究極の文化財、美術品を公開へ=京都・東寺で真言宗の最高の儀式「後七日御修法」

京都・東寺 Copyright par Kyoraque-sensei

 ブログを書き続けて幾星霜か。ちょっと、書くネタに尽きて困ったときに、いつも天から救いの手が伸びてきます。

 今回も、京都にお住まいの京洛先生から特派員リポートが送られてきました。

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おはようございます。京洛先生です。

 七草粥も終わり、渓流斎さんも、正月休みから、帝都のオフイスに精勤されていると思います。8日(水)は、渓流斎さんもご存知の、御社とも関わりの深い大手代理店OBで長老のNさんが上洛されました。

 いつも正月休み明けの観光客が少ないこの時期に奥様とこちらにみえますが、今回は今週末まで滞在されています。そこで「何処に御案内しようか」と考えた末、今回は、いつも渓流斎ブログに紹介、写真掲載してもらっている「東寺」での真言宗の最高の儀式「後七日御修法(ごひちにちみしほ)」にお連れすることに致しました。

8日は、その最初の日に当たり、儀式が行われる東寺境内の国宝「灌頂院」の前までご一緒しました。

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 渓流斎さんは、昨年、高野山の「金剛峯寺」に出かけられ、念願の宿坊に泊まられ、大感激され、以後、ますます、仏教の関連書籍などを読破されていますね(笑)。

 後七日御修法はこのブログでは何度も紹介されておりますが、その高野山の金剛峰寺をはじめ、「真言宗」各派、十八本山の山主、高僧が集まり、8日から来週14日(火)まで7日間、灌頂院で五穀豊穣、国家安泰、世界平和の祈願法要をするわけです。

 弘法大師空海が平安時代の835年から京都の御所で始めたもので、明治初期、数年、途絶えましたが、その後は、御所から東寺に場所を移して行われてきています。

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 初日の8日は、宮内庁から勅使が天皇陛下の「御衣(ぎょい)」が届けられました。

  いつもながら、お坊さんの頭が綺麗でしょう(笑)

 

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法要では、御衣を前に7日間にわたり、護摩を焚いて大法要が行われますが、8日は、今年の大阿闍梨(おおあじゃり、導師)である「仁和寺」の瀬川大秀門跡をはじめ、真言宗の長老、門跡らが朱傘をかざされ、上の写真のような行列が続きました。いつもながら全国の真言宗の僧侶、檀信徒の方がこの様子を見ようと、大勢来ておられました。

 Nさんは「いやあ、凄いものですね。京都、奈良など大伽藍の高僧が一堂に集まるのですからね。こういう希少な機会に出くわせるとはワタシも感激です。軽薄な観光客もいませんし、数珠を持って、『南無大師遍照金剛』と念仏を唱えて、手を合わされている檀信徒のご婦人方の着物も、いずれも高価な立派なもの、とお見受けしました。やはり、お金が出来ても、最後は精神世界に惹かれるのですね」と、日ごろお目にかかれない光景、様子をじっくり眺めておられました。

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  「後七日御修法」は14日(火)に終わり、同日午後12時頃から、2時間に限って、「法要」後の灌頂院(通常は非公開)内が公開されます。法要後の堂内には香がたかれた匂いが漂い、重要文化財の曼荼羅もまだ架けられていて、”究極の文化財、美術品公開”とも言える機会です。ご興味のある方は見に行かれることですね。

 以上

真言宗の最高儀式「後七日御修法」

高野山 大門

 先週、高野山に初めて参拝する機会に恵まれたため、真言密教に、より興味を持つようになりました。真言宗については、このブログでも何度か取り上げておりますが、自分が書いたものでもすぐ忘れてしまいます(苦笑)。

 真言宗には「豊山派」や「智山派」など色々な「派」がありますが、不勉強のせいか、その経緯については詳しく知りません。

 そこで、調べたところ、私が1年に1度は訪れている京都にある東寺(教王護国寺)は、真言宗の総本山だということは知っていましたが、有名な仁和寺も醍醐寺も真言宗だったんですね。恥ずかしながら、宗派は少しも気にせずにお参りしておりました。

