好きな上野で「京都・南山城の仏像」展

 本日は木曜日でしたが、会社を休んで上野に行って来ました。上野は東京で2番目に好きな所です。1番目は? それは勿論、神田神保町です。古書店の街ですが、三省堂、東京堂など新刊書店も多くあり、何よりも安くて美味しい隠れたグルメの街でもあります。

 3番目に好きな東京は、神宮外苑の銀杏並木道ですが、どうやら、この「外苑の森」が伐採されるという話が進んでいるようですね。亡くなった坂本龍一教授も、再開発に大反対で、小池都知事に中止するよう手紙まで送付したらしいというのに。大都会東京のど真ん中で、あそこほど心休まる所は他にありません。銀杏並木だけは残す計画もあるようですが、もしこのまま強行されれば、小池百合子さんは「神宮外苑の森の伐採を認可した都知事」として歴史に名を残すことでしょう。

東京・上野東博「京都/南山城の仏像」展

 さて、上野に行ったのは、目下、東京国立博物館で開催中の「京都・南山城の仏像」展を拝観するためでした。自他ともに「仏像好き」を自称する私ですが、さすがに南山城(なんざんじょう、ではなく、みなみやましろ)の寺院にまで足を延ばしたことはありませんでしたからね。南山城とは京都府の南端で奈良県に近い地域で、住所で言えば、木津川市とか宇治田原町などがあります。

東京・上野東博「京都/南山城の仏像」展

 会場は、本館の「特別5室」が当てがわれ、いずれも京都・浄瑠璃寺(木津川市)蔵の「阿弥陀如来坐像」「多聞天立像」「広目天立像」の3点の国宝を含む18体の仏像(うち12体もが重要文化財)が展示されていました。

 しかし、「えっ?これだけ??」というのが正直な感想でした。「国宝3体、重文12体もあれば十分でしょ!」と主催者の日経新聞社には言われてしまいそうですが、もし、これが仏像ではなく、そして、有難みもなく、ただの彫刻として眺めただけでしたら、長くても5分で「見学」を終えてしまいます(笑)。こ、こ、これで、入場料は1500円もするんですからねえ。高いでしょう? 奥さま~、そう思いませんこと? 

 あっという間に「出口」になってしまったので、私なんか、慌てて5秒間で入り口方面に戻って、再度、拝観したほどでした。それほど狭い「特別5室」でした。

上野・東京国立博物館

 今回、「十一面観音菩薩像」が3体展示(京都・禅定寺など)されておりましたが、いずれも後頭部の真後ろにあしらわれた「面」が「大笑い」の観音菩薩であることが、パネルでも解説されていました。十一面もありますから、大衆を教化するため忿怒の表情の観音菩薩もありますが、この「大笑い」の面だけ突出していて、改めて仏像の魅力に染まってしまいました。

 会場を何気なく見回すと、平日だからかもしれませんが、どうも日本人が少ない気がしました。7割近くは、どう見ても外国人観光客でした。コーカサス系だけでなく、東南アジアやインド系、勿論、中国、韓国系の人もです。そう言えば、私も海外に行けば、必ず、博物館や美術館に足を運びますからね。ガイドブック等で上野の博物館・美術館が紹介されているということなのでしょう。まさに、「世界に誇れる上野」です。

 でも、私は歴史好きなので、「この博物館はねえ、江戸時代は、東叡山寛永寺の本堂があった所だったんですよ。今の上野公園と言われている敷地は全て、寛永寺の敷地で、幕末には彰義隊が最後まで新政府軍に抵抗してここで戦ったんですよ」と外国人観光客に蘊蓄を垂れたくなりました(笑)。

上野・東博・常設展

 私はせっかちな性格で、「京都・南山城の仏像」展はわずか20分程で鑑賞し終えてしまいましたので、同じ本館の常設展も駆け足で見て回りました。

 やはり、ここでも、絵画ではなく、彫刻、特に仏像彫刻ばかり注目して観てしまいました。

 やはり、(ともう一度書きますが)仏像を拝観すると心が落ち着き、心が洗われる思いがします。仕事や人間関係で疲れた皆様にもお薦めですよ。出来れば、その前に、仏像の基礎知識を頭に入れて行かれれば鑑賞の醍醐味も倍増します。例えば、四天王の北の一角「多聞天」は、独尊としてまつられると「毘沙門天」と呼ばれます。この毘沙門天とは、インドの財宝神クベーラの前身で、「ヴァイシュラヴァナ」という別名を持っていました。この「ヴァイシュラヴァナ」はサンスクリット語で「よく聞く」と意味することから、中国語で「多聞天」と訳されたといいます。 

