投げる不動産屋、学問もする広告塔

 晩夏だというのに、日中の暑さは相変わらず。関東地方も34度の暑さで、コロナと熱中症の二重苦、三重苦です。

 こんな、よりによって最悪な季節にオリンピックだなんて、やってる選手だけでなく、役員や審判も、そして何よりも観客もその場に居るだけで、大変なことです。何よりもメディアがスポンサーになっているので、どこも批判するところはなく、その危険すら知らせてくれません。真夏開催は、バスケットや野球やアメフトなどのドル箱試合との重複を避けるための米放送業界の策略だなんて口が裂けても言えない。莫大な放送権料という「不労所得」目当てのIOC貴族による陰謀だなどと大手メディアは知っていても書けない。

 そのせいか、五輪開催反対の世論が全く形成されませんが、賛成する人も、利権にたかる人たちまでも、心の中で、来年コロナが終息するわけがなく、開催は無理ではないか、と危ぶんでいます。

夏はお寿司がいい

 と、書きながら、どこか他人事です。またまたアパシーapathy(興味・意欲喪失)状態がここ1~2カ月続いています。IR汚職も、自民党公費(国民の税金?)1億5000万円も買収資金に使った河井夫妻についても、どこか「どうでもいい」と冷めています。こんなブログに「許せない!」などと書いても事態が好転するわけがなく、単なる蟷螂の斧。粋がっている自分が恥ずかしいだけです。

 個人的ながら、6月下旬に羅針盤を失くしてしまってから迷走が続いています。このブログではなるべくジャーナリスティックな話題を追いかけてきたつもりですが、アパシーになっては筆鋒が鈍ります。世の中で何が起きても、所詮どうでも良いのです。ジャーナリズムのいい加減さにも自戒を込めて痛感しています。

 例えば、憲法改正問題について、賛成か反対か、ジャーナリストは著名な評論家の下に通い、何か一筆書いてほしいと依頼します。先生曰く「賛成?反対?どっちでも書けるよ」。「そうですか、では、今日のところは賛成の立場で論陣を張ってください」-そんなことがジャーナリズムの世界ではまかり通っているわけです。

握りもいいけどバラ寿司も

 今朝(27日付)の朝日新聞朝刊トップで、人口減少問題を取り上げています。題して「限界先進国 エイジング ニッポン」。2020年1月1日時点の日本の総人口は約1億1472万人と総務省から8月5日に発表されましたが、約100年後の2115年には5055万人に半減するというシュミレーションも描かれていました。少子高齢化で1年間に約50万人の日本人が減っていきます。また、総務省の調査では、10年以内に全国で3197もの集落が消滅する、とはじき出しています。

 集落衰退の理由の一つとして、15年前の「平成の大合併」が挙げられていました。大合併により村役場が閉鎖され、職員もその家族もいなくなり、また、住民サービスが行き届かなくなって不便になった集落の人口減に拍車が掛かったといいます。

 今から15年前というと平成17年(2005年)ですか。私は当時、北海道の帯広にいて、ちょうどこの平成の大合併を取材していました。住民投票による賛成、反対票確認と結果の報道が精いっぱいで、15年後に合併させられた小さな町村が限界集落になって消滅の危機になることなど考えてもいませんでした。全く浅はかでしたね。

 それでいて、自分を棚に上げて、ジャーナリズムの浅はかさに日々、不満を感じています。

 テレビを見ると、スキャンダルを起こした夫に代わって美人タレントの妻が出演していました。健気な糟糠の妻?感心している場合じゃありませんよね。民放もNHKまでも番宣(番組宣伝)だらけです。民放の夕方のニュース番組で、ジャニーズ系のタレントが講師に復帰する、とかやっているので、てっきりニュースかと思ったら、時の最高権力者とも関係が深い森永製菓のコマーシャルの講師役にそのタレントが復活するという話でした。報道にかこつけた番宣じゃないですか!

