公開日時: 2008年6月1日 @ 17:16
よく、写真と本文が合っていない、というご指摘を受けますが、今日は珍しく、合っています(笑)。
私がよく行く散歩コースの竹林です。竹林のほかに別に何があるというわけではないのですが、不思議と気分が落ち着く所です。初夏の風が頬を掠め、生きている実感を味わいます。
公私ともに、何か自分の思い通りに、うまく回ってくれないものですよね?人間も機械も。
私は、よく自分の寂寥と焦燥と擬懼を癒すために、ここを訪れます。
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公開日時: 2008年6月1日 @ 17:16
よく、写真と本文が合っていない、というご指摘を受けますが、今日は珍しく、合っています(笑)。
私がよく行く散歩コースの竹林です。竹林のほかに別に何があるというわけではないのですが、不思議と気分が落ち着く所です。初夏の風が頬を掠め、生きている実感を味わいます。
公私ともに、何か自分の思い通りに、うまく回ってくれないものですよね?人間も機械も。
私は、よく自分の寂寥と焦燥と擬懼を癒すために、ここを訪れます。
ローマ
たまたま書店で見かけた「大人のための東京散歩案内」(洋泉社新書)が面白くて、一気に読んでしまいました。
著者は「下流社会」がベストセラーになって話題になった三浦展さん。この人、どこかの大学の先生かと思っていたら、情報誌の編集長や総研の主任研究員を務めていた人だったのですね。いわゆるリサーチャーです。
ですから、かなりの「調べ魔」らしく、私も知らなかったことが列記されて参考になりました。東京散歩でも、普通の人が取り上げるような銀座や六本木や青山などは出てきません。本郷、小石川、本所、深川、高円寺、それに赤羽など渋い所ばかりです。
東京は、江戸からの歴史から見て、明治維新、関東大震災、そして太平洋戦争と3度の大変革期を経て、今に至っているわけですが、想像力を逞しくすれば、そこはかとなく過去の遺影が残っているものです。江戸の古地図と見比べてみても、道路が江戸時代とほとんど変わっていなかったりするんですね。
今は陸地でも、昔は海や川や湿地帯(かなり多かったようです)を埋め立てた土地が多く、辛うじて名前が残っていたりします。知らなかったのですが、小石川もやはり川の名前です。「椎名町から流れてくる谷端川の下流の名称で、大塚駅の南東の三業地を通り、小石川植物園を抜けて東京ドームのあたりまで流れ、最後は神田川に合流する」
この三業地ですが、意味が分かりますか?私はすぐに答えられませんでした。調べてみると、「料亭」「芸者の置屋」「待合」の三種の業を指します。現在、東京では花柳界がほぼ絶滅してしまったので、私自身は体験できなかったのですが、東京の至る所にあったようです。東京を歩いていて、「何でこんな所に、たくさん料理屋が並んでいるんだろう」と感じたら、まず三業地でしょう。この間、行った北品川の「金時」もそんな雰囲気でした。よく分かりませんが、三業地は、吉原や向島、四谷、池袋、尾久(阿部定事件の舞台)、千住、渋谷などの「赤線地帯」とは違うと思います。この本には、大塚三業地のほか、白山三業地、神楽坂の牛込三業地などが出てきます。どなたか詳しい方教えてください。
同書には、関東大震災の被災者のために建設された同潤会アパートや、目白、阿佐ヶ谷などの文化住宅などが登場します。老朽化しているので早晩取り壊されてしまうのでしょうが、これらの古い建築物を見るだけでも散歩が楽しくなります。
貧乏な画家や詩人たちが集まった「池袋モンパルナス」は知っていましたが、上野は国立の芸術大学があることから「モンマルトル」といっていたそうですね。御茶ノ水は「カルチェ・ラタン」。昔の人はパリへのあこがれが強かったのでしょう。
赤羽団地の広大な敷地は、陸軍の被服本廠(軍服製造工場)の跡地だったことを本書を読んで初めて知りました。高円寺は古着店の街、西荻窪はアンティークの街で文化人(日本一の編集者の藤原書店http://www.fujiwara-shoten.co.jp/index_2.htmlの藤原良雄も在住、と三浦さんは書いてます。今年、ノーベル文学賞を受賞したトルコ人作家オルハン・パムクの作品「わたしの名は紅」の翻訳を、どこの出版社も引き受けなかったのに、先見の明を持った藤原書店だけが引き受けた、ということが話題になりましたね)が多く住む街だそうです。
「純喫茶」というのは、女給を置く「新興喫茶店」(今では死語ですなあ)と区別して名称されたことなど、色々と勉強になりました。
早速、この本を片手に散歩に出かけます。どうせ、暇ですから。