物理学、相対性理論、宇宙論、星座関連本を購入=おらあ、理科人間になるだあ

 ありゃまあ、もう7月ですかあ。今年も半分も過ぎてしまいました。まあ、何とまあ。。。

 あまりボヤボヤしていられませんので、本当に久しぶりに大型老舗書店に行って参りました。やはり、本を買うには、ちゃんと書店に足を運ぶのが一番です。それに、全く買うつもりがないのに、「偶然の産物」で見つけた本を買ってしまう楽しみがあります。ネット通販だと、最初から買うものが決まっていて、ピンポイントで購入するのは便利でしょうが、偶然の産物にありつけることはありません。それに、書店に同じような類書があると、自分にとって何が一番合うのか、手に取って確かめることが出来ますからね。

 私はもういい年なのですが、年を取っても、何歳になっても「変身願望」があります。私自身は、高校生以来文系で、歴史や文学、哲学、宗教学、絵画彫刻、寺社仏閣、お城、音楽等に興味があり、その筋の本ばかり読んで来ました。逆に言えば、数学や科学などの理系の勉強は疎かにして来たわけです。そこで、変身願望というのは、いい年こいて「理系人間になりたい」という願望だったのです。ズバリ、

  おらあ、理科人間になるだあ

 作戦です。人間、幾つになっても、努力次第で変わることが出来るというのが私の信念です。

 ついでながら、私自身の性格は、いつも不安と不満に苛まれ、苦悩の塊みたいなものです。そのため、若い頃からずっと宗教や哲学に救いを求めて来ました。しかし、宗教や哲学では、一時的に気が楽になっても、相も変わらず、苦しみや悩みは消えません。根本的には「われわれは何処から来て、何処へ行くのか?」というアポリア(難問)があります。

 そこで、人間とは何か、科学的に検証する人類学や進化生物学等の本に触れると、目から鱗が落ちるかのように、腑に落ちてきます。はっきり言ってしまえば、所詮、人間とは遺伝と環境と偶然の産物だということです。例えば、ろくに仕事をしようともせず、他者を陥れることしか考えない人間を、いくら責めても始まりません。相手は、どうせ悪党の遺伝子を受け継いでいるだけなので、治りようがありません。悔悟心も自責の念も罪悪感も全くありませんからね。

 ところで、進化生物学者が説くところによると、あらゆる悩みは、人間として生を受けたからだといいます。人間というものは、良心的人間なら、最初から悩むように、苦しむように、迷うように生まれついているというわけです。

 個人的ながら、こういったことを知ると、宗教哲学よりも、理系思考の方が救われるようになり、だんだん、理系人間になりたいと、思うようになったわけです。

おらあ、理科人間になるだあ

 大型老舗書店に足を運んだのも、もう一度、理数系の勉強をやり直そうかと思ったからでした。まず、最初に手に取ったのは、ニュートン別冊「学びなおし 中学・高校物理」(ニュートンプレス、1980円)です。人間の悩みの90%は、人間関係です。だから、もう嫌な人間と関わるのは懲り懲りですよ(笑)。別に世間に背を向けるつもりもありませんが、そんな人間どもの気まぐれを相手にするより、自然界はどんな力学が働いて動いているのか基礎知識を学ぶ方が魅力的です。中学、高校時代は物理の勉強はさぼってしまいましたから、やり直しです。(振り返ると、「組み合わせ滑車」の計算が全く出来なかったことがきっかけで、物理が嫌いになり、落ちこぼれてしまいました。)

 その次に手に取ったのが、またニュートン別冊「相対性理論」(ニュートンプレス、1980円)です。人間として生まれてきたからには、相対性理論を知らずに死ねるか、といった気持ちです。アインシュタインは、文学、哲学でいえば、ドストエフスキーやカントみたいなもので、音楽でいえば、バッハやモーツァルトやベートーヴェンみたいなもので、相対性理論は人類にとって必修でしょう。

