幸田文「流れる」と法輪寺三重塔再建=江戸しりとり唄「牡丹に唐獅子」

 昨日は、NHKラジオの「聴き逃しサービス」の11月に放送された「語り継がれる”幸田家”のことば」のことを書きましたが、私はギリギリながら全5回を聴き通すことができました。お話は、幸田露伴の曾孫で、幸田文の孫に当たる青木奈緒さん。第2回放送分以降も、来月4日からだんだん聴けなくなってしまいますから、聴くのは今のうちで御座います。

 面白いので、2回、3回、繰り返して聴いた回もありましたが、このままでは、私の右の耳から左の耳を通過しただけなので、必ず、忘れていくことでしょう。それでは惜しいので、印象深かった「幸田家の言葉」を少しだけ書いてみたいと思います。語り手の青木さんは、「小石川の家」を書いた露伴の孫の青木玉さんの娘です。露伴から4代続く、文筆家ですが、話し方もとても魅力的で、ずっとお話を聴いてみたい気にさせてくれます。

 「幸田家の言葉」を書き並べる前に、青木奈緒さんの祖母に当たる幸田文さんのことをまず書いておきます。私が、彼女の名前を知ったのは、確か、小学校の教科書に載っていた「あか」という作品でした。内容はすっかり忘れてしまいましたが(笑)、主人公のお父さん(つまり露伴ということになるでしょう)が、「犬殺し」(明治大正時代は、ブン屋=新聞記者と犬殺しには嫁は出せないと言われていた!)から処分されそうになっていた赤毛の野良犬をもらって来て、彼女は「あか」と名付けて飼うことにしました。でも、家には既に血統書付きのしっかりした犬がいて、主に彼女の弟が面倒をみていましたが、その犬と比べるどうみても見劣りする。それでも、あかは主人公になつき、子どもたちの間でも段々人気者になっていく、といった話だったと思います。

 何と言っても、幸田文と言えば、私の大好きな映画監督・成瀬巳喜男の代表作の一つ「流れる」(田中絹代, 山田五十鈴, 高峰秀子, 杉村春子のオールスターが出演)の原作者。実は、私自身、この小説を読んでいませんが、実際に幸田文が「断筆宣言」した後、柳橋の芸者置屋で働いた経験を元に書いたようですね。

 そして、青木奈緒さんのお話(自身の随筆朗読)の中にも出てきますが、幸田文さんは、奈良のお寺の塔を再建する作業のお手伝いをするために、1960年代後半から70年代にかけて、奈良に移り住んだりしています。ここは何処かと思ったら、先日、テレビで「聖徳太子と法隆寺」の番組をやっていて見ていたら、法隆寺の近くにある奈良・斑鳩の法輪寺が出てきて、「作家の幸田文らの尽力で、焼失した三重塔が再建されました」とナレーションでやっていたので、吃驚してしまいました。何というシンクロニシティ!

 さて、幸田家に4代に渡って日常生活の営みの中で伝わってきた「言葉」の中に、

 人には運命を踏んで立つ力がある。

 というものがありました。これは説明はいらないでしょう。

 もう一つ、印象に残った言葉は、

  心ここに在らざれば 見えども見えず 聞けども聞こえず 食らえどもその味を知らず

 これは、青木さんが幼い子どもの頃、食事するのが遅く、食べるとき、遊んでしまっている時に親や祖母から諭された言葉だったそうです。半世紀過ぎても覚えているところが凄い。青木さんは、当然、露伴の言葉かと思っていたら、実は中国の四書五経の「大学」の中の言葉だったことを結婚をし何年も経ってから知ったという逸話を話していました。

 もう一つ、

 一寸伸びれば 尋伸びる

 もう日本では尺貫法は廃止されてしまったので、現代人はさっぱり分からなくなりましたが、一寸とは、3センチちょっと、尋(ひろ)とは両手を広げた長さのことで約1.8メートル。これは、当座の困難を切り抜けていけば、または、やり過ごしていけば、時間が経てば楽になる、収まっていくといったような意味で、”幸田家”ではよく使われたそうです。生活の中ではよく針仕事もするので、それに関連した言葉でもありました。

 他にも心に響く幸田家の言い伝えがありましたが、面白かったのは

 世の中に寝るより楽はなかりけり 浮世の馬鹿は起きて働く

 これは江戸時代の狂歌が原点にあり、地方によって色んな言い方があるようです。これは、今でも使われるので私も知っていました。毎日休まずブログを書いているので、座右の銘にしたいです。

 最後に、青木さんが子どもの頃に、祖母の幸田文さんと遊んでもらった時にやった言葉遊びの一つを取り上げます。幕末から明治にかけて流行った「しりとり唄」で「牡丹に唐獅子」というものです。私は全く知らなかったので、全文掲載しておきます。特に意味があるわけではなく、当時流行った、と言うか、当時の人なら誰でも知っている常識みたいなものを尻取りで並べたようです。が、現代人にはその「常識」がもはや通用しないですね。伝統は守らなければ、消滅してしまうという良い見本です。今では狩野永徳の描く絵画や歌舞伎の芝居などに少し残っているぐらいですから。

牡丹に唐獅子 竹に虎 虎を踏んまえ 和藤内
内藤様は 下がり藤 富士見西行 後ろ向き
むき身蛤 ばかはしら 柱は二階と 縁の下
下谷上野の 山かずら 桂文治は 噺家で

でんでん太鼓に 笙の笛 閻魔はお盆と お正月 
勝頼様は 武田菱 菱餅 三月 雛祭
祭 万燈 山車 屋台 鯛に鰹に 蛸 鮪
ロンドンは異国の 大港 登山駿河の お富士山

三べん回って 煙草にしょ 正直正太夫 伊勢のこと
琴に三味線 笛太鼓 太閤様は 関白じゃ
白蛇の出るのは 柳島 縞の財布に 五十両
五郎十郎 曽我兄弟 鏡台針箱 煙草盆

坊やはいいこだ ねんねしな 品川女郎衆は 十匁
十匁の鉄砲 二つ玉 玉屋は花火の 大元祖
宗匠のでるのは 芭蕉庵 あんかけ豆腐に 夜鷹そば
相場のお金が どんちゃんちゃん ちゃんやおっかあ 四文おくれ

お暮れが過ぎたら お正月 お正月の 宝船
宝船には 七福神 神功皇后 武内
内田は剣菱 七つ梅 梅松桜は 菅原で
藁でたばねた 投げ島田 島田金谷は 大井川

かわいけりゃこそ 神田から通う 通う深草 百夜の情
酒と肴は 六百出しゃ気まま ままよ三度笠 横ちょにかぶり
かぶりたてに振る 相模の女 女やもめに 花が咲く
咲いた桜に なぜ駒つなぐ つなぐかもじに 大象とめる