日本工業倶楽部は超が付く社交クラブだったとは…

 皆様御存知の満洲研究家、松岡將氏が体調を回復されて、来月、満洲三部作(「松岡二十世とその時代」「王道楽土満洲国の『罪と罰』」「在満少国民望郷紀行」)を引っ提げて、日本工業倶楽部日本倶楽部で講演会を開催されるということで、おめでとう御座います。御同慶の至りです。

 日本工業倶楽部とは、何の会なのかよく知らなかったのですが、その会員の皆様を見たところ、日本を代表する超一流企業の重役さんや元社長さんらのお名前がズラリ。

 ちょうど、世間の裏情報に精通している経済ジャーナリストの油小路先生が通りがかったので、捕まえて聞いてみました。

 渓流斎 あ、どうも、油小路先生。例の松岡先生が、元気になって、今度、日本工業倶楽部とかいうところで、講演するらしいんですけど、どんな所ですか?日本記者クラブみたいな所ですか?

 油小路 馬鹿言っちゃいけませんよ。そんなものと比べたらいけませんよ。月とスッポンですよ。日本工業倶楽部は、経団連なんかよりずっと古い大正六年、当時の有力実業家らによって東京・丸の内に創立された団体ですよ。初代理事長は団琢磨。あの血盟団事件で暗殺された三井財閥の総帥です。

 へー、そうだったんですか。

日本工業倶楽部会館   屋上には二つの人物像が(同倶楽部のHPより)

 あなたは、何も知りませんね。 日本工業倶楽部会館の正面屋上には二つの人物像が置かれてます。男性はハンマーを持った坑夫、女性は糸巻きを手にした女工さん、当時の二大工業の石炭と紡績を象徴し、彼らに敬意を表しているのです。戦後、日本工業倶楽部の理事長になった日清紡の社長宮島清次郎(1879~1963)は知らないでしょうねえ。経営者として清廉潔白な人で、とても尊敬できる人ですよ。高度経済成長期に、会館の屋上にゴルフ練習場をつくろうという話になった時に、「労働者が働いている時に、経営者が昼間っから、ゴルフの素振りをするとは何事だ。練習場をつくるなら、俺は理事長を辞める」と啖呵を切った人ですよ。

 そして、宮島清次郎は、最後まで勲章を拒否した人でした。「人間はもともと農耕民か、漁民だったんだから、差別はいらない」という考えでした。

 へー、凄い話ですね。

 宮島清次郎は、東京帝国大学時代、吉田茂と同期生だった関係から、財界として資金面で吉田内閣を支えたのです。また、日清紡の社長に若き桜田武を指名したのも宮島です。ご存知の通り、桜田武は後に日経連の会長を務めるなど財界代表として活躍するわけです。

 いやあ、僕は財界について、何も詳しくないので、知りませんでした。

 かつて、日本工業倶楽部には「財界クラブ」があったんですよ。今は経団連ビルにありますけどね。そこで、財界の大物の記者会見があったりして、小生のような経済部の新聞記者たちが取材していたわけです。古参の先輩記者に聞いたら、 その記者クラブがあった所は昔、「車夫馬丁」の控え室だったというではありませんか。今は車夫馬丁は差別用語ですが、昔の新聞記者は車夫馬丁と同等の扱いだったということですよ。

 だから、日本記者クラブと日本工業倶楽部は似て非なるもので、月とスッポンだということですよ。ちなみに、明治の思想家中江兆民は、息子が将来、車夫馬丁になっても困らないよう、名前負けしないように、長男に「丑吉」と名付けたのは有名な話です。

 そうだったんですか。

 入会金も年会費も桁違いですし(法人は入会金50万円、年会費55万円、推薦者2人)、料理の質もレベルも全然違う。40年近く昔の話ですけど、日本工業倶楽部のカレーライスなんて、当時でも3000円ぐらいしましたよ。値段に違わず美味さは比べ物にならないくらいピカイチでしたよ。うまかったなあ~。大手新聞社の記者の中にはタダ飯を食うために来る者もいましたよ(笑)。

 3000円は大袈裟でしょう。本当ですか?

 ま、そんなもんです。あと、当時、日本工業倶楽部内にあった理容店は、「天皇の理髪師」と言われた人がやっていたことで知る人ぞ知る床屋さんでした。何から何まで超一流でしたよ。

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 ということで、日本工業倶楽部の話ばかりで、もう一つの日本倶楽部のことについては、油小路先生からあまり話を聞けませんでしたが、こちらも凄い倶楽部で、昨年創立120周年を迎えました。 明治30年11月、公爵近衛篤麿(1863~1904)、子爵岡部長職(おかべ・ながもと=1855~1925)、鳩山和夫(1856~1911)の3氏が主唱し、翌31年6月に設立された名士の会で、財界だけでなく、政界、官界、法曹界と錚々たるお歴々が集った親睦団体です。

 主唱者の近衛篤麿は貴族院議長などを歴任、戦時中に首相を務めた近衛文麿と作曲家近衛秀麿の父。岡部長職は、岸和田藩の最後の藩主で、明治・大正の外交官、政治家。その三男長挙は朝日新聞創業者の村山龍平の婿養子となって朝日新聞社長になった人。 鳩山和夫は弁護士、政治家で、東京専門学校(早稲田大学)の校長なども歴任。長男一郎、孫の由紀夫氏も首相を務めるなど鳩山一族の基礎をつくったような人でしたね。