現代日本人のルーツは3000年前の渡来系弥生人にあり=篠田謙一著「人類の起源」

 篠田謙一著「人類の起源」(中公新書)をやっと読了できました。正直、ちょっと専門的過ぎる箇所があり、そして、言い過ぎかもしれませんが、著者は科学者で文章を書くことが専門ではないので、分かりづらいところもありましたが、内容は圧巻です。圧倒されました。

 この本は、まさしく、後期印象派の画家ポール・ゴーギャンが描いた「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか」を明らかにしてくれます。

 著者は、終章に書いていますが、教科書では「四大文明」など古代文明の発展が語られますが、そこまでに至る人類の道のりは書かれていません。著者の篠田氏は言います。

 こうした教科書的記述に欠けているのは、「世界中に展開したホモ・サピエンスは、遺伝的にほとんどといっていいほど均一集団である」という視点と、「全ての文化は同じ起源から生まれたものであり、文明の姿の違いや歴史的経緯、そして人々の選択の結果である」

 これらは、21世紀になって急速に活用されるようになった次世代シークエンサーと呼ばれる機器による古代ゲノムの解析に基づいた知見で、本書では、その人類の進化史と、20万年前にアフリカで誕生したホモ・サピエンスの世界拡散と集団の成立について詳細されています。

 そこから導き出された著者の見解は、(日本人とか中国人とかユダヤ人といった)民族は数千年の歴史しかなく、現生人類の長い歴史から見るとほんのわずか。将来的には民族と遺伝子との間に対応関係が見られない方向に変化していくことから、民族はますます生物学的な実態を失っていく、というものでした。そして、黒人も白人も黄色人種も同じホモ・サピエンスがアフリカから生まれて、7万年前から本格的に世界に拡散したことから、(著者はそこまで書いてはおりませんが)「人類、みな兄弟」ということになります。

 本書は「出アフリカ」の人類が、欧州、ユーラシア、アジア、北南アメリカ大陸へと拡散していく様子を事細かく描いていますが、読者の皆さんが最も関心がある日本人のことだけを書いておきましょう。

銀座「華味鳥」

 本書によると、日本列島に最初に現生人類が進入したのは、4万年前の後期旧石器時代だといいます。その後、長い間、狩猟採集の縄文時代が続きますが、3000年前に「渡来系弥生人」が日本列島に到達します。彼らは稲作と鉄器(青銅器)文化を伝えて、それが現代日本人につながります。(縄文人のゲノムは今では北海道や東北、沖縄、南九州しか色濃く残っていないので、現代日本人のほとんどのルーツが弥生人ということになります。) 

 この3000年前に到達した渡来系弥生人というのは、中国東北部(旧満洲辺り)の西遼河にいた「雑穀農耕民」(青銅器文化を持つ)が6000年前以降に朝鮮半島に進出し、遼東半島と山東半島にいた「稲作農耕民」が3300年前に朝鮮半島に流入し、在地の縄文系の遺伝子を持つ集団と混合して新たに出来た地域集団だといいます。

 北方オホーツク文化の集団や、南方ポリネシア系の集団からの日本列島流入もあったことでしょうが、古代人類化石のゲノム解析からは、現代日本人のルーツの大半は、渡来系弥生人ということになります。(しかも、沖縄でさえ、台湾やフィリピンなど南方のゲノムとの共通点が少ないといいます。)

 となると、現代につながる日本人の歴史は3000年で、もとをただせば朝鮮半島からの渡来人であり、さかのぼれば、中国大陸人であり、もっとさかのぼれば、7万年前にアフリカから出てきて拡散したホモ・サピエンスということになります。

 ただ、化石人類のゲノム解析は始まったばかりなので、これからも日進月歩の勢いで新説が提唱されることでしょう、と著者の篠田氏は仰っております。ということは、古い学説は書き換えられるということですから、今後も怠けずに勉強していくほかありませんね。

