不安や恐怖は「生き延びるため」の警告=感情は五臓に宿ると考える漢方医学

 今年は正月から個人的に精神的ストレスが掛かる事案が立て続けに起きてしまい、神経をすり減らしておりました。幸い、以前のパニック障害のようなメンタル症状が再発するまでには至りませんでしたが、いまだに、心がどうも、不安定です。ブログ更新の気力さえ減退しました。

 何か処方箋がないか、と探していたところ、直ぐに見つかりました。アンデッシュ・ハンセン著「メンタル脳」(新潮新書、2024年1月20日初版)です。新聞の広告を見て、即、書店に走って買い求めましたが、この本の前書きの「日本の読者の皆さんへ」を読んだら、何と、10代のジュニア向けに書かれた本だったのです。「まずったかな?」と思いましたが、いやいや、大の大人が読んでも、シニア層が読んでも大丈夫です。結構歯ごたえがある難しいことも書いているからです。

 これまで、このスウェーデンの若き精神科医(とは言っても今年50歳ですか…)が書いた「スマホ脳」「運動脳」「ストレス脳」などを私は愛読してきたので、彼の説は信用しています。この本は旧著と重なることも書かれていますが、今の精神状態の私にとっては「読むクスリ」になっています。

 人間は、何故、不安や恐怖を感じるのか? 一言で言いますと、脳が我々を「生き延びさせる」ために仕組んでいることだ、というのです。我々の脳は、いまだに弱肉強食のサバンナに生きていた時代の脳を頑固に引き継いでおり、捕食者が逃れるために、「闘争か逃走か」を一瞬で判断しなければなりません。ですから、不安や怖れなどは、脳が「何かがおかしい」と警告する手段であり、信号でもあるというのです。

 それゆえ、過剰判断だったり、古い脳の勘違いだったりすることもあるといいます。「幽霊の 正体見たり 枯れ尾花」みたいなものです。

 でも、脳に悪気はありません。とにかく、我々を生き延びさせることだけを考えているからです。

 この本について、いずれまた書くことにしまして、またまた、NHKラジオで聴いた薬膳料理家阪口珠未さんのお話を引用させて頂きます(記憶で書いておりますので、間違いは訂正しますから、御堪忍願います)。阪口さんは北京に留学して、漢方(中医学)を学んだ方です。ですから、ハンセン氏の西洋医学とは考え方が全く違うので、非常に興味深いのです。西洋医学では、人間の感情や思考は全て、脳の機能という考え方ですが、中国医学は違うのです。いわゆる五臓六腑が感情を司り、脳はその補助的に機能するといったような考え方です。以下のような感じです。

・肝臓→怒り

・心臓→喜び、興奮

・脾臓→憂い

・肺臓→悲しみ

・腎臓→怖れ

 人間は強度の精神的ストレスに晒されると、下痢になったり、不眠になったりします。となると、脳だけでなく、五臓六腑が感情を司るという漢方の考え方は捨てがたいですね。日本人ならこちらの方が分かりやすいです。阪口さんは薬膳料理家なので、これらの五臓をコントロールする食材の話もされていました。

 肝臓の「怒り」を抑えるには、菊の花やセロリや香の物が良いそうです。心臓の「喜び」は良いのですが、興奮し過ぎたり、人に気を遣い過ぎてエネルギーを消耗します。自己嫌悪になったりして不眠にもなります。それには、食材として、レバーやアサリ、ヒジキや海苔などが効くそうです。特に赤い食材が良いのでナツメも良いそうです。

 「憂い」の脾臓は、思い込んだり、悩み過ぎたりすると消化機能、特に胃腸が不調になります。取り返しがつかない過去を反芻したり、将来悪いことが起きたらどうしようなどと妄想したりするといっぺんに脾臓が悪くなります。腸を整えるには、雑穀や高麗人参、発酵食品などが良いようです。

 「悲しみ」の肺臓というのは、人は、喪失感などから悲しむと呼吸が浅くなります。その対策には呼吸器を強くしなければなりませんが、白い食材が効果あるといいます。カブやダイコン、白キクラゲなどです。

 腎臓は、低下すると、恐れや不安感が増します。残念ながら、「腎力」は加齢とともに失われていくといいます。だから、高齢者は、若者のように無茶しなくなるということなのでしょう、例外の方もいますが(笑)。確かに外出する際、火の元や戸締まりが気になってしょうがなくなります。「腎力」を強めるには、黒い食材が良いようです。黒豆、黒ゴマ、ヒジキ、海苔、昆布、ウナギなどです。他に、安神(精神安定)作用があるナツメ、クルミ、アーモンドなどのナッツ、ヤマイモ、レンコン、里芋、キノコ、シジミ汁なども効果あるようです。