 もう一つ、自分の恥を晒しますが、関東では、川崎大師や佐野厄除け大師は、初詣に多くの参拝者が訪れ、「大師」が付くので真言宗の寺院だということはよく知っておりましたが、成田山新勝寺も真言宗(智山派)だったとは、意識しておりませんでした。駄目ですねえ。

 少し話を脱線しますと、成田山新勝寺は、江戸時代以来、歌舞伎役者市川団十郎が篤く信仰し、屋号も「成田屋」にしていることは御存知の通りです。高野山の奥之院にも初代市川団十郎の墓所がありました。ところで、近く団十郎を襲名する市川海老蔵の若くして亡くなった奥さんの旧姓は小林麻央(まお)さんでした。海老蔵は真言宗の開祖空海の俗名が佐伯真魚(まお)ということを知ってましたから、初めて麻央さんと会った時に、ピンと来て、結婚に踏み切ったといいます。

高野山

 本題に戻します。真言宗の「派」でした。これは「真言宗十八本山」といって、真言宗には主要な派として16派18総本山あるというのです。主なものを挙げると、高野山の総本山・金剛峰寺が「高野山真言宗」、京都の東寺(教王護国寺)が「東寺真言宗」、京都の智積院が「智山派」、京都の仁和寺は「御室派」、 覚鑁(かくばん)上人が開山した和歌山県の根来寺が「新義真言宗」、奈良県の長谷寺が「豊山派」などです。皇室ゆかりの寺院として知られる泉涌寺は「泉涌寺派」、大覚寺は「大覚寺派」とそのままですね。

 最初に「自分が書いたものをすぐ忘れる」と書きましたが、京都にお住まいの京洛先生から「毎年1月に後七日御修法(ごしちにち みしほ)の記事と写真をお送りしておりましたが、覚えていないのですか?」との御下問がありました。

 えーと、何でしたっけ?その後七日御修法とかいうものは?

 駄目ですねえ。

  後七日御修法とは、毎年新年1月8日~14日までの7日間執り行われている真言宗の最高儀式で、全国の真言宗の16派18総本山の長老、高僧が一堂に会します。平安時代初めの承和元年(834年)、仁明天皇が空海の進言で宮中で始めた「国家安泰」を祈願したことが始まりと言われています。途中で断絶したこともありますが、1000年以上続いている儀式です。

 後七日御修法に毎年選ばれる高僧は15人で、その資格は70歳以上です。その中で、さらに大阿闍梨(導師)になれるのは、何回も、後七日御修法に選ばれて出仕した高僧だけです。しかも、御七日御修会が行われる灌頂院の堂内は寒いので、昔は、ここで亡くなった方も居られたといいます。

 ーということなどを、今年も昨年も一昨年もこのブログに書いていたんですね。すっかり忘れておりました(苦笑)。

【ご参考】2018年1月15日「京都・東寺の「後七日御修法」で取材敢行=京洛先生登場」、2019年1月15日「京都・東寺で御修法=真言宗最高の秘儀

 

京都・東寺の「後七日御修法」で取材敢行=京洛先生登場

京都・東寺「後七日御修法」 Copyyright  par Kyoraku-sennsei

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京都の京洛先生です。

 最近の貴人のブログを読んでいると、読んでいた本が難しくて途中で投げ出したり、通訳士資格を取る為、挑戦したものの、何ら値打ちもなく、詐欺に遭ったも同然だったり、何とも無残な話が出てきますね。世間に対して「見る目」がないんでしょうね。それに、根気、集中力が減退してきているのじゃないですかねえ(笑)。

 彼の有名な「ウマズイめんくい村通信」の加須主筆は、貴人よりもかなり高齢ながら、神田明神下で「甘酒」、神保町の「南海」ではカツカレー、京王線・明大前駅の相州屋で「カキフライ」と連日、食欲旺盛、精力的に飛び回っています。それに比べると、聊か寂しい限りです。これでは先が思いやられますよ。

 

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人間、チマチマしていると、老けるのも早く、あっという間に年を取り、姥捨て山、ナントかホームへ、一直線ですぞ!

