大谷栄一著「日蓮主義とはなんだったのか 近代日本の思想水脈」を読み、暗澹たる思い…

  大谷栄一著「日蓮主義とはなんだったのか 近代日本の思想水脈」(講談社、2019年8月20日初版)を今、読んでいますが、何とも心がざわつき、暗澹たる思いにさせられます。

 実に668ページの分厚い大作で、価格も4070円。読んでも読んでも、読み終わりません。

 著者の大谷氏は佛教大学教授。長年、近現代の宗教文化を研究され、特に日蓮主義運動に関する本も多く出版されています。

 学者さんの書くものなので、学術書ですから、小説のようには面白くありません。しかし、非常に多くの文献とデータを引用して、明治になって勃興し、超国家主義と結びついて戦争にまで駆り立てる「日蓮主義」を冷徹な筆致で分析しています。著者はあからさまには書きませんが、これらの主義、運動を批判的に見ていることは確かでしょう。何しろ、著者は寺内大吉著「化城の昭和史」に触発されてこの本を書いた、と序章で述べているからです。この本は、私も以前読んだことがありますが、昭和初期のファシズムの動向を日蓮主義の観点から批判的に分析した必読の名著です。

 大谷氏は、日蓮主義の代表人物として3人を中心に取り上げています。国柱会創始者の田中智学(1861~1939)、顕本法華宗管長の本多日生(にっしょう、1867~1931)、そして身延派の日蓮教学者清水梁山(りょうざん、1864~1928)の「三大家」です。

 日蓮思想は、幸田露伴、高山樗牛、宮沢賢治、北原白秋といった文学者から、石原莞爾(満洲事変)、北一輝、西田税(2.26事件)、井上日召(血盟団事件)ら軍人、右翼思想家らにまで膨大な影響を与えました。

 さて、この日蓮主義とは何なのか? まあ、本書をお読みください。詳しく書いてありますから(笑)。恐るべきことが多く書かれています。

 例えば、田中智学著の「世界統一の天業」の中には「日本国の祖先は太古印度地方より日本の地に王統を垂れたものだといふことは、種々の方面から立証を得ることゝなッて居るのみならず、現に印度にも釈迦の滅後に最高種族の一団が東方へ移住したといふことが伝説されて居るといふことだ」(14頁)と書かれています。

 つまり、日蓮思想によると、神武天皇をはじめ、天皇皇族の祖先は、釈迦の弟子で法華経を奉じた王族のインド人だったというのです。現代の右翼思想家も目を丸くすることでしょう。

 欧米列強に対抗する明治政府の富国強兵政策に則って、日蓮宗は日清、日露戦争と国家衰亡の危機が懸かった戦争に協力していきます。戦争に協力したのは、日蓮宗だけではありません。残念ながら、浄土宗も浄土真宗も曹洞宗も臨済宗もそうでした。仏教界全体が後押ししたのです。

 仏教は、名もなき庶民を救い、平和と平穏をもたらし、心の拠り所になるものではなかったのかー?

 ただ、彼ら僧侶に対して、半ば贔屓目に見ると、その時代の背景が浮かび上がってきます。明治新政府というより、薩長革命政権による「廃仏毀釈」の断行です。これによって、仏教界は壊滅的な打撃を蒙りました。寺宝の仏像や仏画や塔や伽藍等が売却されたり、海外に流出したりしました。仏教界も生き残りのために、富国強兵策を取る、時の政府に迎合、と言えば言い過ぎですから、歩調を合わせて行かざるを得なかったのでしょう。

 日蓮自身はそこまで言っていません。どうも、日蓮の宗教、教義を大幅に曲解し、牽強付会した理論に思えます。もしくは、数ある仏教の宗派の中でも、日蓮宗だけは異様に極端に走る傾向がある、と疑いたくもなります。

