談志が愛した銀座の中華料理店

 落語家の立川談志(1936~2011年)が亡くなって、今年でもう10年になるんですね(行年75歳。命日は11月21日)。時間の流れの速さには卒倒しそうです。

 その談志師匠が贔屓にしていた中華料理店が銀座にあるというので、ランチに行って参りました。北京料理「東生園」という店です。場所は、泰明小学校の近くで、ちょくちょく行っていた蕎麦屋「泰明庵」の斜め向かいといったところにありました。

 灯台下暗し、です。

 やっぱり、グルメは脳で食べるものなんですね。旨い、不味いは関係ない(笑)。誰それ有名人が贔屓にした店とか、ミシュランで三ッ星を取ったから、といった「情報」でヒトは、食欲を満たす動物なんですよ。

 私もそんな動物の一人ですから、秘密に仕入れた情報だけを頼りに行ってみました。

東京・銀座・北京料理「東生園」五目チャーハン・ランチ900円

 注文したのは、五目チャーハン。談志師匠がこよなく愛した五目チャーハンは1300円ですが、私が注文した五目チャーハンは、ランチでしたので900円でした。

 うわっ! うまっ!

 北京料理の看板を掲げていますが、とても上品な味でした。今まで食べた五目チャーハンの中でもベスト3には入ります。加えて、給仕してくれるお店の女性も感じが良い。900円ランチは、酢豚から中華風カレーライスまで9種類ありましたから、これから全部制覇しようかしら(笑)。

 談志師匠のグルメぶりには見直しました。

東京・銀座・北京料理「東生園」

 立川談志と言えば、一時閉園の危機から一気に全国的な人気動物園に再建した北海道の旭川動物園の元園長小菅正夫さんのことを思い出します。今から15年以上昔に帯広に赴任していた時に、講演会の講師にお招きしたことがあるのですが、小菅さんは談志の大ファンで、控室で初対面でお会いした時、最初から最後まで談志の凄さを熱っぽく語っていました。北海道で落語会があれば必ず行くと話していました。

 そう言えば、私自身は、彼のこと、テレビやラジオで接しても、寄席で生で一度も見たことありませんでしたね。亡くなった時に、翌日の某スポーツ紙が「談志がシンダ」と回文のような上手い見出しを付けていたのが今でも忘れませんが、「嗚呼、一度くらい見ておけばよかった」と後悔したものです。

◇一期一会の立川談志

 でも、立川談志師匠には一度だけ取材したことがあります。1998年頃だったか、東京・赤坂にある有名な前田病院に検査か入院かで行くという報せがあって、各社の芸能記者が取材に走ったのです。その前年にがんの手術をしたりして、一時「談志死亡説」まで流れていたからでした(その後治癒)。

 報道陣に囲まれた談志師匠は当時62歳。少しやつれて痩せた感じでしたが、口調ははっきりしていて、「皆さん、こんなに集まってくださって、どうもすいませんねえ」とあまりにも低姿勢だったので吃驚。談志と言えば、べらんめえ調で、人をどやしつけるタイプだと思っていたので拍子抜けしてしまったことを覚えています。勿論、その時は、高座に上がった立川談志ではなく、本名の松岡克由という素顔を晒していただけなのかもしれません。

水道橋博士著「藝人春秋2」上下二巻を読んで

水道橋博士著「藝人春秋2」上下二巻(文藝春秋、2017年11月30日初版)を駆け足で読了しまた。「週刊文春」連載を単行本化したものでした。

ビートたけしの弟子である自称「芸人」。それが、自他ともに認めるように文章がうまい。よくいる田舎の秀才タイプで、文章のうまさは、多読乱読濫読によるものか、かなりの読書量から来る趣きです。

しかも、取材相手が、橋下徹、石原慎太郎、猪瀬直樹、立川談志、三浦雄一郎、田原総一朗ら周囲にいる有名人だらけですから、ネタ元には困りません。「取材元」と書いたように、著者の水道橋さんは、学者かジャーナリストのように、取材相手の文献やインタビューの過去記事をかなり読みこなして上で、相手に当たっていますから、相手のかなりの本音を引き出すことに成功してます。

文章のうまさというより、取材力が文章に現れている感じです。

ただ限界もあり、「大物のタブーに挑戦する」と言っておきながら、例えば、石原前都知事の「票田」である某新興宗教団体には触れず仕舞い。本人は著作で多く語っているのに、水道橋さんは、まるで態とその部分を避けて通り、三浦雄一郎氏との個人的な確執ばかり取り上げておりました。

その一方で水道橋さんは、他人を笑わすことが商売なのに、エピローグの中で、かなり重症の鬱病を再発して、この本、というより、週刊誌連載執筆の時の壮絶な体験まで告白してます。保険が効かない治療を行ったため、貯金が減っていく辛さや、家族以外に打ち明けられない仕事場での苦しみなども吐露してました。

同じような病に罹った作家北杜夫や開高健、ナインティナインの岡村隆史、泰葉、ジャーナリスト田原総一朗らの例も取り上げておりました。

著者は、「お笑い」と「作家」の二足の草鞋を履くことを後押ししてくれた恩人の一人に立川談志を挙げ、かなりのページを割いておりました。彼が亡くなったのは、2011年。ちょっと、あれからもう7年も経つとは、時間の流れが速すぎませんか?!(著者に従い、一部敬称略)