍事政権がそのまま続いていたよりマシだったかもしれません。

 そんなことを考えながら夜道を帰りました。