台風19号の猛威と横浜カジノ誘致の裏側

WST National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

「今まで経験したことがない」「数十年ぶりの大雨」「命を守る行動を取るようにしてください」ー。これを書いているのは10月12日(日)午後2時頃ですが、昨日の11日(土)に伊豆半島に上陸して、東北地方まで縦断した台風19号は、東日本に甚大な被害を及ぼしました。

 今回は堤防の決壊などで多くの川が氾濫しましたので、これから、さらなる被害状況が徐々に明らかになっていくことでしょう。 氾濫した川は、島崎藤村が叙情的に詩(うた)いあげた長野県の千曲川、それに私も「山城歩き」で側を歩いた埼玉県の都幾川や富裕層が住まう東京と川崎の多摩川などでした。

 昔は「地震、雷、火事、親父」と言われてましたが、親父の権威は急降下して地底深くに潜り、今は「地震、台風、雷、火事、洪水、土砂崩れ、雪崩」ということになるんじゃないでしょうか。

 被害に遭われた皆様には御見舞い申し上げます。

 私は、激しい雨で夜は眠りにくかったですが、幸いなことに、自宅周辺での被害がなく、断水も停電もありませんでした。

 テレビを見てたら、宇都宮市内の道路が冠水していたので少し心配になりました。今週末に(そう言えば)生まれて初めて宇都宮に出掛けて、地元の栗原先生に宇都宮城などを案内して頂く予定でしたから。また、来月行く予定の唐沢山城のある栃木県佐野市も今回、川が氾濫して、低地は水浸しになっていました。改めて、御見舞い申し上げます。

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 さて、「毎日一日も欠かさない執筆」が建て前のこのブログ「渓流斎日乗」ですが、もうそんなことを言ってられなくなりました。日々、仕事でのパソコン作業とスマホ中毒で眼精疲労で眼痛が酷くなってきたからです。

 特に先週末に、パソコンのWindows10のアップグレードがあるとかで、自宅に光ケーブルも無制限Wi-Fiもないため、ある喫茶店(のWi-Fi)でチャレンジしたところ、3時間以上も掛かってしまいました。お蔭で、眼痛が酷くなり、視力も一気に落ちた感じになりました。

 この喫茶店は名古屋発祥の超人気店で、週末は超満員で、店内にパソコンを持ち込む若者も多く、そのせいか、「お一人様、2時間制」という時間制限までやりやがって、時間が過ぎると、肩を叩かれます。私は仕方ないので、飲みたくもない珈琲を2杯も注文しましたよ。1杯450円、フィッシュフライバーガー480円で、計1380円也。

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 嗚呼、せっかくブログを再開したというのに、あまり個人的なことばかり書いていてはいけませんね(笑)。

 京洛先生のお薦めで、10日発売の月刊「文藝春秋」11月号で、「ハマのドン」と言われる著名な藤木幸夫氏の「菅官房長官、カジノは筋悪だよ」を読みました。

 あれほど、カジノに大賛成だった藤木氏が、何で急に、大反対に回ったのか、これを読んで、よく分かりました。ギャンブル依存症の怖さを痛感したことと、同氏は、米国筋からの圧力があったのではないか、と推測しています。

 米国筋とは、トランプ米大統領の選挙資金として2000万米ドル(約22億円)を用立てした「カジノの帝王」こと「ラスベガス・サンズ」社のシェルドン・アデルソン会長のことです。当選したばかりのトランプ氏にいち早く面会したい安倍首相が、ソフトバンクの孫正義会長を通して、アデルソン会長に仲介してもらったそうです。その恩返しとして、アデルソン会長⇒トランプ大統領⇒安倍首相⇒菅官房長⇒林・横浜市長の流れで、横浜市が「カジノ都市」として立候補するように、陰に陽に圧力があったのではないか、というのが藤木氏の見立てでした。

