築地「かつ平」から空爆を逃れた戦前の街並みへ

築地「かつ平」

東京は銀座と築地と新富町辺りは私のシマなので顔役(笑)として、老舗店舗から細い路地まで知り尽くしていたつもりでしたが、まだまだ修行が足りませんでした。

築地本願寺の裏手に当たる築地6丁目に、池波正太郎がこよなく愛したトンカツ屋「かつ平」があるというので、ランチを食べに行ってきました。

午後1時過ぎだというのに超満員。初めて行くので、壁に貼ってあった「ロースカツランチ」1150円を注文してみました。

待つこと13分。出てきたのはかなり大きめのロースカツ。あとから分かったのですが、ロースカツは脂身が多く、ヒレカツ(1050円)はそれ程でもないということでした。

なるほど、やはり、ロースカツは白身の脂がそのままでしたから、後からちょっと胃がもたれてしまいました。

今度はヒレカツにしてみようかしら。

池波正太郎先生がおススメする店は、銀座の「煉瓦亭」とか「資生堂パーラー」とか、ちょっと高めのお店が多かったのですが、ここは庶民的と言えるかもしれません。

 

この築地本願寺の裏手の6丁目、7丁目辺りは米軍による空襲爆撃を逃れたため、こうして、古い戦前の建物が残っており、一瞬、タイムスリップしたような感じに襲われます。

何故、この辺り、空襲がなかったかといいますと、隣の明石町に聖路加病院があったため、戦後、米軍が占領した時に戦傷者らの治療のために残すべく爆撃を避けたと言われてます。

繁華街の銀座は空襲に遭いましたが、その隣の日比谷界隈にはGHQの置かれた第一生命本社や東京宝塚歌劇場(占領時は、兵士の慰安のためのアニー・パイル劇場に)があったため、態と爆撃せずに残しておいたわけです。

かつての敵国は、日本全土にどんな建物があり、何処に軍事工場があり、何処に学校や病院があるか全て把握した上で、精密機械のように空爆していたことが分かります。

果たして日本は、そこまで把握して、戦後世界をどう築くかまで構想を持って戦争を始めたのか甚だ疑問です。情報戦では最初から負けていたわけです。