シュス・トムセンさんの死

アメリカに住む今村哲郎君が久しぶりに帰国し、渋谷で会いました。6年ほど前にキューバ旅行した際、テキサス州の彼の家に厄介になったことがあるので、彼に会うのはそれ以来です。

彼は結婚してもう16年も経つのに、日本の親戚に結婚の報告と挨拶をするのが、これが初めてで、ご先祖さまの墓参りと親戚の挨拶廻りの忙しい中、私のためにわざわざ時間を取ってくれました。

日本人の奥さんと15歳になる娘さんも一緒です。

彼は叔父さんに言われたそうです。

「不義理もここまでくると、時効だな」

ま、彼はそこまで達観しているいい奴です。

ところで、彼の口からシュス・トムセンさんの死を聞きました。もう6年前の2000年7月だったそうです。

彼女はデンマークの人ですが、コペンハーゲン建築大学を卒業後、ロータリークラブの支援で1970年代に日本に留学し、これが縁で、今村君の出身地である福岡県の星野村の「源太窯」で焼き物を修行するようになった陶芸家です。文部省の給費留学生としても滞在しています。星野村の農村風景を写真にとって解説した本を出版したりもしています。

つまり、日本とデンマークの架け橋となる仕事をたくさんした人です。

私も今村君と知り合って、デンマークの彼女の住む工房兼自宅を彼と一緒に訪れたことがあります。彼女はコペンハーゲンの南のムーン島というところに一人で住んでいました。コペンハーゲンから電車で2時間、その駅から歩いて2時間くらい掛かる所でした。途中でヒッチハイクした記憶があります。もう三十年近く昔の話なので、あまり詳しく覚えていないのですが、真夜中なのに白夜だったので、あたり一面が明るく広大な麦畑が広がっていました。

彼女の寝床は屋根裏部屋で、そこに辿り着くには梯子を登っていきますが、彼女が寝るときは、その梯子をはずして屋根裏部屋にしまってしまうので、誰もその屋根裏部屋に近づけない家の作りになっていました。僕たち二人は1階で寝ました。

翌朝、コーンフレークのようなものと、ヤギの乳を出してくれたことを思い出します。

日本語に堪能で、残された写真を見ると「広辞苑」なども机の上にのっていました。

彼女は本当に日本を愛した人でした。徳利なども製作し、デンマークに日本の文化を伝えました。

彼女の祖父はデンマークの駅舎を設計した建築家で、親兄弟も建築家や芸術家だったようです。

今村君から最初はシュスさんは病気で亡くなった、と聞きました。

しかし、九州の地域誌に載った彼女の追悼号を読むと「コペンハーゲンのアパートで自殺」と書いてあったのです。

これには非常に驚き、つい落涙してしまいました。

晩年の彼女はムーン島の田舎の自宅を引き払って、コペンハーゲンに出てきましたが、芸術的創作に行き詰ってしまったようです。

もっと複雑な原因があったでしょうが、想像を絶する理由だったのでしょう。しかし、彼女の死がとても残念でなりません。

シュス・トムセンさん(1939・4-2000・7)は、現在、コペンハーゲンの共同墓地で眠っているそうです。

シュスさんの魂よ、安らかに…