現世人類は所詮、猿人の子孫さ

 今年もあとわずかで、年の瀬も押し迫って来ました。

 ランチに行ったりすると、その店の常連さんや馴染み客が「今年で最後かな? 良いお年を」と言って出ていく人も多くなりました。

 まだ少し早いですが、今年も読者の皆様には大変お世話になりました。今年は相当な数の馴染みの読者さんが離れていきましたが(苦笑)、また、相当な数の新しい読者の皆様も御愛読して頂いたようです。このブログがいつまで続くか分かりませんが、感謝しか御座いません。

 さて、今年は、いつもの個人的なことながら、人類学にハマりました。ジェレミー・デシルヴァ著、赤根洋子訳「直立二足歩行の人類史」(文藝春秋)、エマニュエル・トッド著、 堀茂樹訳「我々はどこから来て、今どこにいるのか?」上下巻(文藝春秋)、そして、篠田謙一著「人類の起源」(中公新書)と、これまでほとんど知らなかった古代人類化石のゲノムを解読した最新科学を教えてもらい、目から鱗が落ちるような感動でした。

 もともと、私自身は、記者生活をしながら、近現代史の勉強を個人的に始めました。きっかけは、ゾルゲ事件研究会でした。しかし、昭和の初期から敗戦に至るあの狂気と言っても良い時代に登場する人物の中には、一兵卒たちは皆殺しになっても、自分だけは飛行機に乗って逃げて助かるといった日本史上最悪とも言うべき軍人がいて、腸が煮え沸るどころか、吐き気を催すほどで、日本人というものがつぐづく嫌になってしまいました。

 同時に、近現代史を知るには、明治維新を知らなければならない。明治維新を知るには江戸の徳川の治世を知らなければならない。江戸時代を知るには、まず関ケ原の戦いを知らなければお話にならない。関ケ原を知るにはそれに至る戦国時代を知らなければならない。でも、彼ら戦国武将を知るには鎌倉時代の御家人たちのことを知らなければならない。そして当然のことながら天皇家の歴史を知るには古代にまで遡らなければならず、究極の果て、人類学にまで逆上ってしまったわけです(笑)。

 でも、色んなことが分かると、皆つながっていて、「なるほど。そういうことだったのかあ」と感激することが多々あります。

東銀座 料亭H

 今年のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は、脚本のせいで、合戦場面がほとんどなく、まるでホームドラマかメロドラマになってしまい、残念至極なお芝居でしたが、その半面、鎌倉時代関連の書籍が多く出回り、色んなことを学ぶことができました。

 鎌倉殿の13人の一人、大江広元の子孫に毛利元就がいて、中原親能の子孫には大友宗麟がいて、八田知家の子孫には小田氏治がいる、といったことは以前、このブログでも書いたことがありますが、和田合戦で滅亡させられた初代侍所別当・和田義盛(三浦義村の従兄弟に当たる)の子孫に、織田信長の重臣だった佐久間信盛や盛政(母は柴田勝家の姉)らがいること最近、知りました(笑)。佐久間氏は、和田義盛の嫡男常盛の子、朝盛が、三浦義明の孫に当たる佐久間家村の養子になったことから始まります。

 和田合戦で、和田常盛は自害に追い込まれますが、その子、朝盛は佐久間氏の養子になっていたため、逃れることができました。しかし、朝盛は承久の乱に際して、後鳥羽上皇側について没落します。一方、朝盛の子である家盛は、北条義時側についたので、乱後は恩賞として尾張国愛知郡御器所(ごきそ)を与えられるのです。(「歴史人」12月号)

 私はこの御器所と聞いて、吃驚してしまいました。今年5月に名古屋に住む友人の家を訪ねたのですが、その場所が御器所だったのです。友人の話では、御器所はもともと熱田神宮の器をつくる職人が多く住んでいたことから、そんな変わった名前が付けられたという由緒は聞いていましたが、佐久間氏のことは全く聞いていませんでした。佐久間家盛が御器所の地を与えられたため、佐久間氏は尾張の地に根を張るようになり、その関係で、佐久間信盛や盛政らは、尾張の守護代、織田信長の重臣になったわけです。つまりは、戦国武将佐久間信盛らは、もともと三浦半島を本拠地とする三浦氏だったということになります。

