百田尚樹著「日本国紀」に賞賛の嵐

名古屋の篠田先生です。本年も宜しく御願い申し上げます。

さて、文壇や出版界の裏に精通している骨太のネットサイト「文徒アーカイブス」に下記の記事が出ていました。よくこれだけ、色んな電脳空間の情報をまとめられるものだと敬服していますが、この中で、作家の中沢けいさんが「活版と写植の違い」を指摘しています。その通り的確な指摘です。活版印刷はそれほど手間と時間、お金がかかっていたことは、“坊主頭”の若い軽薄作家は知らないのでしょう。

それにしても、増刷するたびに内容が大幅に変わるという本というのは凄いの一言です(笑)。

バルセロナ・サグラダファミリア教会

再版するときは、初版の誤植とか最低限の間違いを修正するというのは過去の話ですね。これではほとんど新刊本と同じです(笑)。

こういう人の言説はその都度、次から次に変わるというわけで、信用できない、責任を取らないと言えます(笑)。底が浅い社会に日本がなっているということです。

底の浅い総理大臣、底の浅い御用学者、御用作家、御用記者、御用コメンテーター、さらに「三権分立」が空文化して、行政=首相官邸・独裁国家の日本であり、それと同じ仕組みの北朝鮮を批判する漫画的光景。それをマスコミも気が付かない、指摘しない、というのも漫画というより末期的です。