 1本8000万円とも1億円とも言われるCM出演のため、タレントも俳優も監督もスポーツ選手も学者までも、浮気な視聴者からの人気を勝ち得ようと「露出」に余念がありません。露出こそがすべて。いつも同じ顔触れです。正直、見たくもない。

 昔、バブル華やかりし頃、某有名球団のピッチャーが、不動産投資をしてぼろ儲けしていたことから、先鋭な夕刊紙から「投げる不動産屋」と命名されたことがありました。投手が本業でなく、不動産が本業で、その片手間で野球もやっているという揶揄です。その伝で今の状況をなぞれば、「歌って踊れる宣伝屋」「足の速い宣撫員」「学問もできる広告塔」じゃありませんか。テレビが駄目ならユーチューブ? そんなに楽して金儲けしたいの? 日本人に恥の精神はなくなったのかい?

 見ていて苛立たしいのですが、私はここ最近、アパシーなものですから、「どうでもいいや」という感想の方が優ってしまうのです。

 嗚呼、残念。

代わりはナンボでもいます

WST National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

 渡部健(わたなべ・けん)です。よく間違われますが、今、話題沸騰中の渡部建(わたべ・けん)さんではありません。健康の健です。

 コロナ禍の中、世間の皆様には久しぶりに明るい話題を提供してしまいました。特に、15歳も年下の超美人女優と結婚したことから、もてない男たちからの羨望、やっかみ、誹謗中傷、糾弾は、相当なものがありましたが、今回のスキャンダルで、彼らからの皮肉を込めた嘲笑と拍手喝采にはかなり堪えました。

 カイロ大学ではなく、神奈川大学首席卒業を自称していますからね。インテリの皆様からは付け焼き刃のグルメぶりを見抜かれて、それが、単なる、若いお姉ちゃんとお付き合いする方便に過ぎないことまで見破られてしまいました。今回、コロナ禍なのにお持ち帰りまでしまったことで、馬脚をあらわしてしまったわけです。不徳の致すところであり、大変猛省しております。

 それにしても、日本人というのは、他人の不幸は蜜の味で、スキャンダルが大好きですね。おかげで、テレビもラジオもレギュラー番組からの降板を余儀なくされてしまいました。芸能界は弱肉強食の世界ですから、これをチャンスに次々とライバルが後釜を狙っています。一部、相方の「小島だよ」君が代演してくれるのは有難いのですが、他の奴が起用されるのは我慢できません。

 しかし、ディレクターさんからは「余人に代えがたい」なんて言われ続けていましたが、嘘偽りだったんですね。代わりのものなんか、他にもナンボでもいます。あれだけテレビに出まくっていたみのもんたさんの代わりに、今、有吉弘行さんと坂上忍さんが後釜に居座っております。広域任侠団体との交際が発覚して芸能界引退に追い込まれた島田紳助さんの後名跡には、今田耕司さんが襲名し、見事にお株を奪っております。皆、あんな人気者だったみのさんや紳助さんのことを忘れてしまっています。

WST National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

 そう、大変失礼ながら、代わりはナンボでもおらすのです。実際、「余人に代えがたい」と閣議決定までして定年延長した東京高検の黒川弘務検事長(当時)でさえ、賭け麻雀という偉業を成し遂げて破門(本当は辞任)に追い込まれましたが、林眞琴・名古屋高検検事長(62)が後任として就任しました。林検事長は7月にも検事総長のポストが予想されています。

 さてはさて、御しやすい黒川高検検事長の検事総長就任を隠密に図りながら、本人の「オウンゴール」で果たせなかった安倍晋三首相は「任命責任を痛感している」「さまざまな批判を国民から頂いている。真摯に反省し、職責を全うしたい」などと、口先ばかりの弁解に終始しています。

 でも、さすがに、今回は国民の堪忍袋の緒が切れたようです。後手後手のコロナ対策、時代遅れのアベノマスク、申請してもなかなか降りない一律10万円と、持続化給付金のよく分からないトンネル法人への業務委託問題等々、問題が山積しながら、来週17日で国会を閉じようとしています。毎日新聞の調査では、安倍内閣支持率が、危険水域の30%を切りました。そうなると、代わりはナンボでもいるのです。石破茂さん、岸田文雄さん辺りが意欲を示しておられるようですが、ちょっとインパクトに欠けますね。毎日マスクを代えて、局長や副知事会見で済ましていいような些末な発表事項までテレビに出まくって、露出度を高めて再選を狙っている「カイロ大学首席卒業」の小池百合子都知事の手口を見習ったらいいのではないかと思います。