犬養毅の孫安藤和津が女優デビュー=安藤サクラの母ですが、元法相犬養健の娘さん

  本日3月7日付のスポーツ報知に「エッセイストでコメンテーターの安藤和津が76歳で女優デビュー」という記事が載っていました。16日から18日まで、東京・六本木トリコロールシアターで上演される朗読劇「動機」に出演し、「この年齢で新しいお仕事ができる幸せ」などと語っています。

 安藤和津さんは、俳優奥田瑛二の奥様としても知られていましたが、今や映画監督安藤桃子と女優安藤サクラの母といった方が通りが早いかもしれません。

 スポーツ報知では、安藤和津さんの略歴が掲載されていて、そこには「祖父は犬養毅、父は法務大臣で小説家だった犬養健」と書かれていたので、「えっ?」と驚いてしまいました。いや、昔、彼女の血筋が良いことをうろ覚えはしておりましたが、すっかり忘れておりました。

王子・金剛寺

 祖父の犬養毅は岡山県出身で、慶應義塾で学び、郵便報知新聞記者として西南戦争に従軍したことがあります。政界に転身し、立憲政友会の総裁などを務めて首相の座に昇り詰めましたが、5.15事件で暗殺され、教科書にも載っているので知らない人はいないと思います。

 私はむしろ注目したのは安藤和津さんの父犬養健です。私が長年勉強してきたゾルゲ事件に連座して起訴された人(後に無罪)だったからです。犬養健は白樺派の小説家から政界に転じ、ゾルゲ事件当時は政友会の衆院議員で、近衛文麿首相の側近で、汪兆銘(南京国民政府)の顧問も務めていました。ゾルゲ事件の中心人物である尾崎秀実の友人だったことから情報漏洩の容疑で起訴されたわけです。一転して、戦後は、法務大臣(吉田茂内閣)を務め、1953~54年の造船疑獄事件指揮権を発動した法相として歴史に名前を刻んでおります。

 犬養健の長女道子は評論家、長男康彦は共同通信の社長を務めたことはよく知られています。安藤和津さんは、犬養健と柳橋の芸妓だった荻野昌子との間の娘として生まれて認知されたといいます。昭和23年3月6日生まれですから、スポーツ報知の取材を受けた昨日が76歳の誕生日だったわけです。

戦争の抑止力にならなかった新聞社出身の国会議員=佐藤卓己、河崎吉紀編著「近代日本のメディア議員」

 大阪にお住まいの滝本先生のお薦めで、佐藤卓己、河崎吉紀編著「近代日本のメディア議員」(創元社、2018年11月10日初版、4950円)を読んでいます。1960年から86年にかけて生まれた「比較的」若い中堅の学者10人が共著でまとめた学術研究書です。かつてはかなり多くのマスコミ出身の国会議員や首相にまで上り詰めた人がいたことが分かります。

 滝本先生が何故、この本を薦めてくださったかというと、先日、大阪市内で、この本の編著者である佐藤卓己・京大教授の講演会を聴いたからでした。会場には、現役時代にブイブイ言わせていた朝日新聞や毎日新聞など大手新聞社のOBの方々も見えていたそうです。

 新聞メディアの歴史を大雑把に、やや乱暴に要約しますと、明治の勃興期は、薩長を中心にした藩閥政府に対する批判と独自の政論を展開する大新聞が主流でした。柳河春三の「中外新聞」、福地源一郎の「江湖新聞」、栗本鋤雲の「郵便報知新聞」、成島柳北の「朝野新聞」などです。彼らは全員、幕臣でした。その後、政府による新聞紙条例や讒謗律などで反政府系の大新聞は廃刊に追い込まれ、代わって台頭したのが、大阪朝日新聞や、大阪毎日新聞、読売新聞などの小新聞と呼ばれる大衆紙でした。政論主流が薄れたとはいえ、新聞社出身の国会議員を多く輩出します。まるで新聞記者が国会議員の登竜門の様相ですが、政治家志望の政治記者が多かったという証左にもなります。

でも、「白虹事件」で大阪朝日新聞を退社したジャーナリストの長谷川如是閑は「大正八年版新聞総覧」で、以下のような面白いことを書いています。

 …新聞記者は、主観的生活に於いては、同時に政治家であり、思索家であり、改革家であり、学者であり、文士であり得るが、客観的生活に於いては、ただのプロレタリアに毛が生えたものであり得るのみである。…

 大手新聞出身のOBの皆さんは、新聞社出身の議員の活躍を聴きたいがために、佐藤卓己教授の講演会に参加したようでしたが、見事に裏切られることになります。

佐藤教授によると、満洲事変から2・26事件などを経て、日本が軍国主義化していく昭和12年(1937年)、マスコミ出身の国会議員が占める割合は、実に34%の高率だったそうですが、その直後に支那事変(日中戦争)が起こり、皮肉にも、マスコミ出身議員は、何ら戦争の抑止にもならなかった、というのです。


 この本の巻末には、「メディア関連議員一覧」が資料として掲載されているので、これだけ読んでも、興味がそそられます。

 例えば、現首相の父君に当たる安倍晋太郎は、毎日新聞政治部記者だったことはよく知られていますが、二番目に登録されています。全部で984人も掲載されているので、キリがないので、首相まで経験した有名人を取り上げると、まずは5.15事件で暗殺された犬養毅が挙げられます。岡山出身の犬養は、慶應義塾の学生の時、郵便報知新聞の主筆藤田茂吉の食客となり、明治10年の西南戦争の際には、「戦地探偵人」となり、「戦地直報」を報知新聞に連載するなどして記者生活をスタートしています。

 平民宰相として有名な盛岡藩出身の原敬は明治12年、フランス語翻訳係として栗本鋤雲の推薦で郵便報知新聞社に入社しています。「憲政の神様」尾崎行雄も、慶應義塾で学び、新潟新聞や郵便報知新聞などで記者としての経歴があります。

 明治14年の政変で大隈重信とともに下野して、立憲改進党を結成した矢野文雄は、郵便報知新聞の社長や大阪毎日新聞の副社長などを務めています。この本では、佐藤教授は、矢野文雄としか書いていませんでしたが、政治小説「経国美談」の作者矢野龍渓(雅号)のことでした。日清戦争の前後に、清国特命全権公使を務めています。

 佐藤教授は、このほかメディア関連の首相として、郵便報知新聞を買収して実質上の社主だった大隈重信、東洋自由新聞の社主だった西園寺公望、東京日日新聞で外国新聞を翻訳して収入を得ていた高橋是清、東京日日新聞の第4代社長を務めた加藤高明、戦後では、産経新聞記者だった森喜朗や朝日新聞記者を務めた細川護熙らを挙げていました。

 また、最近のメディア関連の国会議員の中の自民党系として、大島理森(毎日新聞広告局)、額賀福志郎(産経記者)、松島みどり(朝日記者)、茂木敏充(読売政治部)、竹下亘(NHK記者)、鈴木貴子(NHK)、小渕優子(TBS)らを挙げていて、私も知らなかったことも多々あり、これまた興味深かったでした。

 この本は、まだ読み始めたばかりなので、また取り上げるかもしれません。

(同書に合わせて敬称を略しました)