渓流斎ブログの手引き=最悪の場合は「お取り潰し」

 もひかひて、もしかして、生まれて初めて、この《渓流斎日乗》ブログにアクセスされた方がいらっしゃるかもしれません。

 というのも、私は今年4月24日、都内で大学の同窓会の講師に招かれて、講演させて頂いたのですが、時間が足りず、用意したレジュメの4分の1もお話できなかったのでした。そこで、その大学の同窓会の会報に、「お話できなかったことは、色々とブログに書いておりますので、足りない部分は是非ご参照ください」といったような趣旨といいますか、宣伝文(笑)をブログのアドレス付きで寄稿してしまったのです。(同窓会の会報は昨日、自宅に届きました)

 真面目な大学のOB、OGの皆さんのことですから、もひかひて、「あの野郎がそう言うなら、冷やかしで見てみるか」と思われた方もいらっしゃるのではないかと思ったわけです。

 しかし、初めてこのブログを読まれる方にとっては、戸惑われることも多いかもしれません。あまりにもの情報の多さで、恐らく、何をどうやって手を付けていいのか分からないと思います。

彼岸花

 そこで、私のお薦めのやり方の一つは、パソコンでしたら、サイトのトップの右に、スマホでしたらサイトの一番後ろの辺りに「検索…」Qとありますから、例えば、その中に「メディア」と書いて検索すると、過去に書かれたメディア関係の記事が出て来ます。

 私はビートルズが好きなので、結構ビートルズのことを書いていますが、やはり、検索欄に「ビートルズ」と入れて検索すると、色々と過去記事が出て来ます。私のお薦めは「銀座 新聞」と検索欄に入力して頂くと、明治時代、銀座は新聞社だらけだったことを現在の場所に行って写真を撮って5回連載した記事が出て来ますので、是非読んで頂きたいと存じます。

 でも、検索欄に「郷ひろみ」とか「SixTONES」とか入力しても記事は出て来ません。要するに「趣味が合わない」ということで、別に渓流斎ブログを今後お読みにならなくても宜しいということを意味するわけです(笑)。

 もし、かりそめにも、趣味が合ったりして、そのまま最新記事もお読み頂いたら、嬉しい限りで御座います。

◇お取り潰しの危機

 あと、申し遅れましたが、もしかして、この渓流斎ブログも今年いっぱいぐらいで、なくなってしまうことを告知しなければなりません。理由は、このブログのサイトを立ち上げ、サーバーも管理して頂いたIT技術者の松長哲聖氏が今年7月に急死されてしまったからです。松長氏の会社の後を継いでくださる方が正式に決まれば、このブログも安泰ですが、まだ御連絡がないので、今後どうなるか分かりません。

 最悪の場合、このブログも「お取り潰し」になってしまうわけです。江戸時代みたいですね。でも、人生には限りがあるわけですから、私もある程度、覚悟しております。が、世の中には、渓流斎ブログの廃絶を大喜びする輩も何人かいるので、正直、それだけは悔しいですね。

 メメント・モリ。明るく、楽しく、前向きに!

お笑いロバート秋山竜次さんも関係していた満洲物語

哈爾濱学院跡

満洲(現中国東北地方)と聞くと、どうも気になります。

縁も所縁もないわけではなく、個人的にはただ一つ、唐津の伯父(母親の実兄)が、一兵卒として赤紙で徴兵された所でした。

伯父は、行き先も目的も告げられることなく、何処とも分からない所に連れて行かれた場所は、中国大陸の戦場。弾丸が飛び交う中、奇跡的に命を保ったものの、戦後はシベリアに抑留され、終戦後1年か2年経ってからやっと日本に帰国できたという話を聞いたことがあります。

私が子どもの頃に、伯父が自宅に遊びに来た時に聞いただけなので、詳しいことは聞いていません。シベリアに抑留されたということは、戦場は、ソ連軍が侵攻した満洲だったのでは、と想像するだけです。近現代史に興味を持ち、もっと詳しく話を聞くべきだと思った時は、既に亡くなっていて、後の祭りでした。

伯父は歌が好きで、うまかったので、「東京行進曲」などを歌って抑留された戦友たちを慰めていたといった話だけは聞いたことがあります。

◇戦後活躍した満洲関係者

その程度の私と満洲との御縁なのですが、戦後活躍した人たちの中で、結構、満洲にいた人が多かったことが後々になって分かります。

赤塚不二夫、ちばてつや、森田拳次といった漫画家、アナウンサーから俳優に転身した森繁久弥、甘粕正彦理事長の満映から東映に移った内田吐夢監督や李香蘭ら映画人、指揮者の小澤征爾(奉天生まれ。父開作は協和会創設者)、安倍首相の祖父岸信介、東条英機らニキサンスケ、このほか、哈爾濱生まれの加藤登紀子、タレントの松島トモ子も奉天生まれ…いや、もうキリがないのでやめておきますが、皆様も御存知の松岡さんのご尊父松岡二十世や哈爾濱学院出身のロシア文学者内村剛介も忘れずに付け加えておきます。

有名人でこれだけ沢山いるわけですから、満蒙開拓団などで満洲に渡り、ソ連侵攻で亡くなった無名の人々は数知れずということになります。

満洲関係者については、ある程度、知っているつもりでしたが、最近になって知った人も出てきました。

◇「スターリン死去」をスクープした人

ノンフィクション作家野村進氏のご尊父さんです。この方、通信社の記者として1953年の「スターリン死去」をスクープした人でした。東京外国語大学の学生時代に学徒動員で満洲に渡り、ソ連軍の侵攻でシベリア抑留。なまじっかロシア語ができたことからスパイと疑われ、4年半も抑留され、凄惨な拷問に遭っていたことを、野村氏が10月29日付日経夕刊のコラムに書いておられました。

◇満洲第3世代

もう1人は、お笑いトリオ・ロバートの秋山竜次さん。10月29日にNHKで放送された番組「ファミリーヒストリー」で初めて明かされたところによりますと、この方は「満洲第3世代」で、父方の祖父秋山松次さんが、北九州門司で、ある事件があったことがきっかけで妻と長女を連れて満洲に渡っていました。

炭鉱で働き、50人も雇うほど羽振りの良い生活でしたが、松次さんは昭和19年に突然、帰国することを決意します。その理由がソ連が満州に侵攻することを予測したからだというのです。松次さんがどういう情報網を持っていたのか分かりませんが、凄い機転と言いますか、カンが働く人だったんですね。残っていたら、ほぼ間違いなく、戦死か抑留死した可能性が高く、そうなっていたら、お笑いトリオ・ロバートの秋山竜次さんもこの世に存在しなかったわけですから。(母方の祖父は台湾に関係していたり、父親が若い頃、東映の大部屋俳優で梅宮辰夫と「共演」したことがあったり、不思議な縁がつながっていて、大変面白い番組でした)