 まさに、点と点がつながって線になった感じです。

東銀座・割烹「きむら」白魚唐揚げ定食1300円

 確かに、鎌倉時代は、梶原景時の変、比企能員の乱、畠山重忠の乱、将軍頼家、実朝の暗殺…と血と血で争う殺戮と粛清の嵐が吹き荒れました。当時は刑法もなければ、人権意識そのものがないので生命は軽んじられ、仕方がなかったかもしれません。でも、それは日本だけの状況かと思ったら、エマニュエル・トッド著「我々はどこから来て、今どこにいるのか?」の中で、フランスのある教会区の住民台帳のようなものを調べたところ、13世紀(日本ではちょうど鎌倉時代)のある村の殺人率が10万人当たり100人(現代は、だいたい10万人当たり1人未満)と異様に多かったといいます。

 「なあんだ、世界的現象かあ」と思ってしまったわけです。当時は、ちょっとした言い争いでも直ぐに殺人事件に発展してしまったということなのでしょう。

 30万年前にアフリカで出現した現生人類は、7万年前に本格的にアフリカを出て世界に拡散し、1万年前に農耕を始めて定住生活をするようになると、土地、領土争いから戦争が絶えなくなります。21世紀になってもロシアがウクライナに侵攻するぐらいですから、人類は原始以来、全く変わっていません。人類学で篩にかければ、所詮、現世人類は700万年前、霊長類のチンパンジーから分岐して進化した猿人の子孫に過ぎません。だから、何が起きても予想外として驚くようなものはないかもしれませんね。

日本人は3万8000歳

行方不明になった2歳の男の子を救出して一躍ヒーローになった尾畠春夫さん。週刊誌やテレビなどの取材でだんだん彼の素顔が明らかになってきましたが、非常に奥が深い(笑)。78歳ですから、お孫さんもいらっしゃいますが、ボランティアで日本中を駆け回っているうちに、奥さんは「5年前に出かけたまま帰って来ない」状態なんだとか。

年金はやはり、想像した通り、月額5万5000円で、これだけではとても食べていけないだろうなあ、と思ったら、「お金がなければ、1日1食で済ます」。え?私なんか、1日しっかり3食摂ってますからね。とても、尾畠さんのようなスーパーボランティアにはなれません。

◇◇◇

さて、昨晩、人類進化学者の海部陽介氏が出演していたラジオ番組「3万年前、人類はどうやって海を渡り、日本列島にたどり着いたのか?」は、かなり面白かったです。

海部氏の長いお話を勝手に乱暴に(笑)要約しますと、我々現代人の祖先であるホ・サピエンスは20万~30万年前にアフリカ大陸で出現し、約5万年前に全世界に移動を始めたそうです。この時、まだ、北京原人やジャワ原人などの原人類やネアンデルタール人などの旧人類も共存していたようです。

長い進化の過程でホモ・サピエンスが登場しましたが、まだ解明されていないことも多く、なぜ移動を始めたのかも分かっていないそうです。

我々の祖先の日本人について、海部氏は、ユーラシア大陸から3万8000年前に渡ってきたのではないかと結論付けておりました。それは、遺跡やDNA鑑定などで推測されるそうです。家族や集団で舟で海を渡ってきたと考えられ、渡航コースは、(1)当時陸続きだった台湾から沖縄を通って日本列島へ(2)朝鮮半島から対馬を通って日本へ(3)当時陸続きだった北海道から日本へーという三つだというのです。

その中で、一番多かったと見られる沖縄から日本へのコースを、当時の技術と資材によって作られた舟で辿ってみるというのが、海部氏らのグループによる実験的試みでした。既に、草で作った舟と竹で作った舟で試みましたが、うまく行かず、恐らく、当時は木でつくった舟で渡ってきたのではないかということで、今、木舟をつくっている最中なんだそうです。

地球46億年の歴史と比べると30万年前も3万年前もほんの最近のことです。当時の現生人類は、何で、海の向こうの島(日本列島)に渡ってきたのでしょうか?謎だらけです。

いずれにせよ、私が学生時代ではここまで具体的な年代まで解明されていない話でした。DNA鑑定など最新科学のなせる伎でしょう。

こういう壮大な人類の進化の話を聴くと、普段の悩みなどあまりにもちっぽけな感じがして、ほんの少し気が楽になります。