iPhone音楽しか生き残れない?=音楽プロデューサー木崎賢治氏

 21日(日)は、東京外国語大学の同窓会の懇親会(講演会)にオンラインで参加しました。大学の同窓会、もう少し細かく言いますと、「仏友会」といってフランス語を専攻した大学の同窓会は、春と秋の年2回開催されていますが、同じ大学でも他の語学科にはないようです。別に仏語科の卒業生の結束が固いわけでもないし、どちらかと言えば、仏語出身者は個人主義者が多く、特に、私と同時期にキャンパスで過ごした学友は関心がなく殆ど参加していません。昭和初期に設立されたこの会が100年近く続いているのは七大不思議の一つになっております。

 今回のゲストスピーカーは、木崎賢治(きさき・けんじ)さんという1969年に卒業された今でも現役の音楽プロデューサーです。会に参加する度に思うのですが、本当に色々な優秀で素晴らしい先輩方がいっらしゃるものだと感心します。 

 木崎氏は、大学卒業後、芸能プロ「ナベプロ」の渡辺音楽出版に入社し、最初は、洋楽の音楽著作権管理の仕事で、海外の著作権者とのやり取りや翻訳等に従事していましたが、そのうち、ピアノも弾けるので、音楽プロデューサーに向いているという社内の人からの推薦もあって転向し、沢田研二、アグネス・チャン、山下久美子、大澤誉志幸、吉川晃司らの制作を手掛け、その後、独立して槇原敬之、福山雅治らのヒット曲も手掛けた人でした。

 話がうまくて落語家の噺を聞いているようで大変面白かったのですが、逆に言うと、この面白い話を活字に起こすとなると難行中の難行になります。話が飛んだり、文語にするには言葉足らずだったり、面白いニュアンスを伝えるのが難しいので、これは私(我)があくまでも聞いた=如是我聞=ということで、色々勝手に捕捉しながら皆さんにもお伝えしたいと思います。

 木崎氏は、小学校の頃は歌謡曲を聴いていましたが、中学生になると、当時の米軍放送FEN(現AFN)から流れる「ビルボード・トップ20」に夢中になり、ニール・セダカやポール・アンカ、エルビス・プレスリーらにはまります。でも、どちらかと言うとアーティストよりもその作詞作曲者(「ハウウンド・ドッグ」をつくったリーバー&ストーラーやゴフィン&キャロル・キングなど)やプロデューサー、エンジニアら裏方の方に興味があったといいます。

 というのも、本人も中学生の頃からギターを、高校生の頃から本格的に作曲を始め、NHKの番組「あなたのメロディー」に応募したら見事合格し、ペギー葉山さんが唄ってくれたといいます。

 高校の時にカントリーやハワイアンをやり、大学ではフォークソングをやりながら、週に1,2回も新宿のディスコで、黒人中心のR&Bを聴きながら踊り、メロディーと和音だけでなくリズムも身体で覚えたといいます。そんな音楽の素養があったのです。

 ピアノは大学生の頃から始めたとはいえ、彼の特技は採譜、つまり、楽曲を譜面に書けることでした。歌手出身の作曲家平尾昌晃さんは、五線譜が書けなかったので、担当した曲は木崎氏が採譜したといいます。

◇沢田研二「許されない愛」が大ヒット

 プロデューサーになって最初の1年ほどはヒット作に恵まれませんでしたが、沢田研二の「許されない愛」(1972年)が大ヒットします。この時、まだ25歳の若さでしたが、この曲によって自分の感性に自信が持てるようになり、その後は、著名な作詞作曲家の大先生に対しても、自分の意見を言えるようになったといいます。

 普通の人は、”音楽プロデューサー”といっても何の仕事をするのか分からないでしょうが、木崎氏の裏話を聞いて、「なるほど、そういうことをする仕事か」と分かりました。

 乱暴に言えば、歌手に合った「売れる曲」を作詞作曲家につくってもらうことです。そのためには、大先生に対して「ここを直してくれ」と直接あからさまには言えませんが、「このフレーズを繰り返して欲しい」とか「とてもいいんですが、サビがもう一つ…」などと怒られながらも提案してみたり、なだめすかしたり、ご機嫌を取ったりして、自分の感性を信じて、原曲とはかなり違っても完成させていく監督のような協力者のような助言者のような、要するに、製品として売り出していく最終的な責任者であり、製作者ということになります。

◇アグネス・チャン秘話

 アグネス・チャンのデビュー作にまつわる秘話も面白かったでした。アグネス・チャンは平尾昌晃さんが香港からスカウトしてきた歌手でしたが、平尾さんがつくった曲は、小柳ルミ子調の曲で木崎氏にはどうしても気に入らない。そこで、ヒット曲の極意が分かってきた木崎氏は森田公一さんに作曲を依頼し、それが、あのデビュー曲「ひなげしの花」(1973年)だったのです。デビュー曲が大ヒットしたのは良いのですが、怒り心頭なのは平尾昌晃さんです。「自分が見つけて来たのにどういうことか」と怒られます。そこで、木崎氏はアグネス・チャンの3枚目のシングルとして平尾氏に依頼します。それが、100万枚のヒットとなった「草原の輝き」ですが、この曲が出来上がるまでに、何度も手を変え品を変えて懇願し、怒られたり、逆に奥の手を使って勝手にフレーズを繰り返したりして、編曲者から「こんなことしたら、平尾さん、怒っちゃうんじゃないの?」と言われても「自分の感性」を強行してしまったようなのです。

◇前世代がつくったものの組み合わせ

 この後、沢田研二の「危険なふたり」(安井かずみ作詞、加瀬邦彦作曲)や「勝手にしやがれ」(阿久悠作詞、大野克夫作曲=レコード大賞、作詞家の阿久悠さんとの大喧嘩の話も面白かった)など次々とヒット曲を生み出した木崎氏は、あるヒットの法則を発見したといいます。新しいものは世の中になく、前世代がつくったものを足したり、組み合わせたりしたりしているに過ぎない。それは、バッハでもベートーベンにも言えること。大リーグでMVPを獲得した大谷翔平選手も、打つ、投げるの組み合わせでやっている。周囲から「そんなもの無理だよ」と疑いの目を見られながら二刀流の実績が残せたのもよっぽど精神力がないとできない。音楽も周りにある常識的なものを見直すことしかヒット作に導かれないのではないかー、と。

 木崎氏は最近、「プロデュースの基本」(集英社インターナショナル)という本を出版しましたが、「本人に会ってお話を伺いたい」とアプローチして来た人は、音楽関係者ではなく、IT関連の人ばかりだったといいます。

 木崎氏は「今や音楽でもiPhoneでやらなければ駄目な時代になってきた。今や若者はCDも買わず、CDはもはや絶滅危惧種に近い。こうなると、iPhoneで聴ける音楽しか生き残っていけなくなる。最近、ロックバンドが流行らなくなったのも、エレキギターのひずんだ音楽がiPhoneでは聴きづらいからでしょう」などと分析していました。「なるほど、ヒットメーカーが着目することは凡人とは違うなあ」と感心した次第です。