研究者生活も裕福でなければ続かない?=ダーウィン「種の起源」を読みながら

 チャールズ・ダーウィン(1809~82年)の名著「種の起源」(1859年)の渡辺政隆氏による古典新訳(光文社文庫、2009年9月20日初版)を3月に購入(2021年6月20日第13刷)しましたが、色々と御座いまして、途中で中断し、法華経や密教などの仏教書を優先して読んでおりました。

 先日、仏教書に関しては一区切りを付けましたので、今再読しております。(何か日本語が変?)「種の起源」といえば、超有名な古典です。ちょっと身構えて読み始めたのですが、拍子抜けするほど常識的な当たり前のことが書かれているのです。

 と、いけしゃあしゃあと言えるのは、実は、我々がダーウィンから見て150年後の未来人だからなのです。 「生存競争」(この本では「生存闘争」)、「適者生存」、「自然淘汰」、「用不用説」…。現代社会では、極めて常識になっておりますが、ダーウィンが生きていた当時は、極めて異様な危険思想だったようです。特に、いまだにキリスト教会勢力が権勢を誇っていた当時は、天地やヒトは「神が創造したもうた」ことが真実で常識であり、進化などという世迷言はあり得なかったのです。高貴で叡智に富んだ人類があの野蛮な猿から進化したなど、当時の人々にはとても受け入れがたい「不都合な真実」だったのです。それに、21世紀の現代でさえも、キリスト教原理主義者の人々は、いまだに進化論を受け入れていませんからね。

 1960年代後半、極東の島国の中学生だった私は、生存競争や自然淘汰などについて理科の授業で習ったと思います。考えてみれば、「種の起源」が出版されてまだ100年しか経っていなかったのに、極東国では既に常識として教えられました。特に、使わなかったらなくなってしまうという「用不用」説に関しては、先生が「人間の尻尾だって、昔はあったのに、今はないだろう?尻尾の跡はあるけど」といった例を出されたことを覚えています。

 ついでに、「頭だって、使わないとバカになるぞ」と脅された気がしますが、それは、理科の先生ではなかったかもしれません(笑)。

 最初に、この本は「拍子抜けするほど常識的な当たり前のことが書かれている」と記述しましたが、そのせいか、読むのがしんどくない、と言えばウソになります。それに、翻訳者の渡辺氏の方針で、註釈もしくは訳注は、最小限に留めた、ということですので、例えば、「マディラ島の甲虫は、ウォラストン氏が観察したように風が吹き止んで日が差すまで隠れていることが多い」(238ページ)と書かれていても、「あれ? マディラ島って何処にある島だろう?」とか「ウォラストン氏って前に少し出てきたかもしれないけど、誰だっけ?」となってしまうのです。そんな細かいことに拘らず、どんどん読み進んでいけば、それで済んでしまう話ではありますが。

 私は変わった人間なのか、本書(文庫本上巻)で一番興味深く読んだのは、ダーウィンの文章ではなく、訳者の渡辺氏が巻末に書いた「本書を読むために」という解説でした。駄目ですね(笑)。私自身、ダーウィンについて知っていたことは、この「種の起源」と、若き頃、ビーグル号に乗船して、特に南米の知られざる動植物の標本を収集して、「ビーグル号航海記」などの本を出版したことぐらいで、ダーウィンの人となりについてはほとんど知らなかったので、「へー、そうだったの!?」と驚いてしまったわけです。つまるところ、英国人ダーウィンは、あの世界的に有名な陶磁器メーカー「ウエッジウッド」の創業者の孫に当たり、父親も開業医というかなり裕福な家庭に生まれ育ち、生涯、仕事をしなくても自分の好きな研究に没頭する余裕があったということでした。

 22歳でビーグル号に乗船できたのも、父親から500万円もの支度金を融通してもらったからでした。

 昨今、我が国では、世襲政治の弊害が叫ばれ、バカ息子が首相官邸でどんちゃん騒ぎパーティーを開いても、何のお咎めなしですが、我が国の学者の世界もやはり、世襲の趣がなきにしもあらずです。ある程度、裕福でなければ研究生活が続かないことをダーウィン先生は教えてくれているような気がします。

 目下視聴率ナンバーワンのNHK連続テレビ小説「らんまん」は、植物学者・牧野富太郎の人生をモデルにしたドラマですが、牧野も土佐の酒蔵の跡取りの息子という資産家出身で、生活費を稼ぐ必要もなく、子どものように天真「らんまん」に自分の好きな植物研究に没頭しています。

 牧野富太郎とダーウィンが重なって見えるのは私だけではないと思います。

【追記】

 あらまあ驚きです。このブログを書いた5月29日の夜になって、極東国の首相が、御令息の首相秘書官(政務担当)の職を更迭しました。まさか、首相はこのブログをお読みになったわけではないでしょうが、「バカ息子にお咎めなし」と書いたことはお詫びして訂正します。「御令息を解任」の誤りでした。