思わず同情したくなる超人的牢破り=斎藤充功著「日本の脱獄王 白鳥由栄の生涯」

 皆様も御存知のノンフィクション作家、斎藤充功氏から出版社を通じて、本が拙宅に送られてきました。出版社は神田神保町にある論創社。事前に何の御連絡もなかったので、何事かと思ったら、「謹呈 著者」のしおりが一枚だけ入っておりましたので、有難く拝読させて頂きました。

 「日本の脱獄王 白鳥由栄の生涯」という本です。2023年2月1日初版となっておりますが、昨日(1月30日)の時点で既に読了しました(笑)。斎藤充功氏には「日本のスパイ王 – 陸軍中野学校の創設者・秋草俊少将の真実」(GAKKEN)という名著がありますけど、「日本の王」というタイトルが著者の大好物のようです(笑)。

 脱獄王といえば、4回も牢破りをした傑物が昭和初期にいて、私も昔、吉村昭(1927~2006年)の小説「破獄」(岩波書店、1983年初版)を読んで驚嘆したことがあります。小説では、主人公の名前は佐久間清太郎となっておりましたが、斎藤氏の本は、「日本の脱獄王 白鳥由栄の生涯」です。あれっ?どゆこと? これは、実在の人物の本名は、白鳥由栄で、吉村昭は、この白鳥をモデルに小説にしたものでした。(実は、斎藤氏のこの作品が書籍化されるのは、これが3度目です。最初に1985年に祥伝社から出版され、続いて、1999年に幻冬舎アウトロー文庫となり、そして今回です。)

 吉村作品と斎藤作品との違いは、フィクションかノンフィクションの違いにありました。その点について、御年81歳になられる斎藤充功氏が面白い逸話をメールで知らせてくれました。

 吉村作品は小説なので主人公は創作です。拙著は吉村作品(岩波書店)と、ほぼ同じ時期に刊行され、当時「小説」と「ノンフィクション」の違いが話題になった作品です。吉村さんとはこの作品が御縁になって、それ以来、交流が続きました。小生の作品の中で関心を持って頂いたのは「登戸研究所と中野学校」でした。ご本人も中野学校に関心大でしたが、残念ながら、「小説」は未完に終わりました。
 生前、吉村さんの井之頭公園の自宅で数十回会い、「小説」と「ノンフィクション」の違いについて大いに語りあった思い出があります。斎藤(※一部字句を改めております)

 へー、そうだったんですか。実に興味深いお話です。これも、小生が直接、著者の斎藤氏と面識があるからこそ得られた情報ですね。

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 さて、本書はとにかく読んで頂くしかありません。私もこの本を読むと、途中で喉がからからに乾いたり、狭いじめじめした薄暗い独房の中に閉じ込められて、閉所恐怖症になったような感覚に襲われました。

 脱獄王・白鳥由栄は1907年、青森県生まれ。33年に青森市内で強盗殺人の罪を犯すなど逮捕され、青森刑務所に留置。36年、ここを脱獄(1回目、28歳)。3日後に逮捕され、37年、宮城刑務所に移監。この後、東京の小菅刑務所を経て、41年に秋田刑務所に移監。翌年、ここも脱獄(2回目、34歳)。3カ月かけて東京・小菅に戻り、「待遇改善」を訴えて自首。43年、極寒の網走刑務所に移監。翌年、また、何とここも脱獄(3回目、37歳)。2年間、敗戦も知らず、山中の洞窟などで生活し、北海道砂川町で再び殺人を犯し逮捕。47年、札幌刑務所に移監。翌年、やれやれ、ここも脱獄(4回目、39歳)。翌年、札幌市内で逮捕され、48年、GHQの命令により、東京・府中刑務所に移監。61年、模範囚として仮出獄。79年、三井記念病院で心筋梗塞のため死去、行年71歳。

 ざっと、簡単に白鳥の略歴を並べました。これだけでは、白鳥は、殺人などの大罪を犯した極悪非道人で手の付けられない悪党と思われがちですが、本書を読むと、殺人の中でもやむにやまれぬ正当防衛的な情状酌量の余地があり、脱獄したのも、手錠や足枷を付けられ最低の食事しか与えられない待遇最悪の奴隷以下の独房生活の境遇をどうしても改善させたいという欲求が動機の一つにあり、白鳥の人間性に同情したくなります。

 著者の斎藤充功氏は、人一倍、この白鳥由栄に興味を持ち、4年以上、本人を探しまくり、1977年11月、御徒町にある三井記念病院に入院していた白鳥にやっと会うことが出来ます。それから、彼は何度も取材を続け、抜群に記憶力に優れた白鳥から脱獄の方法や脱走経路、逃亡先の生活などを聴きまくり、白鳥だけでなく、当時の刑務官や弁護士らも探し当てて取材し、まとめたのがこの労作だったのです。1977年といえば、著者の斎藤充功氏はまだ30歳代の若さです。怖いもの知らずで突撃取材したのでしょう。ノンフィクションというより、歴史的証言とも言うべきルポルタージュといった方が相応しいです。