京都・泉涌寺で「練り供養」

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こんにちは、京洛先生です。

ラグビーが終わったと思ったら、即位の礼。国民皆が、テレビの画面に集中するさまは異常です。マスコミは煽るのが商売ですが、それに煽られている方はもっと冷静に考えて、「バカバカしい」と思えないのですかね。

台風の被災者を考えてパレードを延期したのは天皇陛下の御意向と安倍首相の判断で賢明な選択だと思いますが、ラグビーにせよ、即位の礼にせよ、テレビの報道の仕方は異様でした。

 本来はラグビーなんかで浮かれていないで、「台風の被害で苦労している人のために、被災者にもっと援助をしないといけない」と情報発信する責務がありますが、思慮分別の無い軽薄メディアには無理でしょうね(笑)。

 ワタシのような天邪鬼はいつの時代でも少数派ですが、「ダイバースティ!多様な時代、多様な時代!」と言われているというのに、実態は「画一化の時代」ですよ。

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 これでは安物の造花の花を振り回して、喜んでいる北朝鮮と同じですよ(笑)。あちらは「演技でやらされている」と自覚して、反発して人もいるようですが、日本は「本気」ですから、もっと怖いですね。ラグビーなんかは「優勝」もしていないのに、記者会見をセットして、それを報じるとは「恥を知れ」ですよ。

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ところで、10月20日(日)は、「練り供養」、正式には「聖衆來迎練供養会式」が、東山のふもと“天皇の御寺(みてら)“である「泉涌寺」の塔頭の一つ「即成院」でありました。

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 「練り供養」は、奈良の「当麻寺(たいまでら)」で、中将姫の命日である旧暦3月14日(新暦4月14日)に行われたのが始まり。それに習って、全国各地のお寺で、春に行われるのが一般的です。この「即成院」は毎年秋の10月の第三日曜日に行われています。

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阿弥陀如来が25菩薩を引き連れ、金色の仮面を被って金襴の豪華な装束を着て、境内に作られた仮設の50メートルの「来迎橋」の舞台の上を練り歩きます。

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  仮面をつけているので、付き添いの人がつかないとスムーズに前に進めません。文楽人形の人形と遣い手に似た雰囲気もありますね。

 お練りのバックには、笙や竜笛の音色が響き渡り、平安期の来迎思想の一端を今の世に伝え、醸し出していると言えます。

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 午後1時から始まりましたが、意外にも観光客が少なく、落ち着いて、ゆっくり2時間ほどの極楽浄土絵巻を拝まさせて頂きました。

 そうそう、東京では、来年5月5日、貴人も御存知の世田谷区奥沢の浄土宗「九品仏浄真寺」で、江戸時代から続く「練り供養」が行われます。

 正式には「二十五菩薩来迎会(おめんかぶり)」といい、3年に1度しか行われませんので、またとない機会ですよ。

 以上

【洛中便り】西班牙料理での饗宴

おはようございます。京洛先生です。今年も本当に残り少なくなりましたね。

 ところで、昨晩は、貴人が、加藤力之輔画伯のご令室から、マドリードで美味しい食事をされた、本場仕込みの「西班牙料理」を、加藤画伯の洛中のアトリエで迂生もご馳走になる機会を得ました。

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 上の写真をご笑覧ください。凄いでしょう。ついでに、アトリエのベランダから眺めた洛中の眺望、京都タワーの威容がよく見えました。


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饗宴料理の中には、マドリードで、渓流斎さんがお口にされた西班牙料理と同じものがありますかね?(笑)。小生は、外国料理は苦手ですが、昨夜の西班牙料理は、いずれも美味しかったですね。


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 料理の名前は憶えていませんが(笑)、西班牙から送られてきた素材をふんだんに使って、加藤画伯と、招待客ながら手伝いに見えていた料理に詳しい立体作家が共作で作られ、もてなしてくださいました。

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加藤画伯のアトリエにふさわしく、集まったのは、ポルトガルと京都を拠点に、「アズレージョ」というポルトガルの装飾絵タイルの創作活動をしている造形作家の石井春さん(www.ishii-haru.info)。泉涌寺の傍で茶道を教えられている「山荘流」家元さん。そのほか眼科医さんなど多彩な顔ぶれが招かれ、“加藤サロン”の楽しい小宴でした。

造形作家の石井さんは自らのブログを持っておられ、いろいろ電脳空間活動も展開されているので、その創作活動の一端をご覧ください。

 また、茶道と言えば、凡人は、表千家、裏千家、武者小路の“三千家”だけが頭に浮かびますが、「山荘流」は高谷宗範という嘉永生まれで、明治、大正、昭和前期に活躍。弁護士、検事もした人物が創始した流派です。

宗範はもともと「遠州流」でしたが、同派から独立した新しい流派を興しました。宗範は当時の茶道界の現実を嘆き、国民道徳を向上させる狙いから、草庵(小間)の茶道を書院(広間)に力点を置くよう唱導したそうです。

