映画「禅と骨」所感

東銀座・イタリア「ダ・フェリーチェ」ランチ1000円

京都の京洛先生です。私の書いた記事が《渓流斎日乗》で大変好評だと聞きまして、これは横井英樹さんに倣って乗っ取るしかないと確信し(笑)、一筆啓上仕ります。

◇禅僧ミトワの半生

帝都は東中野の「ポレポレ東中野」で12月11日まで上映している「禅と骨」はご覧になりましたか?

迂生は京都の”小芝居”ならぬ”小映画劇場”の京都シネマで見てきました。ドキュメンタリータッチで、禅宗の周辺には、こういう人士が多士済々なのだ、と再認識しました。

青い目のミトワという生臭い「禅僧」の戦前、戦後の一代記を評伝風に作ってあります。ミトワは日系アメリカ人ですから、戦前はスパイとして特高からマークされ、父親の母国に行っても、今度は敵国から来たという扱いを受けたり、何処の国でも、ハーフ、混血というのは苦労が多く、生き方も大変だと、思い至ります。

”グローバリズム”は、体裁の良い事ばかりが、強調されますが、「日本の近未来」の前触れというか、歴史は同じことの繰り返しです。

◇男を迷わせるもの

また、ミトワ自身も、家族をほったらかしにして、思うように生きたわけです。親しかった作家の水上勉の臨終直前には、お互いの◯◯を握り合って「これが男を迷わせるので、困ったものだ」と言ったり、「ワシは未来に興味、関心はない。過去に興味があるのだ」と言ったりします。

天龍寺の老師は「風流人だった」と言っていますが、家族は迷惑だったことでしょう。面白い生き方の一つだ、と思いますが…。

◇千玄室大宗匠の迫力
ミトワの末娘が父親の生き方を批判的で、反発しますが、あれは本当は父親のミトワが大好きだった、と思いますね。
映画には「裏千家」の千玄室大宗匠も出てきます。もう、93歳なんですね。この人も、生臭くて、ミトワと相通じるものがありますが(笑)、久しぶりに映像で見ました。風格が出て、何とも言えない雰囲気が出ています。底の浅い映画俳優より迫力をにじませています。

予告編は「禅と骨」で検索されるとみられます。 野口雨情作詞の「赤い靴」の謂れも紹介されたり、「映画製作はカネが無いと踏んでかかると、サッと皆んなが引いていく」とか、新たな人生勉強になりましたよ。

「京都五山 禅の文化展」

 摩周湖

 

上野の国立博物館・平成館に「京都五山 禅の文化展」を見に行ってきました。

 

京都五山とは、南禅寺を上位別格とし、第一位「天龍寺」、第二位「相国寺」、第三位「建仁寺」、第四位「東福寺」、第五位「万寿寺」を指しますが、この展覧会を見て、私は、禅について、何も何も知らなかったという事実に改めて気付かされました。

 

夢窓疎石や絶海中津、無学祖元らなら何とか名前と業績について、ついていけますが、東福寺開山円爾(えんに)の弟子で東福寺第三世と南禅寺の開山となった無関普門(むかんふもん、1212-91)や同じく円爾の弟子で東福寺第九世癡兀大慧(ちこつだいえ、1228-1312)、夢窓疎石に師事し、天龍寺や相国寺の住職などをつとめた春屋妙葩(しゅんおくみょうは、1311-1388)といった禅宗界では、知らない人はいない重要なキイパーソンを今回初めて知りました。

 

何しろ、中国から臨済宗とお茶を日本に伝えた栄西(ようさい)を、学生の頃は中国人だと思っていたくらいですから、恥ずかしい限りです。東福寺は、奈良の東大寺と興福寺の二つから取ったというのも知らなかったですね。

 

足利義満をはじめ、室町幕府の庇護を受けた京都五山の僧は、中国(明)との外交使節団の一人として加わり、通訳や文書製作などの細かい事務の仕事もしていたようですね。当時、外国語ができるインテリといえば、学僧ぐらいなので、当然かもしれませんが、宗教界だけではなく、世俗の外交官として活躍していたとは、はっとさせられる史実も教えられました。