彩翔亭(所沢航空記念公園)Copyright par Keiryusai
ゴールデンウイークだというのに、私が住んでいる首都圏では緊急事態宣言とまん延防止等重点措置が発令され、居酒屋でもお酒出しちゃ駄目よお、ということになり、不要不急の外出を避けるよう通達が出されているので、鎌倉の寺社仏閣や好きな城巡りもできません。
仕方がないので、誌上で城巡りをすることにしました。
またまた、月刊誌「歴史人」(ABCアーク)ですが、5月号で「日本の城 基本のき」を特集してくれてたので、またまた購入しました。「城の見方 徹底解説」「知っていれば城歩きが100倍面白くなる!」などと銘打ってますが、かなり難易度が高い内容だと思います。
私自身、「破風(はふ)」とは何か、説明できませんでしたし、「懸魚」も「蟇股」も「冠木門」も、漢字が読めませんでしたからね。(それぞれ、「げぎょ」「かえるまた」「かぶきもん」と読みます)
私は「石フェチ」というか(笑)、お城の石垣を見るのは大好きなんですが、名称として、一見、乱雑に積み上げているように見える(1)「野面積(のづらづみ)」ぐらいしか知りませんでした。それが、この本で、この他に、合端(あいば=築石の接合部分)を削って加工し、隙間を減らして接合する(2)「打込接(うちこみはぎ)」と、それをさらに徹底的に加工して隙間なくキッチリ積んだ(3)「切込接(きりこみはぎ)」の3種類の工法があることを教えられました。
この3種類の工法の中でも、不規則に積む「乱積(らんづみ)」や、同じような高さの石を積む「布積(ぬのづみ)」、または、変則的な「谷積(たにづみ)」や、亀の甲羅のような形を積む「亀甲積(きっこうづみ)」、石材の対角線を垂直に落とし込むように積む「矢筈積(やはずつみ)」など色んな積み方があることも知りました。この中で、「野面積・乱積」の代表は、会津若松城天守台、一番キチンと整頓されて積み上げられた「切込接・布積」の代表に江戸城天守台などがありました。
何と言っても、勉強になったのが、三浦正幸広島大学名誉教授の解説です。城の定義は色々ありますが、飛鳥時代に築かれた(渡来人が伝えた)朝鮮式山城を城の嚆矢とすると、明治までに全国で築かれた城の数は約5万もあるといいます。(2020年の統計で、全国のコンビニの店舗数は5万6844軒といいますから、コンビニ並みに全国にお城があったということになります。)
しかし、我々が城をイメージするのは、大抵、天守があるお城のことで、それは、安土桃山時代以降に築かれた近世城郭だといいます。その数は500城で、全体の1%に過ぎないのです。実は、飛鳥時代や平安時代に築かれた城は極めて少なく、鎌倉末期から室町末にかけて築かれた中世城郭が99%も占めるといいます。しかし、中世城郭は粗末な掘っ立て小屋みたいなもので、江戸時代の農家の納屋よりも格段に低級だったため、残っている実物は皆無で、現存する城郭建築は全て近世城郭だというのです。この独創的な近世城郭を創始したのは織田信長と言っても過言ではない、と三浦名誉教授は言います。
明治維新当時に存在した城は全国に180ありましたが、明治政府による廃城令や、米軍による空爆などで、往時の城郭建築を全て失った城は133城に及ぶといいます。単純計算すると、500城あった近世城郭のうち、一部でも、往時の姿を現代に残している城はわずか47城しかないといことになりますね。
◇天守現存はわずか12城
それでも、江戸時代以前からの天守が残る城はわずか、たったの12城で、そのうち5城(姫路城、彦根城、松本城、松江城、犬山城)が国宝、7城(丸岡城、丸亀城、宇和島城、備中松山城、高知城、弘前城、伊予松山城)が重要文化財に指定されていることは皆様御存知の通りです。
公益財団法人・日本城郭協会が「日本100名城」「続日本100名城」を選出しておりますが、この200城を全て巡れば、近世城郭は半分近く踏破したことになります。うーん、誌上だけでは、やはり満足できなくなりました。死ぬまでに200城巡れるかしら?若い時に全国を出張で駆け回っていたので、もっと早く城巡りしていたら、もうとっくにクリアしていたことでしょう。これまで、50城ぐらい巡ったから、何とかなるかなあー?