 その後、書棚を見回すと、やたらに目立って多かったのが、「宇宙のおわり」の書です。「宇宙のはじまり」の本もありましたが、「おわり」はその3倍ぐらいの量です。そこで、当初は全く買うつもりはなかったのに、またまたニュートン別冊の「宇宙の終わり 誕生から終焉までのビッグヒストリー」(ニュートンプレス、1980円)も購入することにしました。そこには、宇宙に誕生があるように、宇宙にも終焉があるといったことが書かれていました。宇宙誕生138億年、地球誕生46億年ですが、20億年後、太陽は1.2倍の明るさとなり、地球は灼熱の大地となり生物は死滅するといったことも書かれていました。人類も、その前に絶滅していることでしょう。極貧に喘いで不幸な孤独の人生を歩んだ人間も、最高権力を手にして大豪邸で何不自由のない裕福な生活を送った人間も等しく滅び、その遺産も遺跡も跡形もなく消えるわけです。そう思えば、何を悩むことがあるのでしょうか?

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 忘れるところでした。大型老舗書店に足を運んだのは、「星座」関係の本を買うためでもあったのでした。ネット通販で、星座関係の本を検索すると、星占いの本ばかり出てきて、自分が探し求めているものとは全く違いました。私が欲しかったのは、夜空の星座の観測も出来る手引きとなり、その星座の由来やエピソードも書かれた一般向けの書籍でした。書店には、それに該当する星座関係の本は「天文年鑑」も含めて10冊以上ありましたが、ちょっと、ペラペラと読み比べて、これだという1冊が見つかりました。永田美絵著、八坂康磨写真「星空図鑑」(成美堂出版、1100円)です。早速、7月7日の七夕の織姫星は、こと座のベガ、彦星は、わし座のアルタイルだということを教えてもらいました。星座観測が楽しみになりました。

 この4冊で、7040円。ちょっと高い買い物をしてしまったかな、と思いつつ、これから少しずつ読んで、勉強していきます。

 おらあ、理科人間になるだあ

生物に運命なし、全ては偶然の産物=ダーウイン「種の起源」を読了

 「わーお、やったーー」。通勤電車の中で一人、心の中で快哉を叫んでしまいました。ダーウインの「種の起源」(渡辺政隆訳、光文社古典新訳文庫)をついに、やっと読了出来たのです。ハアハアと3000メートル級の高山を登頂できた爽快感と疲労感が入り混じったあの感覚が押し寄せて来ました。

 「種の起源」は1859年11月24日に初版が発行され、ダーウインはそれ以降、13年間も地道に改訂作業を続け、1872年2月に「第六版」まで出版しました。訳者の渡辺氏によると、ダーウィンと言えば直ぐに連想できる「進化」evolution という言葉は、この最後の第六版になってやっと出て来た言葉だといいます。(それまでは「変異を重ねて来た」といったような表現。)また、ダーウィン主義のキーワードとなる「適者生存」も、1869年の第五版になって初めて登場したといいます。「進化」も「適者生存」も社会学者のハーバート・スペンサーが命名した造語でした。

日比谷公園

 いわゆるダーウィンの進化論は、今や定説になっていて疑問の余地はないと私は思っていましたが、今でも、キリスト教原理主義者だけではなく、科学者の中でも反ダーウィン主義者がいるとは驚きでした。訳者の渡辺氏も「あとがき」の中で、同氏が1970年代の前半、大学の生物学の最初の授業で、高名な教授から「ダーウィンの『種の起源』は読む必要もない。あそこに書かれているのは嘘ばかりだから」と聞かされたといいます。

 ダーウィンの進化論とは、一言で言えば、「全ての生物は共通の祖先から進化してきたという考え方」で「生物の進化は世代交代を経た枝分かれの歴史であって、一個人が進化することはありえない」ということになります。しかし、「種の起源」は決して読みやすい本ではなく難解のせいか、正しく読まれずに、ダーウィンの業績も正しく評価されないまま、学界で論争を生んだのではないか、と訳者の渡辺氏は書いております。

 なるほど、そういうことでしたか。「種の起源」の最後は「実に単純なものから極めて美しく素晴らしい生物種が際限なく発展し、なおも発展し続けているのだ。」という文章で終わっています。「種の起源」第六版を出版した時のダーウィンは63歳になっていました(その10年後の73歳没、ニュートンやヘンデルら著名人が眠るロンドンのウエストミンスター大寺院に埋葬)。