 私も、読むだけでなく、実際に試してみようかと思っています。

茂木健一郎「『脳』整理法」

ローマ

公開日時: 2007年3月22日 @ 19:05

アメリカに住む従兄弟のYさんから茂木健一郎氏の「『脳』整理法」を薦められました。

今売り出し中の気鋭の学者で、テレビにも出演し、現在最も忙しい脳科学者と言われている人です。

女性週刊誌にも取り上げられ、正直、あまりにも脚光を浴びているタレントっぽい人なので、敬遠していたのですが、この本を読んでビックリ。すっかり偏見は飛んでしまいました。

もしかしたら名著かもしれません。久しぶりに赤線を引きながら読みました。

茂木氏は、さかんに「偶有性」という言葉を使っています。「いつ、どこかで、確実に起きる」ということとは正反対で、「半ば偶然に、半ば必然に起こる」という意味です。

人生はその偶有性の産物だというわけです。泣こうが、喚こうが、たかだか、百年あるかないかの人生。そんな個人の人生は、宇宙の「永遠の相の下」では、ゴミクズ以下の存在で、いてもいなくてもいい。所詮、人生に、確実な根拠になるものなどない、というのが結論に近いのです。

赤線を引いた箇所は…

●「人間の時間(生活実感)」にとって、「今」は特別な存在とみなし、我々の生活を支えているが、宇宙の全歴史を一気に見渡してしまうような「神の時間」(科学的世界観)からみれば、「今」の時点は何の特権もない。人間の思索は、科学的な世界観の中では、ナンセンスなものとして片付けられる。

●宗教家が、輪廻転生や因果応報の思想のもとに、前世や死後の世界はあると教えてきたが、科学的世界観では、それらは否定される。「私」の時間は誕生とともに生まれ、死とともに消える。その前にも後にも何もない。

●永遠に心理的現在に閉じ込められながら、さまざまなものを「今」に引き寄せようとする人間の必死の努力が、現代科学が公式的には「勘違い」と片付ける様々な宗教的、哲学的概念を生んできた。

(宗教や哲学は、所詮、人間の勘違いなのか?)

●ある程度規則があり、またある程度ランダムであるという人生における偶有性とは、実に味わい深い。…時に無秩序で予測がつかないもののように見える宇宙の中の事象にさえ、ある程度の規則性を見出そうと試みる脳の働きには、人間の「世界が意味のあるものであってほしい」という祈りが込められている。

●生きることを不安に感じることは、ときに避けられないものであるが、できれば楽しんでしまった方がいい。不確実性を楽しむという「生活知」は、そもそもこの世界の本質、とりわけ生の本質は「偶有的」なものであり、不確実性は避けられないものであるという認識のもと、「覚悟」を決めることによってこそ得られる。

●「果報は寝て待て」ではなく、とにかく具体的な「行動」を起こすこと。そして、偶然の出会い自体に「気づく」こと。さらに、素直にその意外なものを「受け入れる」(受容)ことが、偶然を必然にするために必要不可欠な要素。

●偶然の幸運に出会う能力とは、偶然のチャンスを生かすという心掛けと脳の使い方。

●アインシュタインは「人間の価値は、何よりもその人がどれくらい自分自身から解放されているかということで決まる」という言葉を残した。ますます緊密に結びついて現代の地球社会における人間の価値は、何よりも、ときには違和感さえ覚える他者を排除せずに、自分を耕す肥やしとして尊重できるか、その点にこそかかっている。

●科学的世界観とは、理想的には、あたかも「神の視点」に立ったかのように、自らの立場を離れて世界を見ることによって成り立つ。これを生活の中にほんの少し処方するだけで、静かで美しいライフスタイルを見出すことも可能。

●人生がうまくいくかどうかは、その多くが不確実性に対する対処の方法によって決まる。不確実性を避けて、確実なことばかりやっていれば、先細りになる。かといって、不安のようなネガティブな感情に支配されてしまうと、不確実性に積極的に向き合っていく勇気が生まれない。生きる中で、確実なことは何もないという現実は実に厄介な問題だが、大切なことは、ネガティブな感情は決して意味がないわけではないと気づくことだ。否定的な感情も、私達人間の生を支える「感情のエコロジー」の中で意味があったからこそ、進化の過程で生き残ってきた。

●高度に発達した人間だからこそ浸ることができる複雑で豊かなプロセスとして、後悔や怒り、嫉妬、不安、自己嫌悪、自信喪失といったネガティブな感情は立ち上がっている、しかし、これらをいたずらに否定したり、抑圧したりしないで、じっくりと付き合ってみること。極端に言えば、これらもまた、この世界が私たちに与えてくれた福音であることを納得し、受容することが重要。

●感情というものが自律的なものであることに着目すると、「根拠のない自信」を持つことが、偶有的な世界と渡り合うために、案外大切であることがわかる。もともと、自信とは根拠のないもの。そもそも、生きていること自体に根拠がない。みな、何となく平均年齢までは生きるだろうと思い込んでいるが、それは、根拠のない楽観的な憶測にすぎない。いつ不測の事態が起こって、人生が終わりになるかわからない。

以上

私自身は、ここ10年近く捉われていたアポリア(難問)に少し回答をもらった気がしました。

皆さんはいかがでしょうか?