特別展「京都 大報恩寺 快慶・定慶のみほとけ」で心が洗われました

「体育の日」のある三連休のほとんどがブログの取材と執筆と校正と、講演者様とのメールのやり取りと、訂正と更新とさらに更新に追われてしまいました(笑)が、寸暇を惜しんで、東京・上野の国立博物館で開催中の特別展「京都 大報恩寺 快慶・定慶のみほとけ」に足を運んできました。

普段の私は、やましい心の狭いことばかり考えておりますから、せめて仏像様のお力と御慈悲によって、心を洗おうという罰当たりな魂胆を敢行したわけです。

京都にお住まいの京洛先生のお導きで、有難いことに、京都奈良の寺社仏閣はかなり巡っているのですが、大報恩寺は聞いたことがありませんでした。

非常に楽しみに出掛けたところ、大報恩寺とは、北野天満宮近くの千本釈迦堂のことではありませんか!

ここなら、京洛先生お気に入りの寺で、小生も何度かお参りしておりました。

千本釈迦堂大報恩寺は、鎌倉初期の安貞元年(1227年)に義空上人(奥州藤原秀衡の孫に当たる)によって開創された寺です。洛中で「火災に遭うことなく現存する」最も古い寺だといいます。本堂は、創建時そのままのもので「国宝」に指定されております。柱には応仁の乱の刀や槍の傷跡が残っていました。

◇京洛先生と倶梨伽羅紋々

京都の人が言う「この前の戦災」とは、鳥羽伏見の戦いではなく、応仁の乱を指すことがこれで分かりました。

境内では毎年12月に「大根焚き」が行われ、もう5、6年前のことですが、たまたま京洛先生と一緒にベンチに座って、熱々の大根を食べていたら、テレビがこちらに取材に来ました。

そしたら、京洛先生はその筋の人ですから、背中の倶利伽羅紋々を見せながら、何か一言言った途端、テレビ・クルーの人たちは真っ青な顔をして慌てて逃げ去ってしまったのです。

何事が起きたのか、京洛先生に尋ねたところ、彼は、ちょうど取材に来たテレビ局のライバル・テレビ局のロゴが背中に入ったジャンパーを着ていたのです。

「『ここの者だけど、いいの?』と言っただけですよ」と京洛先生は平然としたものでした。もちろん、彼はライバル・テレビ局の人間ではありません(笑)。

特別展「京都 大報恩寺 快慶・定慶のみほとけ」のパンフレットより

さて、大報恩寺展のことでした。

四年に一度のご開帳でしか拝めない「釈迦如来坐像」(快慶の一番弟子・行快作)や「釈迦十大弟子立像」(快慶最晩年作)、「六観音菩薩像」(運慶の晩年の弟子・肥後定慶作)は、前から後ろから360度の角度から見ることができて、見応え十分でした。なんて、言ってはいけませんね。荘厳な気持ちになりました。

合掌

お蔭さまで、心が少し軽くなりました。

【六観音菩薩】とは

六道それぞれの衆生を救う6体の観音密教では、地獄道聖(しょう)観音餓鬼道千手観音畜生道馬頭観音修羅道十一面観音人間道准胝(じゅんでい)または不空羂索(ふくうけんじゃく)観音天道如意輪観音を配する。(大辞泉より)

【釈迦十大弟子】とは

釈迦(しゃか)の10人の高弟。「智慧第一」の舎利弗(しゃりほつ)、「神通(じんつう)第一」の目犍連(もくけんれん)、「頭陀(ずだ)第一」の摩訶迦葉(まかかしょう)、「天眼第一」の阿那律(あなりつ)、「解空(げくう)第一」の須菩提(しゅぼだい)、「説法第一」の富楼那(ふるな)、「論義第一」の迦旃延(かせんねん)、「持律第一」の優婆離(うばり)、「密行第一」の羅睺羅(らごら)、「多聞(たもん)第一」の阿難陀(あなんだ)。(大辞泉より)
地獄道から衆生を救済する聖観音菩薩像(もちろん、この菩薩像だけがフラッシュなしの撮影を許可されていました。「地獄にいる人が多いせいなのかなあ」と邪推してしまいました)