内幸町

 この難解の書物を私自身、どこまで理解できたのか心もとないのですが、読破できたことだけは自分自身を褒めてあげたいと思っております。「種の起源」を読まずに進化論を語る勿れですね。

 訳者の渡辺氏も「解説」の中でこう書いています。

 進化の起こり方は、常に偶然と必然に左右され、行方が定まらない。あらかじめ定められた運命など存在しないのだ。生存することの意味を問う中で虚無に走るのは容易い。しかし、偶然が無限に繰り返された結果として人生は存在するという考え方には荘厳なものがある。「種の起源」を読まずして人生を語ることができない。

 これ以上、付け足すことがないほどの名言です。

 

 

私たちは「バカ」だから繁栄できた?=更科功著「禁断の進化史」

 その表紙といい,、本のタイトルといい、書店の店頭で初めて見かけた時、とても手に取ってみる気がしませんでしたが、どうも、昨年から「人類学」もしくは「進化論」にハマってしまい、見過ごすことができなくなってしまいました。

 更科功著「禁断の進化史」(NHK出版新書、2022年12月10日初版、1023円)という本です。表紙には「私たちは『バカ』だから繁栄できた?」という挑発的な惹句が踊り、少し興醒めしてしまいましたが…。

 実は、この本は既に読了して数日経っておりますが、どうもうまく敷衍できません。正直、前半は人類の進化の歴史が、動物の側面からだけでなく、植物や気候変動にまで遠因を突き止めて、類書には全くそんな話は出てこなかったので、興奮するほど面白く、先に読み進むのが勿体ないくらいでした。でも、後半になると、急に、「意識」の問題がクローズアップされ、デカルトの哲学から始まり、かつて、生きたまま土葬されて生き返った人の話、植物人間状態になった人の意識はあるのかどうかーといった話を最新の脳科学や「統合情報理論」に基づいて分析したりして、少しは理解は出来ても、ちょっと付いていけなくなってしまいました。

 失礼ながら、このような正統なアカデミズムから少し飛躍したような論理展開は、著者の略歴を拝読させて頂いて、少し分かったような気がしました。著者は1961年、東京生まれで、東大の教養学部をご卒業されて、どこかの民間企業に入社されてます。その後、東大大学院に戻って、理学博士号を取得して研究者の道に変更しますが、現在奉職されている大学は、著者の専門の分子古生物学が学生にとっては専門外の美術大学ということですから、これまた大変失礼ながら「異端」な感じがしました。私が使う異端には決してネガティブな意味が強いわけではなく、むしろ新鮮で、正統なアカデミズムにはない強烈な個性を感じますが。

 とはいっても、著者は正統な学者さんですから、私の100倍ぐらい、あらゆる文献に目を通しているようです。引用文献も「ネイチャー」などの世界的科学雑誌が多く、この本でも最新情報が反映されいるので読み応え十分です。単に私だけがバカで知らなかっただけでしたが、著者には「進化論はいかに進化したか」(新潮選書)、「絶滅の人類史」(NHK出版新書)など多数の著書があり、その筋の権威でした!ということは、私が感じた「異端」は間違っていたかもしれませんね(苦笑)。

蕎麦「松屋」 天ぷらかき揚げそば 1300円

 人類学は、21世紀になって化石人類のゲノム解析が急激に進んで、日進月歩のように書き換えられていることは、このブログでも何度もご紹介して来ました。ですから、著者も、現在は〇〇が定説になっていても、その後の新発見で塗り替えられるかもしれない、ということを断っております。そのことを前提に、更科氏と彼が引用した学説によるとー。

◇人類は700万年前に誕生した

・ヒトとチンパンジーは約700万年前に分岐したと考えられる。今のところ、人類最古の化石は700万年前のアフリカのサヘラントロプス・チャデンシスとされている。サヘラントロプスは直立二足歩行のほかに、犬歯が小さいのが特徴。(類人猿なら犬歯が大きく、牙として使う)

