「編集者 国木田独歩の時代」は本当に面白い

公開日時: 2008年4月11日

黒岩比佐子著「編集者 国木田独歩の時代」(角川選書)は、タイトルはダサい(失礼!)のですが、実に実に面白い。もう二週間もダラダラと読んでいますが、それは、あまりにも面白くて、読了したくないからなんです。下手な推理小説を読むより、ずっと、面白い。「え?そうだったの?」といった意外な事実が次々と明かされ、著者の力量には本当に感心してしまいます。

 

国木田独歩といえば、個人的には随分小さい頃から馴染みの作家でした。10歳くらいの頃、誕生日プレゼントか何かで親が、確かポプラ社が出ていた「武蔵野を」買ってくれたのです。でも、親は私のことを神童と思ったんですかね。いくら文学史に残る名文とはいえ、如何せん10歳の頭ではとても理解できませんでした。

 

それでも、その本の中にあった「牛肉と馬鈴薯」や「源叔父」「忘れえぬ人々」「画の悲しみ」などを何回も愛読したものです。実は、私のプロフィールにある「非凡なる凡人」は彼の作品のタイトルです。

 

ですから、国木田独歩については、彼はもともと新聞記者で、日清戦争の従軍記者だったことや、今も残る「婦人画報」の名編集長だったということぐらいは知っていました。

でも、この本を読むと実によく調べていますね。著者の黒岩さんは、「古本収集」が趣味らしく、これまでの学者や研究者が発表したことがない本当に驚きべき事実を、執拗な探偵の目になって調べ上げてしまうのです。本当に感服してしまいました。独歩は、小説家として食べていけず、むしろジャーナリストとして生計を立てていたという話も初めて知りました。

 

まず、自然主義作家の田山花袋や民俗学者の柳田国男とは大の親友だったことは知りませんでしたね。先輩の徳富蘇峰からは「国民之友」に招聘されて新聞記者となり、「経国美談」で知られる矢野龍渓からは彼が社長を務める出版社の編集長に採用されます。出版社はその後「独歩社」として独立し、最後は経営難で破綻しますが、最後まで独歩を見捨てずに残った編集者に、後に歌人として名をなす窪田空穂がいます。画家の小杉未醒がいます。独歩亡き後、「婦人画報」などの発行を受け継いだのは鷹見思水ですが、彼の曽祖父は、何と鷹見泉石だったのです。幕末の洋学者。渡辺崋山が描いた「鷹見泉石像」は国宝になっていますね。

意外にも22歳の若き永井荷風は、当時鎌倉に住んでいた独歩に会いに行っているんですね。

独歩の最初の妻の佐々木信子の従姉が相馬黒光(本名良)で、夫の愛蔵とともに新宿中村屋を創業した人です。多くの芸術家を支援し、亡命中のインド人革命家ラス・ビハリ・ボースを匿ったことでも有名です。そして、有島武郎の名作「或る女」のヒロイン葉子は何と、この信子がモデルだったのです!

こんな話は序の口です。独歩はわずか37年の生涯でしたが、これほど多くの友人知人に恵まれていたとは知りませんでした。

当時の文壇サロンというか、明治の雰囲気が手に取るように分かります。これは本当に面白い本です。