生物は意味もなくただ生き延びるのが目的か?=ダーウィンの「種の起源」余話(続)

 昨日は、ダーウィンの「種の起源」の余話として、「人生は偶然か、必然か?」を書きましたが、まだ書き足りないことがありました(笑)。

 恐らく、この《渓流斎日乗》ブログを長年、欠かさずお読み頂いている方は、それほど多くはないと思いますが、何で、この人(主宰者=執筆者)は、脈絡もなく、乱読しているのか、と思われているのではないかと思っております。

 勿論、年を取っても、辛うじて知的好奇心を保っている、ということもありますが、私自身、これまでの人生経験からどうしても知りたい、分析したいと思ったことがあったからなのです。それは、どうして、ヒトはこうも厄介な人間が多くて、無神経で図々しく、簡単に人を裏切ったり、黙殺したり、誠意がなかったり、自己主張が強かったり、自己保守に走ったり、他人を蹴落としてでも成り上がろうとするのか? 放送禁止用語を敢て使えば、奇人、変人、狂人のオンパレード。偽善者と詐欺師ばかりではないか、といった素朴な疑問でした。

 歴史を勉強して偉人から平民に至るまで研究してみてもよく分からない。法華経や密教などの宗教書を読んでもよく分からない。そこで、自然科学からアプローチしてみたらどうか、ということで、古生人類学から生物学、はたまた宇宙論から進化論に至るまで関連書籍を乱読してみました。

新富町「中むら」天麩羅定食1100円

 それで、何となく分かったことは、自然科学からのアプローチでは、人生には意味も目的もない、ということでした。生物は、ただ「生き延びる」ことだけが目的で、その間に、壮絶な生存闘争が行われ、自然淘汰で絶滅する生物は、二度と復活しない。だから尚更、生物は、種の生き残りに全生命、全生涯を懸けるわけです。

 生き延びるためには手段を選びません。戦争や紛争などの大掛かりなものから、個人的な他者排斥、裏切り、寝返りまであります。ということは、現在生き残っている生物=人間は、それらの闘争に勝ち残った子孫であることは間違いありません。つまり、裏切ったり、寝返ったりした子孫でもあるわけです。となると、DNAの中に、闘争本能と寝返りと日和見と虚言僻が引き継がれているわけです。

 残念ながら、現代人の中で、生存闘争本能と裏切り精神と虚言癖がない人間はいません。ない人間は子孫を残せず、裏切られた人間は自然淘汰され、絶滅しているからです。絶滅した人種は二度と復活しません。

 となると、人間と付き合う際は、相手が大ウソつきで、隙を見せれば高飛車に出てきて、飽きたら、つまり利用価値がなくなれば関係を絶つ、というのが自然だと思えばいいのかもしれません。それが、人間の自然な姿だと思えなければ、その人は淘汰されますね。絶滅街道まっしぐらです。

 でも、その一方で、ひょんなことで、突然変異した人類も少なからずいるのかもしれません。その人は、正直で、自己犠牲を厭わず、誠心誠意、他者に尽くす人です。利他主義者です。ただし、そういったDNAは一代限りでしょうね。少なくとも、ダーウィン理論に従えば。

 ただし、ダーウィン理論も含めて、これらは実験によって実証されたわけではありません。ですから、もともと、人間は、汚れのない善人として生まれてきて、悪に染まっただけという「性善説」も考えられます。自己犠牲を厭わない利他主義が本来の人間の姿だというのが正しい、という考え方です。

 でもねえ、と私なんか思います。実際、手痛いしっぺ返しに遭ったりすると、人間は生まれながら悪党、というのが言い過ぎだとしたら、他者を排斥してでも生き残りを図る「性悪説」の方を信じたくなります。私の個人的な人生体験から、その方が合点がいきます。

 老若男女関係なく、ややこしい人間がいれば、「そっかー、そいつは手練手管を使って生き延びた悪党の子孫なのか」「そんな悪に染まったDNAの乗り物なのかあ」と思えば気が楽です。ですから、彼や彼女だけが悪いわけではありません。悪いのは遺伝子です。悪党の遺伝子を受け継いで、たまたま現代人という姿形として現れているだけです。彼や彼女は、生物学的に複雑に絡み合ったDNAが表出しているに過ぎない。そのうち消え失せ、また同じようなヒトが再生される。そう思えば、どんなに救われることか。。。。

 えっ? あまりにも悲観的過ぎますか?

 それなら、どなたか、強烈な理論とエビデンス(具体例)で、「人間=性善説」を解き伏せてほしいものです。

ヒトとチンパンジーの遺伝子数は全く同じ?=DNAのヒミツ

今、新幹線の車内です。しかも、身分不相応にもグリーン車です(笑)。これから、出雲大社と姫路城に行って来まーす。

 さて、昨日の土曜日は、今年100周年を迎えた甲南大学の公開講座を聴講して来ました。同大学フロンティアサイエンス学部の三好大輔教授による「あなたの知らないDNAのヒミツ」という演題でした。

 小生、文系ですからこんな難しい話を聴講するなんて、まだ知的好奇心は衰えていない証拠ですね。

今さらご説明するまでもないのですが、DNAとは、ヒトの生命の情報を担う核酸のことで、A(アデニン)、T(チミン)、G(グアニン)、C(シトシン)のたった4種類が30億個並んでいます。(AはTと、GはCと結び付くが、この組み合わせ以外の連結はない!)これをゲノムといい、ヒト・ゲノムは1990年から2003年まで13年かけて、全配列の解析に成功しました。

ちなみに、ヒトは60兆個の細胞で出来ており、120兆メートルのDNAがあるということですが、そう言われても見当もつきませんね。

DNAの中で、遺伝子というタンパク質の情報を持つ部分は、全体のわずか1%で、ヒトには2万2000個あります。チンパンジーの遺伝子も全く同じ2万2000個だというのですから、「霊長類の頂点」などと威張ってられません。それどころか、イネには3万2000個の遺伝子があるといいますから、何をか況わん。

同じヒト同士でも、遺伝子の配列の違いはたったの0.1%。そうは言っても、DNAは、ATGCが30億個並んでいますから、30億の0.1%なら300万カ所違うわけです。

さて、唐突ながら、生命にセントラルドグマ(中心教義)なるものがあり、遺伝子情報には、DNA→RNA→タンパク質へという流れがあります(1958年、フランシス・クリックが提唱)

この流れは、まずDNAが複製され、それが転写されて、mRNA(伝令RNA)を通して翻訳され、タンパク質が合成されます。細胞が死滅して、再生されるわけです。

 さて、このDNAが複製される際、テロメアと呼ばれる末端が、本来なら死滅して先端部が切れていくのが、そのまま残り(不死化)、これががんになるというのです。原因は、老化によるもので、ヒトの細胞は、50歳を過ぎるとそんな不死化の可能性が高くなります。

例外的に良い意味で不死化しないのは、生殖細胞です。途中で、末端部が切れてしまっては、生まれてくる赤ちゃんに影響が出てきてしまいますからね。

ヒトは老化すると、細胞分裂(複製)の度に少しずつ(10億個に1個の確率)変異が蓄積され、これが疾患(がん)につながります。

講師の三好教授は、このDNAの複製からタンパク質が合成される際の途中で、mRNA(伝令RNA)が仲介することと、従来ゴミだとみなされていたイントロンが触媒として重要な働きをしていたことに注目して、このRNAを標的にした薬剤開発を研究中なんだそうです。

成功すれば、ノーベル賞ものかもしれません。その時が楽しみです。「私は三好教授の講演を聴いたことがあります」と自慢します。