・霊長類が樹上で生活するようになったのは、ライオンやハイエナ、ヒョウといった捕食者から逃れるためだった。

・霊長類は、昆虫食から果実食になる過程で、果実を見つけやすいように、眼が2色型(赤、紫のオプシン)から3色型(赤、紫、緑オプシン)に進化した。植物も、動物に果実が食べられて、広い範囲に種子が散布(繁殖)されるように進化した。

・果実は、どこに実る木があって、いつ成熟するのかを予測し、空間的、時間的に記憶しなければならないので、霊長類の脳が発達した可能性が高い。基本的に果実には毒はなく糖が含まれ栄養価も高い(脳の発達に良い?)

・約260万年前以降、人類は肉食の割合が多く占めるようになり、チンパンジーはほとんど植物食のままだったことから、肉食が人類の知能を発展させたのではないかと考えられる。この肉食だけでなく、人類はを使うことによって、調理で寄生虫などを殺し、消化を助け、栄養素を取り入れ、捕食者からも逃れる術を得たのではないか。

◇意識は自然淘汰の邪魔

・意識がある方が、自然淘汰に不利になることがしばしばある。自己を保存するためにはかえって意識は邪魔になる。長い目で見れば、自己保存と自己犠牲を使い分ける個体が進化して、常に自己犠牲する個体や、常に自己保存する個体は進化しないはずだ。たまたま、生存して繁殖するようになった構造が生物なのだ。もしかしたら、意識は、生物に進化の言うことを聞かなくさせる禁断の実だったのだろうか。

◇氷期を脱した1万年前に農耕が始まった

・地球は約10万年周期で、寒冷な「氷期」と温暖な「間氷期」を繰り返し、一番最近の氷期は1万数千年前に終わった。(と同時に人類が農耕を始めるようになった)安定した気候でなければ、農業を維持し発展することは難しいし、農業を維持し、生活に余裕ができなければ、好奇心や発明も起こりにくい。ということは我々ヒトが文明を築き、驚異的な種となったのは、単に、気候が安定化した1万数年前まで生き残ったからという可能性がある。

・絶滅したネアンデルタール人の方が現生人類よりも脳の容量も大きく、意識のレベル高い可能性があるかもしれない。意識があることは、必ずしも適応的ではない。つまり、ネアンデルタール人の意識レベルが高ければ高いほど生き延びる可能性が難しくなった可能性がある。意識レベルが高いほど、脳は多くのエネルギーを使い、生き残るために必要な血も涙もない行動を躊躇ったりするかもしれない。一方、私たちヒトの方が意識レベルが低ければ、生き延びやすかったかもしれない。

 なるほど、ここから、この本の編集者は、「私たちは『バカ』だから繁栄できた?」というコピーを生み出したのか…。

【追記】2023.1.9

 1月8日にNHKで放送された「超・進化論(3) 『すべては微生物から始まった〜見えないスーパーパワー〜』」は異様に面白かったでした。ヒトがチンパンジーから分岐したのが700万年前、現生人類ホモ・サピエンスが誕生したのが30万年前という話どころじゃないのです。人類の祖先は20億年前「アーキア」(古細菌)だというのです!

 まず、おさらいしますと、宇宙が誕生したのが138億年前地球が誕生したのが46億年前。そして、生命が誕生したのが38億年前と言われています。その最初の生物は、細菌などの微生物です。最初は、二酸化炭素を酸素に変える「光合成細菌」が繁栄し、次に「好気性細菌」がこの酸素を取り入れて活発化します。人類の祖先であるアーキアは、この好気性細菌を取り入れることによって生き延び、やがて、細胞をつくっていったというのです。取り入れた好気性細菌はミトコンドリアとして我々生命の細胞に今でも残っています。

 腸内細菌に100兆個もあるらしく、我々は微生物で出来ているということになります。ですから、中にはがん細胞を殺す細菌もあることから、やたらと細菌を殺す(=殺菌)ことは考えものだというお話でした。子どもさん用の番組でしたが、なかなか興味深い番組でした。