物足りない「黒幕」特集

WGT National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

 やはり、私のライフワークといいますか、興味のある専門分野ですからね(笑)。つい、買ってしまいました。週刊現代 別冊「ビジュアル版 昭和の怪物 日本の『裏支配者』たち その人と歴史」(講談社、980円) です。

 その前に、私の住む自宅から歩いて7、8分ほどにあった本屋さんが、とうとう潰れてしまいました。アマゾンのせいでしょうか。駅近くにあった書店2店舗は既に数年前に閉店したので、ここは「最後の砦」でした。呆然自失。この本屋だけは失いたくなかったので、なるべく、ここで買うようにしてましたが、ついに消滅してしまいました。悲しいというほかありません。

 仕方ないので、この「週刊現代 別冊」を会社の近くのコンビニで買おうかと思ったら、週刊誌は置いていても、別冊は置いてないんですよね。そもそも本屋じゃないので、種類も少ない!帰宅時に遠回りして、駅近くの大型書店で買うことができました。

 この上の写真の表紙をご覧になって頂くだけで、内容は分かると思います。

 日本の「裏支配者」たちーとありますが、吉田茂、正力松太郎、五島慶太、後藤田正晴…みんな、「表社会」の人たちじゃありませんか。フィクサー、黒幕として登場する児玉誉士夫、山口組三代目の田岡一雄組長にしても、超々有名人で、日本人ならまず知らない人はいないぐらいです。失礼ながら、初心者向きで、野間ジャーナリズムの限界を感じました。続編を期待しましょう。

 私自身、これまでいろいろな本を読んできましたから、この別冊の中で、馴染みがなかったのは矢次一夫(1899~1983年)ぐらいでした。この人については、顔写真と略歴だけ載っていましたが、岸信介との関係などもう少し掘り下げて頂きたかったですね。

 このほか、章立てして、もっと掘り下げて、取り上げてほしかった人物として、まず、玄洋社の頭山満が筆頭でしょう。次いで、黒龍会の内田良平。この別冊で取り上げられた軍人の石原莞爾は、まあ妥当だとしても、もっと土肥原賢二や影佐禎昭ら諜報活動に従事した人も取り上げてほしかったですね。そうそう、甘粕正彦は欠かせない人物です。牟田口廉也や辻政信は少し食傷気味なので、桜会の橋本欣五郎や東京裁判で寝返った田中隆吉あたりが面白いかもしれません。

 写真がちょっと出ていただけだった大物右翼の三浦義一(1898~1971年)は「室町将軍」と言われたぐらいですから、最低、略歴ぐらい必要でしょう。以前、私は、ちょっと怖い人に引き連れられて、たまたま大津市の義仲寺にある彼のお墓参りをしたこともあります。また、三浦義一の後継者である西山広喜(1923~2005年)の内幸町・富国生命内の事務所を確認したことがあります(笑)。

共産党幹部から獄中で国粋主義に転向した田中清玄(1906~93年)は章立てして大きく取り上げるべき人物でしょう。(田中家は会津藩の筆頭家老だった名門家系。早稲田大学第17代総長の田中愛治氏は、田中清玄の子息)田中清玄=田岡組長VS児玉誉士夫=東声会=岸信介との壮絶な闘いは語り継がれるべき逸話です。

 となると、11年間の獄中生活から出所後、田中清玄が師事した静岡県三島市の龍沢寺の山本玄峰禅師もマストでしょう。山本禅師は、臨済宗妙心寺派管長も歴任し、終戦の際に、鈴木貫太郎首相に「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」の文言を進言して、終戦を受け入れるよう説得した功労者ですから、まず欠かせませんね。(鈴木貫太郎は関宿藩士でしたね。二.二六事件の際には侍従長で、蹶起隊に襲撃されながら、奇跡的に一命を取り留めました)

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 平成から令和の時代となり、人間が小粒になったのか、ますます、黒幕やらフィクサーといった豪快な人物が出にくくなった感があります。

でも、一般大衆には分からないように、暗躍しているのかもしれませんよ。

アンダーグラウンドの話 住吉会

その筋というか、アンダーグラウンドの世界が今、喧しいね。

2月5日に指定暴力団住吉会小林会系の杉浦良一幹部が白昼に射殺されたのをきっかけに、都内で発砲事件が相次ぎ、ついには、15日、山口組系国粋会の工藤和義会長が自殺するまで混乱が続いています。

マスコミ情報を総合しますと、国粋会は大正8年に原敬首相(当時)らの肝いりで結成された「大日本國粋会」が源流。関東博徒の老舗組織で、渋谷、六本木、新橋、銀座などを縄張りにしています。昭和30年代に関西の山口組の関東進出に歯止めをかけるための共同戦線「関東二十日会」に参加しましたが、2005年9月に、国粋会の工藤会長が山口組の六代目司忍会長と兄弟盃をかわし、国粋会は二十日会を脱会し、山口組の傘下に入ってしまうのです。

住吉会小林会は、国粋会から六本木の縄張りを借り受けて、ショバ代を納めていましたが、その慣習もあいまいになり、ついに国粋会を傘下に収めた山口組との軋轢が表面化したと言われます。

先頃、発売された『東京アンダーナイト』(廣済堂出版)の著者は、「東洋一のクラブ」と称された赤坂の「ニューラテンクォーター」の元社長山本信太郎氏ですが、それによると、昭和38年12月に同クラブで起きたプロレスの力道山刺殺事件は、計画的なものではなく、「偶然のバッティング」であったことが明らかにされています。(興味のある方は本書を読んでください)

加害者は、住吉連合小林会の村田勝志組員(現住吉会副会長補佐)。ニューラテンクォーターが、赤坂を縄張りにしていた小林会の小林楠扶会長に顧問を依頼していたので、用心棒として同クラブに出入りしていたようです。在日朝鮮人だった力道山の背後には東声会があったといわれ、東声会の町井久之会長(本名鄭建永)は山口組三代目田岡一雄組長を後楯にしていたことから、当時は、両組織の抗争事件のように推測されていましたが、事実は、全くの偶然だったというのです。

東声会は、力道山事件の一ヶ月前の昭和38年11月に、当時、政界の黒幕と言われていた田中清弦暗殺未遂事件を起こします。「田中が、三代目を利用して関東ヤクザを攪乱しようとしている」という風評がたったためと言われます。関東ー関西の抗争は今に始まったわけではないのです。

今の現象だけを見ても、なかなか事件背景は見えてきませんが、こうして20年、30年、いや50年、100年の歴史的スパンで見ていくと、その真相が見えてきます。

今回の国粋会の会長は内部抗争で悩んでいたと言われ、彼の自殺で、再び、何か火種が勃発しそうです。