鈴木庫三という男=「出版と権力 講談社と野間家の110年」

 先週から魚住昭氏による669ページの大著「出版と権力 講談社と野間家の110年」(講談社)を読んでいます。途中で、「随分、よく調べているなあ」と感嘆したり、逆に、「社外秘の文書を特別に閲覧することができた、と豪語している割には驚愕すべき話は出て来ないなあ」と落胆したりしながら読んでいます。(やはり、同じ時代を扱った立花隆著「天皇と東大」の方が図抜けて面白い)

 この本に関しては、既に、渓流斎ブログの7月23日付の記事「講談社創立者野間清治の父は上総飯野藩士だった」で一度取り上げましたが、3年前に講談社ウエブサイト「現代ビジネス」に連載されていた時分から私は読んでいました。ウエブでは、講談社創立者「野間清治の一代記」(特に沖縄での御乱行)の印象が強かったのですが、改めて通読してみますと、タイトルの「出版と権力」そのものズバリの内容でした。

 まさに、出版、特に、雑誌は「時代を写す鏡」です。その時代の大衆が何を求めているのか?ーそのときの時流に乗らないと、雑誌は売れません。教職者だった野間清治が明治43年に初めて「雄弁」を、翌44年に「講談倶楽部」を次々と発行し、当初の「返品の山」の嵐を乗り越えて成功した時代背景には、自由民権運動後の国会開設や、明治新政府による教育の普及によって識字率が向上したことがありました。

 何と言っても、野間清治は波乱万丈の人です。「講談倶楽部」は、講談だけでなく、桃中軒雲衛門ら当時一世を風靡した浪花節(浪曲)を掲載したところ、講談師43人から連名で、講談速記録の雑誌掲載をボイコットされますが、新たに「新講談」と称して、都新聞の編集室に依頼して新作を発表していきます。後に「大菩薩峠」で有名になる中里介山や股旅物で第一人者となる長谷川伸らが健筆を振るい、売り上げ増に貢献します。

 それにしても、「出版と権力」の話が中心なので、この本で注目すべき中核をなしている物語は、昭和初期の戦時中の軍部による圧力の話です。まさに、近現代史の稗史です。

 中心人物は、陸軍情報部(後に情報局)情報官の鈴木庫三少佐(後に中佐、最終階級大佐、1894~1964年)です。何しろ、戦時体制という時局柄、国家総動員で、「思想教育」に打ってつけのメディアが雑誌でしたから、社会主義やマルクス主義はもってのほか。反戦思想など戦意高揚に反する記事もアウトです。紙の配給から印刷、流通に至るまで生殺与奪権は全て軍部が抑えていますから、軍部の御機嫌を損ねた出版社は倒産しかねません。

 この鈴木庫三という男は、出版社の幹部を呼びつけては、サーベルをガチャガチャといわせて威嚇して編集方針を変更させ、顧問団という名の監視役を社に送りつけたり、謝礼という名の法外な賄賂を受け取ったりします。

 一方の講談社の方は、かなり強かで陸軍のために「若桜」、海軍のために「海軍」を発行して軍部に全面的に協力して、用紙確保に心配なく、莫大な利益を上げていきます。

 日本敗戦後、講談社は戦争協力者として指弾されて、戦前の幹部は一掃され、GHQによる指令もあり、民主主義思想を根幹にした出版社として生まれ変わります。その際に、再登場したのが、戦後も生き延びた例の鈴木庫三さんです。講談社の幹部に会うと、「僕に頼みたい原稿があったらいくらでも書くよ。だいたい民主主義だなんて言ったって、僕はその方の専門家だからねえ」と言い放ったといいます。

 何という変わり身の早さ! 戦時中にあれほど若者たちを戦争に煽って、自分の意に反する言論を弾圧してきたというのに、自らの戦争責任などひとかけらも感じていない。鈴木庫三という男。ジャーナリスト清沢洌から「日本思想界の独裁者」と言われた男。人間ではありながら、良心の呵責や罪悪感など一切持ち合わせていない人間というものがこの世に存在するということを見事に見せつけてくれました。