 これが、太平洋戦争ともなると挙国一致、大政翼賛会となり、仏教界だけでなくキリスト教界まで戦争に協力していきます。戦後最大のタブーの一つになった「宗教界の戦争責任」の追及は結局、有耶無耶になってしまった感がありますが、こういう本を読むと実証されていることが分かります。

 せっかく、柳宗悦の「南無阿弥陀仏」(岩波文庫)を読んで、仏教思想(浄土教)の神髄に触れて、仏教を見直したというのに、やるせないですね。

 この本は、まだ読了していないので、そのうち続きを書くつもりです。(つづく)

 

禅宗講話を拝聴して

伊太利亜フィレンツェ

昨日は、ご縁が御座いまして、臨済宗妙心寺派の若き住職さまの講話を拝聴して参りました。

私も人間ですからね。悩みは尽きませんから。

諸行無常、解脱、悟り、生老病死といった基本的な仏教用語の解説などは、皆さんの方がよくご存知でしょうから、今日は、私自身が知らなかった、もしくは、興味深かったことを書いてみます。

まず、驚いたのは、今は「小乗仏教」とは言わないんだそうですね。「上座部仏教」とか言うんだそうです。理由は、ポリティカルコレクトらしいのですが、深い理由は分かりません。小乗は差別用語ではないか、とクレームがあったのでしょう。

それでいて、中国や朝鮮、日本に伝わった「大乗仏教」は、今でもそのまま使われているそうなのでよく分かりません。

仏教には、色んな宗派があることはご案内の通りです。

大雑把に言いますと、(1)飛鳥時代「南都六宗」(2)平安時代「天台宗・真言宗」(3)平安末期・鎌倉時代「浄土宗」「禅宗」と分かれるのではないでしょうか。

もともと、権力者、貴族支配者階級の宗教だったものが、時代を経るに従って庶民に普及していきます。

禅宗の代表的な宗派が、臨済宗、曹洞宗、黄檗宗となりますが、今回知った最も興味深かったことは、禅宗は、それほど(比較的に)経典を重視しないということでした。(勿論、「無門関」「碧眼録」「臨済録」などの仏典はあります)

つまり、日蓮宗などは、特に法華経を重視し、その一字一句を重要視しますが、禅宗は、(誤解を恐れずに言えば)文字よりも実践を重視するということです。

実践とは、ご案内の通り、座禅のことです。そして、公案と呼ばれる禅問答です。

このほか、本来、仏教者は托鉢や布施で生活し、労働はしなかったのを、時代を経たり、外国に渡って考え方が変わって、するようになり、それが作務と呼ばれるものです。これも、実践に入ります。

ですから、禅宗の場合、それほど仏事でお経をあげない。あげるとすれば、般若心経ぐらいだというのです。

同じ仏教でもこれほど違うのかと思わせます。

伊太利亜フィレンツェ

禅宗でも、臨済宗と曹洞宗の違いも面白かったです。

よく和尚さんが、怒ったり、気合を入れたりするとき「喝!」と言いますね。これは、臨済宗から来たそうです。

臨済宗は、厳しくて男性的。一方の曹洞宗は、柔和で女性的。

臨済宗は、厳し過ぎたせいか、あまり全国的に広がらず、柔和な曹洞宗は青森や秋田など東北まで布教が広がったそうです。

なるほどねえ、です。

あと、僧侶の服装で、見慣れていて分からなかったのですが、前にエプロンのように掛けているのが、禅宗では絡子(らくす)と呼ぶそうです。これは、何かと思いましたら、これこそが僧侶を象徴する袈裟なんだそうですね。

お坊さんが着ている黒染めの和服が袈裟かと思って勘違いしてました。

正式の袈裟は、オーバーコートのようなものだったらしいのですが、色々と作業する際にやりにくいので、簡略されてああなったそうです。

ですから、若いお坊さんは、絡子の働きについては、あまりよく知りませんでした。

最後に、京都にお住まいの京洛先生か教わった「妙心寺の○○顔…、建仁寺の○○顔…」がどうしても思い出せませんでした。

宜しゅうたのんます。