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 また、五大明王の中心となる不動明王立像(京都・神童寺蔵)が展示されていましたが、この不動明王とは、密教の大日如来の化身と言われています。煩悩多き救い難い衆生をも力ずくで救うために、忿怒の姿をし、光背は怒りの炎がメラメラと燃え上がっているわけです。

 えっ?それぐらい御存知でしたか? 失敬、失敬。

縄文土器と土偶さまには圧倒されました

今日は斎藤君のお誕生日でしたが、猛暑の中、上野の東京国立博物館で開催中の「特別展 1万年の美の鼓動 縄文」を見に行って来ました。

暑かったので、戸外で並びたくなかったのですが、流石にこの暑さでは通常の週末にしては空いていました。

今は夏休みですから、子どもさんも多く訪れ、母親と小学校3年生ぐらいの男の子が仲良く見学していて、男の子は土偶を見ながら、「おちんちん付いているね」「おっぱいあるね」と感動してお母さんに大声で話しかけていました。将来が楽しみです(笑)。

大きくなってもこの感動を忘れないでほしいものです。私自身は、最近、日ごろの生きているだけでシンドイ、数々の、諸々の、生まれいずる悩みに振り回されていたことから、1万年前の日本人のご先祖さまたちが作った作品に癒しを求めにいったというのが正直なところでしょうか。

何しろ、5000年も1万年も前の大昔の人たちがつくった土器や土偶や飾りなどが目の前で見られるわけですから、たかだか、100年も生きられるか分からない人間の悩みなんて、ちっぽけに感じてしまうわけです。

フラッシュなしの撮影コーナーがありました

土器1点、土偶5点の「国宝コーナー」もありました。比較的新しい1992年ごろに指定されたようです。もっと早く認定されてもおかしくなかったことでしょう。今のところ、縄文作品の国宝は、この6点だけらしいのですが、それが、一堂に会して見られるのですからこんな贅沢な至福の時はありません。

国宝の「火焔型土器」(新潟県十日町市笹山遺跡出土)は意外と小さかったですね。でも、あの文様は誰が考案したんでしょうか。現代人やAIではとても作れませんね。果たして人間は進歩しているのかしら?

有名な土偶「仮面のビーナス」(長野県茅野市棚畑遺跡出土)や「縄文の女神」(山形県舟形町西ノ前遺跡出土)などは、まるで、宇宙人がつくったような造形でした。私が気に入った国宝は「合掌土偶」(青森県八戸市風張1遺跡出土)で、30センチもない本当に小さな土偶で、若い男性が這いつくばるようにして、蹲って手を前で合掌している姿をしていました。一度目にしただけで、ぐっと胸に迫ってくる感動がありました。

細かい技巧には圧倒されます。赤ちゃんを産んでいる母親の壺まであるんですよ。土偶などは祭祀に使われたのでしょう。縄文時代は、まだまだ未解明なところが多く、さらに研究が進んでほしい分野です。日本列島、南は九州から、北は函館まで、あちらこちらに縄文時代の遺跡が分散していたことには驚かされました。

せっかく、上野まで来ましたので、上野山の激戦地に建てられた彰義隊の墓をお参りして、国営放送の大河ドラマの主人公「西郷どん」の銅像にも会いに行ってきました。

やはり暑くて、とてもじっとしていられませんでした。

昼時を過ぎていたので、明治の文豪森鴎外もよく通っていたという「上野 蓮玉庵」に久しぶりに入り、かき揚げそば1000円とビール中700円を注文し、一人で縄文土器の感動に再び浸っておりました。

ご案内の通り、稲作の伝わった弥生時代の土器は、機能重視で、芸術性に欠けることは確かです。

縄文土器は、柳宗悦、河井寛次郎(文化勲章、人間国宝などは辞退)、濱田庄司といった民藝派をはじめ、「芸術は爆発だ」の岡本太郎らがこよなく愛し、多大な芸術的影響を受けたと言われています。

確かに見ているだけで、生きる勇気が湧いてきて、会場では思わず手を合わせて感謝してしまいました。

うまいめん食い村通信 ごちそうさまでした            2拍手