文徒アーカイブス

2019-01-11

バルセロナ・サグラダファミリア教会

【記事】増刷するごとに内容が変わる百田尚樹「日本国紀」

百田尚樹のベストセラー「日本国紀」について、作家の中沢けいが次のようにツイートしている。
百田尚樹『日本国紀』は増刷のたびに内容に改変を加えているそうだけど。昔の活版印刷だったら、とっくに経費で会社がおかしくなっている。40年前、写植印刷の文芸誌なんて信用できないって言われた。その頃、写植を使っていた文芸誌は『群像』だけ。あとは活版印刷。本物の活字だと版そのものを作りなお(さ)なければならない事態が生じる場合もある。経費増大。電算写植からDTPへ。それだけ印刷にかかる費用も手間も安価になった。今頃になって『写植の印刷なんて信用できない』って言われた理由が分かった気がして苦笑。こんな事態を考えていたわけではないだろうけど」
https://twitter.com/kei_nakazawa/status/1069794217180848128
https://twitter.com/kei_nakazawa/status/1069795270810947584
▼例えば「ろだん」なる人物が主宰するブログ「論壇net」は「日本国紀」について言及したエントリを次々に公開している。
「【朗報】『日本国紀』、こっそり「男系」の誤りを認め修正」によれば初版では「日本には過去八人(十代)の女性天皇がいたが、全員が男系である。つまり父親が天皇である」とっていた表記が第4版では「日本には過去八人(十代)の女性天皇がいたが、すべて男系である。つまり父親を辿ると必ず天皇に行き着く」と改められていたわけだが、「ろだん」によれば、この変更は百田が「公式に『男系』の定義が間違っていたことを認めたということ」になる。
https://rondan.net/5090
▼「論壇net」の「【速報】『日本国紀』、無断転載箇所を第5刷にて大幅改竄」は、次のように指摘している。
「まず、『日本国紀』(p. 53)にある仁徳天皇の逸話が、大阪新聞に掲載された真木嘉裕氏の意訳からの無断転載・改変であると報告されていました。本箇所について第5刷では、真木嘉裕氏の意訳を参照した旨が追記されました」
「またフランシスコ・ザビエルと、ルイス・フロイスを混同している箇所があり、加えて、その箇所も先行する日本語訳から無断転載している状態でした(pp. 149-150)。この箇所に至っては2ページにわたり大幅に書き改められました」
▼「ろだん」は版元たる幻冬舎の責任にも言及している。
「しかし幻冬舎の対応は極めて不誠実です。発売後わずか二週間(第1刷:2018.11.10、第5刷:2018.11.28)ほどで内容が改竄され、しかも現在書店では改竄前の第1刷から、改竄後の第5刷まで並んでいる状態です。通常ならば第1刷から第4刷までは回収・交換・返金するのが筋ではないでしょうか? 以上の件について幻冬舎は未だ沈黙を守っており、倫理的に問題があると考えます」
https://rondan.net/5459
▼「ろだん」は「【続報】『日本国紀』、第5刷で次々と改竄【ゴールデンブック、コミソテルソ】」では、こう指摘している。
「『日本国紀』第1刷(p. 379)の「ゴールデンブック」に関する記述が第5刷でごっそり改変されています。
この第1刷にある『ユダヤ人脱出に尽力した、樋口季一郎・安江仙弘・杉原千畝三者の名前がゴールデンブックなる記念碑に刻まれている』という記述が、これがWikipediaを中心に保守ブログなどで喧騒されてるだけのデマ情報であることは、刊行後かなり早い段階で指摘されていました。この指摘を受けての修正だと考えられますが、第一発見者であるHiroshi Matsuura氏への謝辞は『日本国紀』のどこを見ても確認されません」
https://rondan.net/5529
▼「ろだん」は追及の手を緩めない。「【悲報】『日本国紀』、第5刷でこっそり改竄するも、かえって重大なミスを犯してしまう」では、こう書いている。
百田尚樹『日本国紀』は、内容の錯誤のみならず、Wikipediaなどからの無断転載箇所が多数見つかり『日本コピペ紀』『日本ウィ紀』と揶揄されたり、こっそり重刷時に「改版」の指示なく内容まで書き換えてしまったりとお騒がせが続いています。
今回紹介したいのは、第5刷の時に書き替えられた『ゴールデンブック』の箇所が、かえって重大なミスを犯しているという指摘です」
https://rondan.net/5628
▼更に「ろだん」は「【日本コピペ紀】長岡京Wikipediaコピペ疑惑」や「『日本国紀』、第5刷で慌てて改竄するも資料を熟読しなかったため再修正が必要に。第6刷以降で再び改竄か?【フランシスコ・ザビエル】」をエントリしている。
https://rondan.net/5657
https://rondan.net/5672
▼編集者兼ライターの「Yukinobu Muromachi」も版元の責任が問われていると考えているのだろう。
「これはヒドイ…。機械翻訳と批判されたアインシュタインの伝記本だって、出版社は自主回収して、訂正本を送ってきたぞ。幻冬舎がいかにダメな出版社か、よくわかる」
https://twitter.com/y_muromachi/status/1069216567534075905
▼能川元一のツイート。
「ちなみに『日本国紀』のような本に欠けているのも、歴史を構造的に把握するという姿勢。右派の歴史本が往々にして(特に人物に焦点を当てた)トリビア集みたいになるのはそのためだと思う」
https://twitter.com/nogawam/status/1069511634828189697
▼早川タダノリもツイートしていた。
「増刷で誤植の訂正にとどまらず内容を変えてしまうとは、『日本国紀』の『ウィ紀』化は本当だったとしか。今後同書から引用する際には、論文中の出典URLを表記するときの『最終アクセス*年*月*日』みたいに、『最終アクセス第*刷』って入れるしかないじゃん」
https://twitter.com/hayakawa2600/status/1069164957567053825
▼当然、編集者にも責任があるはずだ。「日本国紀」の編集を担当としたのは有本香である。こんツイートも投稿されていた。
「有本さん、朝日新聞の”誤報・訂正ページの検索回避タグに関するお詫び記事”に対しては『この記事で納得しますか?』だの『単なる誤報の後処理と軽く見ないでください』だの啖呵切っといて、ご自分が関わった日本国紀の間違いに関しては、購入者に知らせもせず”こっそり”修正してても平気なんですねぇ」
https://twitter.com/ryuryukyu/status/1068361086204698624
▼作家の津原泰水も呟く。
「謝らずにこっそり直し続けるって業界初かも」
https://twitter.com/tsuharayasumi/status/1068466396277858304
▼五月書房新社の編集委員会委員長にして元朝日新聞記者の佐藤章のツイートである。
「価格をつけて出版市場に流れる『書籍』ー幻冬舎の『日本国紀』の帯に『私たちは何者なのか』とある。答えを与えよう。剽窃者、盗作者あるいは恥知らずである。無知なネトウヨならいざ知らず出版界にいる限り最低限やってはいけないことは知っていよう。最低線の責任は果たせ」

