格差社会の現実

ミラノ

 

今日は、父親の1周忌でした。早いものであれから1年過ぎました。月並みですが、あっと言うまでした。

 

所沢聖地霊園で法事を執り行いました。出席者は、母と兄嫁夫婦と甥と姪、姉夫婦と姪、弟夫婦の10人。姉夫婦の甥と弟夫婦の二人の娘は欠席しました。

 

昨日の規制緩和の話の続きです。

 

規制緩和というと、戦後の官僚支配を打破する特効薬と錯覚され、一部の諮問委員の口当たりのいい言葉に惑わされて、バラ色の未来が到来すると多くの日本人は誤解してしまいました。丁度、10年前は旧大蔵省の破廉恥な不祥事が大々的にマスコミで取り上げられて、「こんな奴らに国を任せていては駄目になる」という風潮ができあがったのです。

 

しかし、この規制緩和によって生み出されたものは、過度のコスト競争による賃金・労働条件の悪化、コスト削減による安全性の低下、そして利益優先による公共性の喪失という問題でした。

 

 例えば、所得階層の上位20%と下位20%を比較すると、1970年代はその差は約10倍でした。それが、2002年はその貧富の差は168倍にも広がったのです。 

 

 また、日本の一世帯当たりの年間所得の中央値は476万円なのですが、その半分の238万円以下の所得で生活する貧困層が6・5世帯に1世帯もあるのです。

 

 タクシーの運転手の場合、年収の全国平均は、1992年に378万円でしたのが、2004年には276万円にまで大幅に下がったのです。

 

 最新の統計によりますと、極端なリストラが進んだこの10年で460万人の正社員が失われ、代わって663万人ものパートやアルバイトが増加しました。正社員の平均年収が454万円なので、派遣社員(平均年収204万円)ならその半分、パート(同111万円)ならその4分の1の賃金で労働力が確保できるため、非正社員化に拍車がかかったわけなのです

 

 恐ろしい「格差社会」、貧民と富者との極端な差別化が始まったのです。一度ドロップアウトすると、這い上がることはできません。

まさしく、弱肉強食のジャングルの世界です。