 このほか、同誌では、「新天皇・雅子皇后『65人の証言』」が特集され、この中で、皆様ご存知の八牧浩行氏の「証言」も掲載されておりました。御同慶の至りで御座います。

「青年の樹」のモデルの藤木氏

これでも私は昔、映画に出演したことがあります。長身痩躯で美男子でしたからねえ(笑)。

でも、出演と言っても端役、いや、これも言い過ぎで、台詞もない単なるエキストラを学生時代にアルバイトで何本かやっただけでした。

その中に「青年の樹」という作品がありました。1977年公開の東宝映画(西村潔監督)で、主演は、三浦友和と檀ふみ。後から知ったのですが、原作は石原慎太郎の同名の小説(1959~60年、「週刊明星」連載)で、既に60年に石原裕次郎と北原三枝のコンビで日活で映画化されており、これが二度目でした。

横浜の港を舞台にした作品で、ヤクザ和久組の跡取りとして生まれた主人公が東京の大学に入学し、「苦闘の末、二代目となる青春怒号篇」ということですが、もう40年以上も昔なので、内容はすっかり忘れてしまっております(笑)。学生役でしたから、衣装も私服で、そのまんまでした。

撮影現場は、立教大学だったかなあという程度の記憶ですが、主役の三浦友和さんが学食で食事する場面で、彼が箸を口元に持って行くと「カット」。食べようとすると「カット」。それをアップで撮ったり、少し離れて撮ったり、右から撮ったり、左から撮ったり、そのたんびに、「カット」の連続。「えっ?これで演技できるの?」という感じでした。

溝口健二監督らが映画のことをよく「シャシン」と言ってましたが、本当に映像ではなく、写真を撮っている感じでした。そう言えば、昔は映画のことを活動写真と言ってましたからね。「あー、こうして映画が撮影されているのかあ」と思うのと同時に、「俳優って、あまり面白くないなあ」と生意気に思ってしまい、それ以来、俳優志望をやめてしまいました(笑)。

檀ふみさんは、憧れの女優で、私も大ファンの檀一雄先生のお嬢様ですからね。サインをもらいたかったのですが、彼女は勉強家でいつもロケバスの中で本ばかり読んでいて近づけない雰囲気でした。

気張った私は、単なる主役の背景になる学生なので、目立ってはいけないのに、カメラを見てしまったりして、「おい!そこの! エキストラなんだから、目立っちゃ駄目なんだよ。何やってんだよ!」と助監督に大声で怒られたことを覚えています。それで、エキストラも嫌になって、アルバイトもやめた気がします。

さて、この石原慎太郎著「青年の樹」にはモデルがいました。横浜港運協会会長で、藤木企業会長・横浜エフエム社長の藤木幸夫氏です。少し、毀誉褒貶のある方で、陰では全国的に有名な「横浜のドン」と呼ばれ、地元政財界を仕切っているという噂の持ち主です。これもまた、噂の領域を出ませんが、菅官房長官のパトロンとも言われ、横浜市がカジノを誘致した場合、一番の顔役になる人とも言われています。

その彼の半自叙伝「ミナトのせがれ」(神奈川新聞社、2004年8月18日初版)を読むように、と名古屋にお住まいの篠田先生が貸してくれました。その本の帯に石原慎太郎氏が「私はかつて、若き日の著者をモデルに『青年の樹』を書いたことがある…」と推薦文を書いていたので、自分も上述したことを思い出したわけです。

藤木氏は、早稲田大学政経学部卒のインテリながら、父親の藤木幸太郎が一代で築き上げた港湾荷役業会社を継いだ二代目です。腕力だけが頼りのかつての荷役業者には「酒と女とバクチ」にはまるヤクザな荒くれ者が多かったのです。それを父親は、自分の腕力と交渉力と良き先輩に恵まれ、カタギだけを育てたことで、全国船内荷役協会の会長まで昇り詰めます。同協会副会長が神戸の田岡一雄甲陽運輸社長だったことから、「田岡のおじさん」とは公私にわたる家族ぐるみの付き合いで、そこから世間の誤解も招いたります。

藤木氏は、中国に何度も何度も渡り、大連港の荷役業務を整備して中国政府から表彰されたり、横浜オランダの名誉領事に選ばれたりする逸話は読み応えがありました。