14歳にして心朽ち、心だけは永遠の14歳

ヤブカンゾウ

 ひょっえーーー、です。

 7月18日は迂生の誕生日です。とうとう、高齢者の仲間入りになってしまいました。我ながら信じられない! 還暦になったと思ったら、あっという間です。この分ですと、残りの人生もあっという間に過ぎてしまうかもしれません。

 フェイスブックという嫌なSNSをやってしまったせいで、信じられないくらい多くの方からお祝いのメッセージが届きました。すみません、と言うしかありません。

 メールからもお祝い頂きました。御礼申し上げます。

 高齢者になったとはいえ、実は精神年齢は14歳です。14歳の時の方がもっと精神的に老けていました。東京郊外の田舎の中学2年生でしたが、このまま最難関の都立高校に入って、東大を目指して、国家公務員になるといったエスカレーターの人生を歩もうとする自分自身がどういうわけか許せなくなってしまったのです。何をしても虚しい。自分の将来がどうなってしまうのか、さっぱり未来像は描けませんでしたが、反骨精神が頭をもたげ、勉学を全て放棄してしまいました(単に遊び惚けてしまった、というべきか=笑)。

 よく、悪友の中下君と一緒にビリヤードをやったり、サイモンとガーファンクルの「明日に架ける橋」を聴いたり、煙草を吸っておまりさんに補導されたりしました。

 それは、虚無感に近い老成観でしたが、あの14歳があったからこそ今の自分があり、職業も反骨精神が生かせる記者になることができました。生まれ変わっても記者になりたい!(笑)

 ちょっと古い話ですが、「週刊現代」の3月13日号が「65歳になったら、ぜんぶ『やめる』『捨てる』『手放す』」の大特集をしていました。曰くー。

・いい年になったら、ネットやスマホから離れる

・病院通いも人間ドックもやめる

・サプリや健康食品を絶つから幸せになれる

・しがらみと他人の目がなくなったら、どこまでも自由になれる

・子供や孫には、もう期待しない。おカネも渡さない

・家は売らない、老人ホームなんて入らない

・冠婚葬祭はもういいよ

・株や投資信託で、最後に失敗する人たちの悲劇

うーーん、このうち、いくつできて、いくつリスクから回避できるでしょうか?

 今年は4月に高校時代からの大親友が急に亡くなってしまい、しかも、亡くなって10日間も彼の死を知らず、大変落ち込んでしまいましたが、「救世主」も現れました。その話は、語れば3日間も掛かるのでやめておきますが(笑)、お蔭様で、これからは、明るく前向きに生きていこうと心に誓うことができました。

 この渓流斎ブログも、キリの良い「50万アクセス」まで、あともう少しです。ということで、もうしばらく、皆様にはお付き合いの程、宜しくお願い申し上げます。