これに対して、当時の茶人の高橋菷庵(三井の重役、新聞記者)は「広間でやる台子茶は原始人がするものだ。小間こそ奥行きが深い」と批判し、論争になったそうです。


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宗範は、大正時代に宇治の木幡の道元禅師の生誕の地に「松殿山荘」という約3万4000坪の茶道の道場を作り「財団法人『松殿山荘茶道会』」を設立して書院茶道を広める基礎を作りました。

今も、そこが山荘流茶道会の活躍拠点になっています。これも「松殿山荘茶道会」のホームページがありますから、ご覧になるとその内容、規模の大きさが分かると思います。

まあ、貴人が先日、渓流斎ブログで取り上げた1800年代のフランスのマスコミやサロンの世界を蹂躙、活躍した新聞王ジラルダンと同様、わが日本国も、その時代に、高谷宗範しかり、新聞記者から三井に転身して茶人になった高橋菷庵しかり、似たような軌跡の人物が存在したわけです(笑)。

貴人は、「言論ギャング」野依秀市とジラルダンを比較・考察されていたようですが、結局、芸術、マスコミ、経済界、政治家も、人とのつながり、融合した「サロン」という存在が大きな働きを持つのです。


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新聞記者が安倍首相と談笑するのも情報交換という「サロン」です。そこに“出前の岡持ち”「スシロー」が加わるのですから、その規模、中身がどういうものか分かるというものです(笑)。

以上報告終わり。

京都に善光寺? 秋の新善光寺展が開催中

おはようございます。お久しぶりです。京洛先生です。

えっ?お久しぶり、じゃない? 昨日も登場した?

おかしいですねえ。

あ、分かりました。昨日の「永観堂と南禅寺」の原稿は、もう2週間も前に渓流斎さんのGメールに送ったのですが、どうやら届いておらず、その後、何度もGメールに送付したのですが、届いていなかったというのです。

おかしいですね。一体、何処の電脳空間に消えてしまったんでしょう?

やはり、ただのメールは駄目ですねえ。仕方がないので、渓流斎さんに他のメールアドレスを教えてもらって再々送したのでした。

以下の原稿も改めて送稿したものですが、是非ともお付き合いください。

さてさて、紅葉の時季になり、洛中は観光客が押しかけ有名寺社は正月三が日のような賑わいです。

ところで、皆さんは京都にも「善光寺」があるのはご存知でしょうか。「え!善光寺は信州、長野じゃないですか」と目をぱちくりされるでしょう´艸`)

 実は、あるのですよ、京都にも「善光寺」が。鎌倉時代、時の天皇が「遠い信州に行かなくて、近くでお参りできるように」と建てられたのです。ですから、お寺の名前は「新善光寺」です。

京都に住んでいても知る人ぞ知るお寺です。渓流斎さんが先日、鎌倉での個展に出向かれた加藤力之輔画伯の、京都でのアトリエのそばに「新善光寺」があるのです。

偶々、この「新善光寺」が大方丈の瓦の葺き替えが終わったのを記念して、「新善光寺展」(午前10時〜午後4時、入場料500円)が一昨日(11月17日)から来月1日まで開かれているのです。

 天下のNHKをはじめ、地元の新聞や各紙が地域版その紹介のニュースも流しています。

この新善光寺は772年前の、寛元元年(1243年)に、後嵯峨天皇の勅願で創立されました。

御本尊は信州の「善光寺」と同じ阿弥陀如来で、同仏同体に作られた鎌倉時代の仏像です。後嵯峨天皇は、京都から信州までは、すぐには行けないので、新たに、一条通り大宮に「新善光寺」を開山されたわけです。

その後、「応仁の乱」で、新善光寺も焼失となり、新たに文明5年(1473年)、土御門天皇の勅願で、皇室の御寺「泉涌寺」内の現在の地に移されました。

写真の通り、“皇室の御寺”と呼ばれる「泉涌寺」の境内ににあるだけに、周囲は静寂で、此処では、変な外国人の姿があまり見えませんね´艸`)

境内の周りも紅葉が目立ち、お寺の庭を見ながら、お薄をいただきましたが、気持ちがゆったりしました。

「新善光寺展」では、日ごろは非公開の本堂、庭園や、寺宝の狩野探幽の「鯉の図」、狩野周信の襖絵はじめ、皇室の遺品などが公開されていて、一昨日は、泉涌寺の歴史資料館の学芸員の方が、新善光寺の歴史由来をお話しされておりました。

加藤画伯はアトリエがすぐそばにあり、会期中は同展の受付でお手伝いされておられました。

玄関先での加藤画伯の写真もお送りしますが、これは「肖像権」の問題もあり、《渓流斎日乗》で使っちゃあいけませんよ(笑)。

おしまい。

※写真は全て「新善光寺」 Copyright by Kyoraque-sensei

【追記】

小生のGメールにメールされた方で、もしかして、届いていないものもあったかもしれません。小生、几帳面ですから、必ず返信しております。返信がないのは、こちらにメールが届いていない可能性があります。

Gメールのアルファベット社に代わってお詫び申し上げ奉ります。