茶番劇にはうんざり=鴎外と漱石の違い

  自民党総裁選は、「秋田県の貧農育ちで集団就職で上京した苦労人」、実は「父親は元満鉄エリート社員でカリスマ豪農。2人の姉は大卒の高校教師。本人は法大空手部副将出身の武闘派」という菅義偉官房長官(71)が昨日、総裁に選出されましたが、もうすでに8月31日に二階派、細田派、麻生派と主要派閥が雪崩を打って推薦したことで決まっていたようなものです。国家の最高権力者を選ぶというのに、投票できない国民は、黙って茶番劇を見ているしかありませんでした。いみじくも、14日付の朝日新聞社説は「苦労人?パンケーキ好き?だからなんだというんだろう。」と菅氏のことを思いっ切り批判していました。他の大新聞が「たたきあげの仕事人」とおべっかを使っているのとはえらい違いです。

 それにしても、勝馬に乗って美味い汁を吸いたいという権力志向の人間の性(さが)を見せつけられました。裏でどれくらいの金銭が動いたのか、動かなかったのか、知る由もありませんが、それにしても得票数を見る限り「石破つぶし」は凄まじかったですね。もう石破総裁の目はないことでしょう。菅氏は16日の臨時国会で第99代首相に指名されます。

 さて、今、竹内正浩著「『家系図』と『お屋敷』で読み解く歴代総理大臣 明治・大正篇」(実業之日本社)を読んでいますが、色んなエピソードが満載されています。特に、明治・大正時代の首相というのは、その地位と権力は今とはケタ違いで、愛妾を何人も囲い、広大な敷地の本宅と多くの別荘を持ち、その優雅さは現代人から見ると想像を絶します。

 ただし、「諸行無常、奢れるものも久しからず」で、広大な本宅や別荘は本人の手元から離れ、今では学校になっていたり、財閥の会社寮になってたりしているのがほとんどですが…。でも、この本を読むと、これまで知らなかった意外な事実が出てきて、読みだすと止まらなくなります。

 例えば、自民党総裁選で話題になった東京・永田町の一等地にある「自由民主党本部」。ここは明治になって「文部大臣官邸」があった所だったんですね。初代文部相森有礼が住み、後に首相になる西園寺公望も文部相時代にこの官邸に住んでいました。

 西園寺公望は、いわゆる京都のお公家さんです。実家の徳大寺家から西園寺家の養子になりますが、その家柄の良さは歴代首相の中でも皇族の東久邇宮稔彦王は別格として五摂家筆頭の近衛秀麿に次ぎます。西園寺の末弟徳大寺隆麿が住友本家の婿養子となって住友吉左衛門友純(ともいと)になったため、住友財閥から援助を受けた西園寺は生涯お金に困ることはありませんでした。大正8年(1919年)、首席全権として出席したパリ講和会議には愛妾(西園寺は生涯、正式に結婚をしなかった)と大阪の高級料亭「灘萬」(東京「なだ万」)の料理長まで同行させていたといいます。

 西園寺公望は、京都から新首都東京に来てから、本所、築地、銀座などさまざまな所に住みますが、その中に内幸町があります。「『家系図』と『お屋敷』で読み解く歴代総理大臣」の著者竹内氏は、それは明治29年、内幸町1丁目(現在、東京都千代田区内幸町の2丁目)で島津久光邸の跡地だったと書いております。しかし、その後で、「ここは最初の東京府庁があった所」と書いてあったので、どうも矛盾します。

 まず、島津薩摩藩の上屋敷があった所は現在の内幸町1丁目です(2丁目ではありません)。今は、みずほ銀行東京本部やNTT日比谷ビル(その隣に、あの「鹿鳴館」もありました)などがあります。

 現在の内幸町2丁目は、今は富国生命ビルやプレスセンタービルなどがある「日比谷シティ」です。確かに、ここは東京府庁がありました。ということは、著者は混同したようです。内幸町2丁目は、江戸時代は大和郡山藩の上屋敷があった所でした。明治になって東京府庁になり、1894年(明治27年)に東京府庁が有楽町の陸軍練兵場(今は国際フォーラム、江戸時代は土佐藩上屋敷)に移転した後、その跡地の詳細は分かりませんが、プレスセンタービルは戦前、満洲映画の東京支局でした。また、日比谷シティには昭和13年から昭和48年まで、渋谷に移転する前のNHKの東京放送会館があり、私もよく覚えています。

 ◇「文士の会」は今の「桜を見る会」?

 ところで、西園寺公望は首相在任中の明治40年6月17~19日に、東京・駿河台南甲賀町の本邸に文士を招いて宴を主宰しています。参加したのは、森鴎外、泉鏡花、大町桂月、幸田露伴、島崎藤村、田山花袋、国木田独歩(明治34年11月から翌年2月まで駿河邸内の長屋に寄宿していた)らです。その一方で、首相の招待を辞退した人もいました。それは、夏目漱石、坪内逍遥、二葉亭四迷です。漱石も二葉亭も、恐らく、権力に阿るようなことはしたくなかったのでしょう。

 文士の会は、現代版の「桜を見る会」といったところでしょうか?

 人はいつの時代でも、勝馬に乗って甘い汁を吸いたいという権力志向の持ち主です。そんな中でも反骨精神を持って、権力からなるべく遠ざかる人もいるわけです。作家というより、勲一等陸軍軍医総監にまで昇り詰めた森鴎外は前者に近く、帝大の文学博士号まで辞退した夏目漱石は後者だったのでしょう。文士ならそうこなくちゃ。この史実を知って嬉しくなってしまいました。