以上

バルセロナ

渓流斎です。本日は、百田さんのように(笑)、殆どネットからの盗作でしたが、リツイートですし、出典を明確にしているので、勘弁して頂きましょう。引用させて頂きました関係各位の皆様方には厚く御礼申し上げます。

井上達夫著「リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください」は、今の時代、是非とも読むべきです

井上達夫著「リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください」(毎日新聞出版)の初版は2015年6月20日発行で、ちょうどその頃の私は事情があってこの世の人でなく、異界を彷徨っておりましたので、もちろん、読んでおりませんでした。

最近、遅ればせながら、この本と、昨年3月15日に発行された同書の続編「憲法の涙」を合わせて読んでいます。

いずれも、法哲学者の井上東大大学院教授が編集者のインタビューに応える形で、話し言葉を書き言葉の活字に起こされ、平易と言えば平易ですが、やはり難解と言えば難解で、色々と賛同したり、反発したりして考えさせられたことは確かです。

◇極右の歴史修正主義も極左の自虐史観も批判

井上教授は、極右の歴史修正主義も極左の自虐史観も両方ともバッサリと袈裟懸けしており、その様は鮮やかで爽快感すらあります。

井上教授は、あの右翼の巨頭と言われる百田尚樹氏を相手に一歩も譲らず、反駁罵倒して、あろうことか、あの百田氏が口ごもってしまうほどの怪力の持ち主で、何と言っても、髭を生やした鬼のような形相や関西弁風でのまくし立て方があまりにも恐ろしいほど強烈です(失礼!)。

https://m.youtube.com/watch?t=12s&v=8Oc0fH96Zq8

ですから、この本の批判をしようものなら、生命が脅かされるのではないかという危機感がありますが(苦笑)、いや、むしろ共鳴する部分が多く、今のような戦前回帰のようなキナ臭い時代では必読書ではないかと確信し、取り上げることにしました。

今、保守もリベラルも色んな定義が飛び交い、若い人は共産党が保守で、自民党がリベラルだと確信して、訳が分からなくなってますが、井上教授によると、リベラリズムとは「啓蒙」と「寛容」という二つの歴史的起源があるといいます。

啓蒙主義とは18世紀にフランスを中心に起こった思想運動のことです。因習や迷信を理性で打破し、抑圧から人間を解放しようとするというものです。寛容は16世紀の宗教改革後に、欧州ではすさまじい宗教戦争が起き、荒廃の中でウエストファリア条約が結ばれ、その経験から出てきたものです。

私は、法哲学という学問がこの世に存在することを知りませんでしたが、井上教授は、御専門ですから、カントからヒューム、カール・ポパー、ジョン・グレイ、ジョン・ロールズといった色んな著名学者の学説を引用したり、批判したりしておりますので、まずは手に取って読まれるといいかもしれません。

◇ドイツの「戦後処理」は日本ほど立派ではなかった?

この本で、無学の私が瞠目したことは、「ドイツは、自分たちの戦争責任の追及を日本よりずっと立派に行った」という「神話」を多くの日本人が信じ切っているという指摘です。

まず、特筆しなければならないことは、ドイツは自分たちの戦争責任を二重の意味で限定していることです。一つは、責任の主体はドイツ国民ではなく、ナチスであること(ドイツ国民もナチスの被害者となる)。

そして、責任の対象は、ドイツがやった侵略戦争の相手ではなく、ユダヤ人だということ。つまり、ホロコーストなどは謝罪しても、チェコ侵略やポーランド侵攻などの戦争責任を認めてきたわけではないといいます。

有名な例として、1970年に西独のブラント首相(当時)がポ-ランドを訪問して、ユダヤ人の犠牲者の慰霊碑にひざまずきました。しかし、ユダヤ人ではない一般のポーランド人が蜂起して犠牲になった慰霊碑には行っていなかったというのです。

また、東西ドイツ統一後は、ナショナリズムが高まり、あの戦争は、あくまでもナチスの犯罪でドイツ国民と国防軍は犠牲者だったという歴史修正主義が起こったといいます。

(この本については、これから折を見て何度か取り上げます)