 ところで、貴人は、自分の誤操作、誤作動で、折角、丹念に書き溜めた貴重な《渓流斎日乗》が一瞬のうちに泡沫の様に消え去ったので、もう、お忘れになったと思いますが、その僅かな一端に「後七日御修法(ごしちにちみしほ)」があったのを覚えていますかね?

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 「東寺」(教王護国寺)で、毎年新年1月8日~14日まで7日間執り行われている弘法大師が開祖「真言宗」の最高の儀式ですよ。 平安時代初めの承和元年(834年)、仁明天皇が弘法大師、空海の進言で宮中で始めた「国家安泰」を祈願する、途中で紆余曲折あっても、1000年以上も続いてきています。

 この「御修法」が終わった後に頂く貴重な「お札」を求めて、全国各地の真言宗のお坊さんが並びます。その「後七日御修法」が、昨日14日(日)、無事、終わり、迂生もお札を頂きに東寺に出かけてきました。

 「東寺」のホームページには、この儀式について詳細に告示したり、案内は書かれていませんよ。

この儀式が始まった8日、地元紙は、以下のように報道しております。

 (引用)真言宗の最高儀式とされる「後七日御修法(ごしちにちみしほ)」が8日、京都市南区の東寺(教王護国寺)で始まった。同宗各派の高僧が14日までの7日間、国家安泰や世界平和を祈る。

 開祖・空海が835年に宮中の正月行事として始めた。明治維新後に一時途絶えたが、1883年に場所を東寺に移し再興された。

 正午まえに宮内庁京都事務所(上京区)から天皇の御衣が届けられた後、大阿闍梨(だいあじゃり)を務める大覚寺(右京区)の黒沢全紹門跡ら15人の僧侶が本坊を出発した。

 冷たい雨が降る中、朱傘を差し掛けられながら、境内を歩いて法要を営む灌頂院(かんじょういん)に入った。沿道では、厳かな雰囲気の中、参拝者が手を合わせたり、行列を写真に収めたりしていた。14日まで計21座の法要を営む。(引用終わり)

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 東寺境内にある日頃、非公開の「灌頂院」(重文)も、この日だけは公開されております。そういう案内は出ていませんが、全国の真言宗各派の管長、高僧、お偉いさんや、檀信徒さんが、今日も朝から、寒い中、「灌頂院」の前に大勢並んでいました。

 上記写真の通り、お坊さん達が、後七日の御修法が終わった天皇陛下の「御衣(ぎょい)」が入った菊の紋の唐櫃を見送るために手を合わせていました。

 下記写真の通り、担いでいるお坊さんがマスクをしているのは、風邪予防の為ではありませんよ。「神聖な御衣に息をかけてはいけない」ということです。それに、いかにも高僧の雰囲気がにじむお坊さんの行列も凄いでしょう。

 迂生の後ろで、この光景を見ていた、東京からわざわざ来たという、50歳前後の女性は「仏画を書いているのですが、去年も来ました。灌頂院の中で、御修法が終わった後の護摩壇胎蔵界金剛界曼陀羅図や、貴重な仏具を見て感激しました。友達も誘ってきましたが、灌頂院の入れるのが、午後1時頃というだけで、はっきりしないので、2時間ほど、此処で待っているのですが・・・」と手持無沙汰なのか、迂生に話しかけてこられました。

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また、四国方面から来たお坊さんは、連れの檀信徒さんと「後七日御修法に毎年選ばれる高僧は15人で、その資格は70歳以上です。その中で、さらに大阿闍梨(導師)になれるのは、何回も、後七日御修法の出仕して、しかも、選ばれないといけないので、簡単には導師になれません。しかも、灌頂院の堂内は寒いですから、昔、ここで亡くなった方も居られましたよ」と、うんちくを語っておられましたね。

 迂生も、足元から冷えがきたので、帰宅後、ゆっくり風呂に入り、身体を温めましたが、御修法も終わって、愈々、平成30年が本格的に始まったと言えるでしょう。同時に、「平成」も段々、残り少なくなってきましたね。

以上、《渓流斎日乗》に一家言の持ち主の京洛先生でした(笑)。