登戸事件、農林水産省元事務次官事件で考える

  内緒ということになってますが、私は今でもあるマスコミで仕事をしております。(しがみついているといった表現の方が正しいでしょう=笑)

 私とは違って、会社で偉くなった先輩や後輩の中には、同業他社であるテレビやラジオに出演している方もおります。いわゆるニュースのコメンテーターってなところでしょうか。

 私自身は、彼らとは同じ会社だったので、本人についてはよく知っており、話もしたこともあるというだけで、何の関係も利害関係もないのですが、どういうわけか彼らが出演するテレビやラジオは、気恥ずかしくなって、チャンネルを変えるか、消したりしてしまいます。

 偉そうですが、「お里が知れる」といいますか、「育ち」が分かってしまっているからです。落ち着かないのです。特に、政治経済から事件事故に至るまで幅広く「解説」したりしていると、正直、「専門でもないことをよくここまでしゃべれるものだ」と違和感を覚えてしまうのです。政府広報的な政権擁護の発言をしても、低音の魅力にほだされて、視聴者は信じ切ってしまっているんだろうなあ、と思ってしまうのです。

 それはともかく、先月5月28日に川崎市登戸で起きた20人殺傷事件では、テレビやラジオでは見たことも聞いたこともない多くの犯罪心理学者の方が出演されて、ああでもない、こうでもない、推定されておりました。でも、本当にその通りなんでしょうか?「拡大自殺」なるキーワードも初めて知りましたが、推測の域を出ていません。もしかして、鬱屈した犯人自身すら明確な理由は分からなかったのかもしれません。(ただし、自分が進学できなかったのに、同居していた従姉が通っていた名門学園に対する恨みや羨望があったことは推測できますが)

 「自殺するなら一人でどこかでやってくれ」とテレビで発言した落語家らに対して賛否両論で、人権擁護団体から非難が集中したらしいですが、私も最初はそう思ってしまいました。私の卒業した大学の後輩に当たる外務省の職員や幼い無抵抗の小学生を殺害する権利なぞ誰にもあるわけありません。でも、あまり強調すれば、このブログは炎上するでしょうね。

 登戸の犯人は伯父夫婦に育てられた複雑な環境で、51歳ながら、「引きこもり」だったと言われています。

 登戸事件の4日後の6月1日には、東京・練馬区で、農林水産省の元事務次官が、44歳の息子を刺殺する事件がありました。亡くなった息子さんは、定職につかず、引きこもりがちで、ネットゲームにお金を注ぎ込み、親子の間で口論が絶えなかったと言われてます。元事務次官は76歳。子どもが親を介護するのではなく、高齢の親が働かない成人の子どもの生活の面倒を見ていたことになります。犯人を一方的に指弾したくなくなるような情状を感じてしまいます。

 今日のニュースでは、元事務次官は、川崎登戸事件を見て、「隣の小学校の児童がうるさい、ぶっ殺すと言っていた。息子を加害者にさせたくなかった」と供述したそうですね。(それとは無関係に、元事務次官は年収2300万円で、退職金は8800万円だったらしく、私の周囲では「税金なのに貰いすぎ」とのやっかみの声が)

 加害者と被害者の事件が続けてあったせいか、「引きこもり」が再び注目されています。厚生労働省の調査では全国で約60万人が引きこもりになっていると言われてますが、ある精神科医は「その数は実際100万人以上で、50代、60代と高齢化している」と推定しています。勿論、99.99%の引きこもりの本人たちはそんな事件とは無関係なので、はた迷惑であり、注目されること自体は人権侵害なことは確かなのでしょう。

 世の中が格差社会、貧困社会になったせいなのか、私は専門家ではないので分かりませんが、いつ暴発するか分からない不満分子が増えればいつ事件に巻き込まれるか分からず、安心して公道も歩けません。

 先月31日には米バージニア州の市庁舎で銃乱射事件があり、少なくとも12人が死亡したと言われます。 またか、です。民間統計によると、米国で今年起きた銃乱射事件は、これで150件目になるとみられる、とBBCは報じています。いやはや、どこの世界でも、現代は安心安全に暮らしていけないものなんでしょうか?

格差社会の現実

ミラノ

 

今日は、父親の1周忌でした。早いものであれから1年過ぎました。月並みですが、あっと言うまでした。

 

所沢聖地霊園で法事を執り行いました。出席者は、母と兄嫁夫婦と甥と姪、姉夫婦と姪、弟夫婦の10人。姉夫婦の甥と弟夫婦の二人の娘は欠席しました。

 

昨日の規制緩和の話の続きです。

 

規制緩和というと、戦後の官僚支配を打破する特効薬と錯覚され、一部の諮問委員の口当たりのいい言葉に惑わされて、バラ色の未来が到来すると多くの日本人は誤解してしまいました。丁度、10年前は旧大蔵省の破廉恥な不祥事が大々的にマスコミで取り上げられて、「こんな奴らに国を任せていては駄目になる」という風潮ができあがったのです。

 

しかし、この規制緩和によって生み出されたものは、過度のコスト競争による賃金・労働条件の悪化、コスト削減による安全性の低下、そして利益優先による公共性の喪失という問題でした。

 

 例えば、所得階層の上位20%と下位20%を比較すると、1970年代はその差は約10倍でした。それが、2002年はその貧富の差は168倍にも広がったのです。 

 

 また、日本の一世帯当たりの年間所得の中央値は476万円なのですが、その半分の238万円以下の所得で生活する貧困層が6・5世帯に1世帯もあるのです。

 

 タクシーの運転手の場合、年収の全国平均は、1992年に378万円でしたのが、2004年には276万円にまで大幅に下がったのです。

 

 最新の統計によりますと、極端なリストラが進んだこの10年で460万人の正社員が失われ、代わって663万人ものパートやアルバイトが増加しました。正社員の平均年収が454万円なので、派遣社員(平均年収204万円)ならその半分、パート(同111万円)ならその4分の1の賃金で労働力が確保できるため、非正社員化に拍車がかかったわけなのです

 

 恐ろしい「格差社会」、貧民と富者との極端な差別化が始まったのです。一度ドロップアウトすると、這い上がることはできません。

まさしく、弱肉強食のジャングルの世界です。