柏崎の某ホテル
7-8日と一泊で、新潟県の柏崎まで行ってきました。旧友のお墓参りです。
当初は、7月16日に行く予定だったのですが、まさしく、その当日に「震度6強」の大地震に襲われて、行くことができなかったのです。
今回は、岡末君が、車で自宅まで迎えに来てくれて、関越ー北陸自動車道経由でロングドライブで往復しました。丁度、連休の真っ最中で、渋滞に引っかかり、5-6時間もかかりましたが、専ら岡末君が運転してくれました。
大地震の大被害を受けた柏崎ですが、三カ月経ち、徐々に復興しつつありました。市内を車で2時間ほど回りましたが、全壊、もしくは半壊した家屋は既に、取り払われて、更地になっている所が多かったです。全壊して、屋根が地べたに張り付いたままの古い民家もありましたが、気の毒で、シャッターを押す気にはなれませんでした。地震は午前10時すぎに起きたので、火を使っている家庭は少なく、神戸大震災のように、火災による被害は1件もなかったそうです。その代わり、柏崎は、昔から火災による被害多く、江戸から明治、大正にかけて、土倉を建てる家が多かったのですが、これら古い土倉は、火に強くても、地震に弱く、ほとんど崩壊したそうです。
あの拉致家族の一人である柏崎の蓮池さんが拉致された柏崎海岸には、たくさんの仮設住宅が建っていました。
亡くなった友人の加納君の菩提寺は、日蓮宗の海岸山妙行寺という所です。加納家は鎌倉時代まで遡れる由緒ある一族らしく、日蓮上人が佐渡に流罪になった際に、お見送りをした名主の一つだったそうです。(その名主は加納家と、矢口家と町田家だったとか)柏崎は、松平桑名藩の飛び地領だったらしいですね。
地震の当日は、電話が全く通じず、加納君のご母堂とは音信不通になり、大変心配しましたが、その日の、NHKの7時のニュースで、「避難所に避難する柏崎市民」としてインタビューを受けているご母堂の姿が映り、「生存」を確認したことは以前書きました。
そのご母堂から面白い話を聞きました。我々は、皆でその男を「旅がらす」と勝手に名付けたのですが、その旅がらすは、柏崎市民でもないのに、避難所の柏崎小学校にやってきて、「被災者」面して、ボランティアが持ってくる、食糧品から医療品に至るまで、半端じゃない量を独り占めして、どっかに持っていってしまうそうなのです。この旅がらすは30歳代らしいのですが、どこか災害があると、ボランティアの援助物資を目当てに全国を放浪しているらしいのです。電話も勝手に使い放題で、漏れ聞こえてきたところによると、この旅がらすは、名古屋から来たようで、そのうち、その旅がらすの知り合い連中もウロウロするようになったそうです。
「横領」した物資は、どうやら、横流ししているのではないかということです。
極限状態になると、人間の本当の性(さが)が出るようで、トラブルや小競り合いもあったようです。
こういうことは、ニュースで報道されることがないので、興味深く拝聴しました。